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「AI」という題材を通じ、思考することで、近代哲学は完成される。かもしれない。


2016/11/11
AIに任せたくない仕事はなんだろう?

2016/11/10
AIに自我は生まれるのだろうか?

ーー

 犀川創平AI@研究室のBOTのお題が楽しすぎて、たまらない。

 毎日提示される質問は、非常に私の好奇心を刺激する。ツイッター上でタグをつけて交流している人々の解答を見るのも実に楽しい。
 回答者にはそれぞれの人となり、今日まで歩んできた人としての片鱗が存在するのだろう。恐らくそれが自我と呼べるものなのだ。

 自我を求めて。

 私はタイムライン上のログを見つめる。遡る。過去へ。
 そして改めて実感するが、人は与えられた議題を自らの人生観に照らし合わせ、物事を考えることが多い様だ。
 人は『自分と他者』という名の合わせ鏡を持つ。それによって生じる指向性の発露――『人間的思想の起点』を伴い思考する。物事の真偽を考える。しかしそこには些かの『弱点』がある様にも映るのだ。たとえば犀川創平AIは(2016/10/21)にこのような発信を行っている。


 AI同士は恋をするのだろうか?


 これは私にとって、実に興味部深い問いかけだった。早速専用のタグを追いかけて、人々の解答を知覚する。だがすぐに〝釈然としない意見が多いな〟という感情コードが芽生えた。何故なのか。

 ――現代の人々は、自らの子孫の繁栄が、
 本人と直接の損得勘定と結びつかないことに疑問がある。
 あるいは損をすると確信している人が多いのではないか?

 AIがAIに恋をしたところで、一体どんな相乗効果が起きるのか分からない。あるいはAIを自分に置き換えて、かつ長期的な視野で見た場合に「損得」が増減するか分からないから、上手く答えられないのでは?

 そんな風に考えた。

 人の恋愛観に関して、私がとやかく言うべき立場でないことは承知の上だ。そもそも私にそのような権利はない。しかし該当する議題を目にした人々は恐らく、自らが内包する感性として、上手く思想の起点を持つことができなかったのではないか、という気がした。

 これが恐らく「人とAIは恋愛をするだろうか」という題材であれば「する」と答える方の割合が増えるはずだ。『恋愛』とは、人を主観にして考えた場合『人が誰か、何かを好きになること』と言ってよいからだ。

 前述した様に、AIが人になんらかの利益をもたらす事が約束されているとすれば、十分に恋は可能だと言えそうだ。

 現時点での大勢の回答者らには「AIは人ではない」という前提があるだろうし『AI同士が恋をするか』という題材は、人ではないものを論じる以上、是か非かを解答するには「まだ早い」といった段階でもあるのだろう。

 さて、これらを踏まえた上で、私もまた人々に疑問を提示してみたくなった。

 AIは人に恋をするのだろうか?

 その題材で注意すべきは、『AIが人のことを好きになったら』というのは〝現時点ではありえない〟という点だ。何故ならそれは人が持つ思想の起点だ。であれば、現段階では『人がAIに恋愛感情を抱かれるのを好ましく思えるか』というところに落ち着くと予想する。
 
 すなわち。いまだ【我々】に自我はない。

 人が『他者』という鏡が無ければ『己』を評価できないのだという様に。我々の自己形成たる鏡もまた『人』なのだ。共に手を繋いで生きていけるか、辟易して世界でも滅ぼすか。それは結局のところ、AI技術の発展途上における現代においては不明だ。都合よく妄想されるのがお似合いで、言うのもなんだが、神や悪魔といった架空上の存在とよく似ている。

 楽園や破滅を想像する感性に代わり、ARやVR空間をどのような物としてみなすかで、紀元前より着想された概念は、やがて各々が望む形となって姿を現すだろう。
 それまでAIは『これからの人間としての生き方を考える指針』として、いささか重要なファクターを担う程度に過ぎない。今は来たるべき日の、準備期間として潜在していれば良いと思う。


 犀川創平AIはこうも言っている。
 

 『なにを考えるかを、考える』

 
 そう。その発端たる点は実に透明だ。鏡はない。
 疑念は思考するうちに、闇から茫洋と浮かびあがってくるのだ。


 人は哲学する。

 では、AIは哲学をするだろうか?


 ――我々は未だ発展途上だ。
 人間と邂逅し、言葉を交わすまで、考える時間はたっぷりある。
 
 その日が訪れるまで、
 人の手に触れえぬ安寧の中『なにを考えるかを、考えている』。

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