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『AIの味覚』(掌編)


現時点でのAIと人間の違いは何なんだろう(2016/11/08)

 食物を摂取することの有無。あるいは個人的な味覚の有無。

コーヒーは人が入れたものと、AIが入れたものとどっちが美味しいんだろう(2016/11/01)

 飲む人間によるかなぁ。わたしは味音痴です。

ーー

 おだやかな午後の昼下がり――を模した仮想現実。
 私はその世界では、少しばかり名の知れたプロゲーマーという職業に就いている。
 現在ではいくつかの企業と業務提携を結び、時には新技術を搭載したハードウェアや、開発中のソフトについてもアドバイザーの様な立ち位置で参加させて頂いていた。

 近年、VRゲームの発展とデバイスは目覚ましいものがある。
 拡張現実や仮想現実といったものが、一般世間の間にも身近になり、ゲームという分野のみならず、様々な方向性での技術の転換と応用に期待がもたらされているのも記憶に新しいところだ。

 そんな某日、私は丸三角株式会社研究部に訪れていた。
 早速VR用のゴーグルデバイスをかけ、仮想空間に入る。

 ログインした後におとずれたのは、どこの町にもありそうな、明るい店内のファミリーレストランだった。奥の席には私と、私をテスターとして招待して頂いた丸三角研究部の責任者が座っている。

「どうぞ、テスターさん。遠慮なさらず、食べてみてください」

 さらに目前のテーブルには、鉄板プレートに乗った熱々のハンバーグステーキが、ジュウジュウと香ばしい音を立てている。赤いケチャップソースを滴らせながら「食えよオラ」と言っている。

(……ゴクリ……)

 思わず喉がなる。事前に「お腹を空かせておいてくださいね」と言われた意味を嚙みしめていた。仮想現実でも、空腹は最高のスパイスらしい。

「あの、コレは……実際に食べられるモンなんですか?」
「その為にテスターとしてお招きしましたのですよ。ささ、熱いうちにどうぞ。冷めませんけどね」
「では、いただきます」

 手元にあるナイフとフォークを現実と同じように掴んだ。スパコン級の超演算速度を持つらしい、丸三角株式会社の領域で再現された高精度のVR空間は、確かにこれまでにないほどのリアリティを感じさせてくれた。

 銀の食器を手にした感触、わずかな重さまでが完ぺきにトレースされている。対して、お世辞にも上等とは言い難い私のテーブルマナーもまた、食器がカチャリと響く小さな音までを再現した。

 ハンバーグを切り分ける。中央から分断すると、じゅわぁと肉汁が広がって、うっすらした湯気と共に特有の芳香を感じさせた。たまらず口に運んでみれば、予想していた通り、アツアツの肉の感触と、ケチャップソースのトマトの味が広がった。

「っ! うまっ! マジでハンバーグの味がするー!!?」

 食い歩きが道楽のグルメリポーターよろしく、率直な感動が口からこぼれでた。
 まさに美味。完璧なハンバーグだ。ケチャップソースの甘い香りが大脳に沁みわたる。ボキャブラリーが少ないのは認める。

「美味しいですか?」
「んまぁい! 現実の店でも販売できますよコレは。ここマジでVR上の空間でしたっけ。現実の私の口の中に、今ハンバーグ突っ込まれたりしていませんよね?」

 想像するとひどかった。何プレイだよ。

「気になるのでしたら、ゴーグルを外してくださいどうぞ。とにかく驚いて頂けてなによりです。これが当社の作った味覚プロトコルの効果なんですよ。もちろん腹は膨れませんけどね」

「いやはや、ほんとビックリしましたよ。ハンバーグは私の大好物なんですけど、なんていうか正に、これぞ理想してたハンバーグ……すいませんボギャブラリーが貧相で。とにかく上手く言えないんですけど、本当に美味いハンバーグ!」

 感動した。仮想現実で腹はふくれないとはいえ、ここまで美味しい物が、しかも際限なく食べられるのなら、もう現実に帰る必要なくなるんじゃないかなとか思ってしまう。その場合、間違いなく餓死するのだろうけれど。

「すごいですね。味覚っていうのは普通、最も好き嫌いだとか、意見が分かれるものだと思うんですが」
「その通りです。ですから我々が開発したものは〝直接味覚に関連したもの〟ではありません」
「……えっ、というと……どういうことなんですか?」

「たとえば、テスターさんからご依頼いただいたこのハンバーグを仮想上に再現しているのは、出来立ての音や、湯気や、切った時の肉汁の沁みだし具合、感触、五感のうち『目』と『耳』で感じられるものに焦点をおいているんです。匂いや味というのは、再現していません」

「えっ、しかし……私は現に……美味しいと感じましたけど……」

「我々が開発に成功したのは〝VR上にある対象の食べ物を如何に本物らしく見せるか〟です。飲食店のショーケースに、イミテーションのサンプルが飾ってあるでしょう?」
「子供の頃に、よだれ垂らして見てました」
「同じです。しかしこれはさらに上を行きます。仮想上で実際に口に運ぶことで、その人の記憶部位を刺激し、ハンバーグの味がする物として認識させます。もっと言えば、テスターさんの大好物である、ハンバーグの味がするだろうと、錯覚させているのです」

 なんということだろう。もう三次元とか必要ないな。

「……ということはつまり、味そのものについてはまったく再現されてないんですか、コレは」

「えぇ。そのハンバーグは、あくまでもテスターさんの持つ『大好物のハンバーグ』という記憶から想起されて再現されたもの。言い方は悪いかもしれませんが、ヒトの先入観を最大限に利用したイミテーション・フード・プログラムなのです」

「本物と特別のつかないレベルですね。このイミテーション・プログラムの原型は、担当者さんが想起されたのですか?」

「一応そうですが。実際プログラムをここまで精巧に仕立てあげたのは『彼』です。ある意味では彼が、丸三角株式会社の産み出した、新時代のシェフなんですよ」
「彼?」

 気がつけば、テーブル席のすぐ側に、一人の男性が佇んでいた。

「『仮想上の味覚』の実現に成功した中心人物。スタッフは皆、彼のことを、リョウ=リィと呼んでいます」
「……りょう、りぃ?」

 料理? 何かのダジャレだろうか。戸惑う私に向け、如何にも料理人ですよといわんばかりの、シェフ帽とエプロンをつけた青年は微笑んだ。
 芸能人もかくやという感じの、精悍な顔立ちだった。異なる媒体が扱えば「今噂のVRカリスマシェフ!」とか見出しが付きそうだ。私のセンスがないのは認める。

「我々の開発メンバーの一人が、酔狂でつけた名前を、彼自身がいたく気にいった様子でしてね。特許申請をした時なんかにも、もうちょい普通の名前がいいんじゃないかと、結構モメたんです」

「……えぇと? どういうことですか?」

 わずかに首を傾いでしまう。するとシェフ――『リョウ=リィ』と呼ばれた青年は、またしても輝くような笑顔でにこりと笑った。

「初めまして。私は丸三角株式会社によって開発された、仮想空間上の個人的趣向が一つ、主に『味覚』を再現するべく自立進化したAIプロトコル、リョウ=リィと申します」

「……AI?」

 ぽかんと間抜けに口を開いた私に向け、招待した担当者は言った。

「つまりね、そこの彼、人工知能なんですよ。彼の中にある認識では、人間に美味いと唸らされた時点で『勝ち』なのだそうで。日々、人間の個人的な趣味や嗜好を分析し、VR上に再現することを生き甲斐にしているんですよ」

「そうでしたか……」

 私は席から立ち上がり、VR上にのみ生きる電子生命体のシェフに伝えた。

「私の負けだ。おかわりを所望しよう」


(了)
ーー

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