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日曜日の嫁さんの話⑤(掌編)


 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。
 夕方、予定通りに仕事を終えて居間の方に移ったら、

「にゃーん」
「うん、ありがと」

 おつかれさま。と言ってくれる、尾が二股に分かれた妻がいる。テーブル席の隣、床暖房のついたマットレスの側で、いつも通りスマホの画面を肉球タップしながら過ごしていた。

「んじゃ食事にしようか」
「にゃーん」

 ごはんだ、ごはんだ。とばかりに駆け寄ってくる。すっかり日常の一部になっていた。


 夕飯を食べ終えたら、後は風呂に入って寝るだけだ。明日からまた会社勤めになる嫁さんはちょっと憂鬱気味に「アンニュイな今……誰か面白い話をして」とか呟いている。

 人のアカウントだと思って、無差別に発言を振りまくのはやめて欲しい。この絵描き、また変なこと言ってるとか思われるじゃないか。

 そして俺の方も暇つぶしでもしようかと、ノートPCで動画サイトを眺めていた。タグで「猫」とか「アニマルビデオ」で検索する。

「可愛いなぁ……」
「にゃ?」

 呟きが思わず漏れてしまっていた。嫁さんが「なになに?」とばかりにやってくる。身軽にテーブル席の上に着地して、画面を覗き込む。

「あっ」

 再生されていた動画は、黒い猫が「かまってくりゃれ~」とばかりに動画主の腕にまとわりついて、勉強ができないという動画だった。

「…………」
「…………」

 嫁さんのめが細目になる。動画の猫と明確に違うのは、尻尾が二股になっているところだ。

「にゃ~お……」

 機嫌を損ねたのか、尻尾が交互に波打つ。


 ――大体、日曜日に構うと嫌がるのは旦那さんの方じゃないですか。
 

 金色に光る瞳が言っていた。

「だから、それは仕事で集中してるから。でもそれ以外の時間でも、猫扱いされると怒るのは嫁さんの方だろう」
「にゃあにゃあ!」

 ――だって私、一週間のうち、六日はずっと人間なんですよ。人間の姿でお仕事だって行ってるのに、お給料だってもらってるのに。猫扱いされるのは心外というものじゃないですか。

「それも分かってるから。けどこうやって猫の姿で甘えられたら、普通の人間は可愛いなーって思うもんなんだよ。一般常識だよ」
「にゃっ、にゃにゃあ!」

 ――つまりなんですか。普通の人間じゃないと言いたいんですか。

「普通じゃないだろ」
「っ!」
「いてぇ!?」

 腕を噛まれた。フシュルルル、嫁さんが唸っている。

「ごめん、今の言葉の〝あや〟だから! 仕事明けで頭が回ってない状態での失言でした! 爪引っ込めろ頼むから!!」
「きしゃー!」

 全身の毛並を逆立てて怒っていた。嫁さんのプライド部分を傷つけてしまった。あー、腕痛ぇ。

「にゃ、にゃ、にゃっ!」

 バンバンバン。しかも俺のPCモニターへ、容赦のない猫パンをかまし始めた。やめて。動画はちょうど終盤にさしかかっていた。投稿者は勉強をあきらめ、可愛い飼い猫の頭を撫ではじめる。
 流れるコメントは増え「ぬこ様カワイイよ^^」「大正義」「あー心がぬくぬくするんじゃ~^」と視聴者の気持ちが一つになる。

「にゃああああぁ!!」

 ズババババババ!

 やめろ。怒りに任せてモニターひっかき連打すんのやめろ嫁。
 明日からまた仕事で、アンニュイな気持ちになってたのは察するからやめてください。噛みつかれた腕が痛い。

 そんな個人的感情による家庭内暴力を受けた俺は、ため息をこぼして呟くしかない。

「風呂入って寝よ……嫁さんは?」
「……」

 むすっとした、不機嫌な表情で振り返る。
 うちの嫁さんは〝人間〟なので、それから一般的な成人女性でもあらせられるので、

「……にゃっ」
「はいはい。んじゃ、行こう」

 毎日欠かさず風呂に入る。日曜日も入浴する。
 ちなみに浴室に通じる洗面所、タオルやパジャマを入れた棚ケースの一番下には、ひっそりと『土鍋』が隠してあるのだが、これの目的は家誰にも言えない、動画投稿なんてしようものなら、実家に帰りますとか言われかねない秘密だった。

「嫁さん、悪かったってば。機嫌なおしてくれよ」
「…………」

 土鍋に浸かって、口を効いてくれない猫がいる。秘密だった。
 通販で買った専用のハットを乗せて、石鹸で洗ってやり、風呂から出たあとは、しっかりドライヤーで毛並を乾かしてもらわねば気がすまない、気位の高い黒猫がいるのだが、これもやっぱり秘密なのだった。

 この猫の醜態を――ではなく、可愛らしい姿をいつか動画に収めることが、彼女にも言えない俺の小さな野望の一つなのだが、秘密である。

ーー

 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。それはともかくとして、本人も割と気まぐれな性格だ。(言うと怒る)

「ねぇ旦那さん」
「どした?」
「ウサギって、結構カワイイですよね?」
「……は?」

 月曜日の朝。暗鬱とした表情で、黙々とパンを千切って食べていた嫁さんが言った。

「動画サイトで見たんですが、奴らめ中々カワイイ顔をしていましてね。抱き心地も中々によろしいとのことです。平素のお仕事に明け暮れる社会人らの中には虜になったという――」
「仕事から帰ってきて、嫁さんが毎日世話するならいいけど?」
「…………ふっ」

 うすら笑いを浮かべて目をそらされた。生気のない目で、パンにジャムを塗りたくっている。

「大体な、うちには既に金魚が二匹いるんだよ。嫁さんが飼いたいって言うから飼ってるけど、主に世話してるの誰だっけ?」
「ダンナサンデス」
「そうだよ。で、自分が癒されたいが為に、俺に世話を押し付けて余計な仕事を増やそうっていうなら、話聞いてやるけど?」
「スミマセンデシタ」

 ぺこりと頭を下げた。台所と居間の間にある廊下。そこには二匹の金魚が水槽の中で漂っている。名前は「赤身」と「まぐろ」だ。名付け親は言うまでもない。

「イヤシガホシー」

 それからもそもそ、生気のない表情でサラダを咀嚼しはじめた。平素は雑食性の生き物と化すが、しいたけは食べられないので注意が必要だ。出せば露骨に皿の端に退け始める。子供か。

「けど嫁さん、俺が他所の猫を褒めたら怒るくせに、ウサギはいいのかよ」
「フフフ……所詮、奴らは人様に癒しを与えるための経済動物ですからね。そして私もまた、ニポン経済に潤いを与えるための歯車の一部なのですね。通称〝しゃちくぅ〟ピラミッドが成り立っており……」
「早く食べないと会社に遅刻するぞ」
「突発的な台風とか来ませんかね」
「小学生か」

 っていうか、外は晴れていた。快晴の秋日和だ。風は冷たい。
 
「いいじゃないですかー」
「なにがだよ」
「ウサギいいじゃないですかー」
「諦めたんじゃないのか……」

 とりあえず話に付き合う。本気で言ってるわけではなく、ただ時間を潰したいだけなんだろうなぁと思いつつ。というか遅刻するぞ。

「旦那さんがブログでやってる、絵日記のネタにもなるじゃないですかぁー。最近更新が滞ってるじゃないですかー」
「嫁さんに言われて始めただけだからな。アレはあくまでも気晴らし程度だし」
「ダメですって。そんな事じゃ読者に飽きられちゃいますよ。最近ただでさえネタがマンネリ気味だってコメントが」
「お義母さん、割と容赦ない感想送ってくるよな」
「……母がご迷惑をおかけしております」
「べつに迷惑じゃないけど。ウサギを飼い始めた日記を更新したりしたら、君の旦那がもしかすると、ともすれば、可能性の話なんだけど、些かの気苦労を背負う羽目になるかもしれないわけだけど、そこんとこ、心優しい貞淑な奥様としての意見とかある?」
「今日は良い天気デスネー」

 えへへ……と生気のない愛想笑いをする。
 さすがに可哀想になってきたので、今夜なにか食べたいものある、と聞いておいた。と、そんな感じで俺たちの一週間がまた始まる。

1件のコメント

  • こんばんは、秋雨です。
    いつも感想ありがとうございますー。
    またお暇な時にでも覗いて頂けたら嬉しいです。それではー。
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