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日曜日の嫁さんの話④(掌編)


 うちの嫁さんは、日曜日になると猫になる。平日はインターネット回線などの通信事業を主とした企業に、営業職で勤めている。

 まっとうな社会人である。俺も会社勤めをしていた経験があり、週末に酒の席で交わされる苦労話には、ちょっと辟易した覚えもあったりする。

 たまに飲むお酒は、楽しく飲みたい。
 実にそう思うことが多かった。結果的に一人酒が好みになった。できれば静かに、黙って飲める相方がいれば尚よろしい。

「そこの旦那さん、私を笑わせてみなしゃい!」
「……嫁さん、もう日付も変わったし寝ようよ」
「らめれしゅ!」

 最近になってまた、そう思うことが増えていた。たとえば平日。ものすごく不機嫌そうに帰ってきた嫁さんが、夕飯を食べて愚痴をこぼしても、まだ腹の虫が収まらない場合があったりする。

「お酒! こういう時は、お酒を飲まないといけませんっ!」

 あー、きたかー……こういう手合いは最初の一回を付き合うと、その後も同じように吹っかけてくるのだ。

 仮に職場の人間なら「今日はちょっと……」と言って断ることもできるわけだが、宴会場が自宅で、相手が身内の場合はどうすれば良いのか、詳しい人がいらしたら教えて頂きたい。

「だいたいですね! うちのじょーしはいけないんですよ!」
「そうだね、嫁さんは悪くないよ」
「きいてます!?」
「聞いてますよ。貴女様の上司は何がいけないんですか?」
「アイツはですね、私を人間だと思ってないんですー!」
「……」

 嫁さん、アンタ妖怪じゃなかったっけ?

「もぉ許しません! わたしは〝しゃちくぅ〟扱いなんですよ!」
「……」

 猫の手も借りたいっていうよね。

「だんなさん、なにかんがえてますか」
「何も考えてないっす」

 深夜遅くまで、近くのコンビニで買ってきた安いワインを飲んでいた。

「ほれ、そこな人間の夫よ。一発芸をせよ。奥様を笑わせよ。はよ」

 人間でない〝しゃちくぅ〟な酔っ払いは、カシューナッツを摘まみながら、謎の雅風キャラクターになりきって「ほほほ」と口元に手を添えて一発芸を要求する。時代考証は完全に謎だ。

「駄洒落でも、ギャグでも、なんでもいいっしゅよ!」
「いいっしゅか」
「くるしゅーないっしゅ!」
「シャレ?」
「ハイセンスであろう!」
「奥様、すばら」

 俺もだいぶ酔ってきた。

「さぁさぁさぁ! 上司のパワハラで怒りシントーの奥様を、見事、腹の底より笑わせることが出来たなら!!」
「出来たなら、どうするのですか奥様は」
「ねまっしゅ」

 ……明日も平日だしな。土日は遠い。

「今度の土曜日、外に焼肉でも食べにいくか?」
「えへー。旦那さんの奢りですよね~」
「はい寝ろ」
「今のナシで」
「なんでだよ。笑ったじゃん」
「だーめーでーすー! そういう笑いじゃないの! 奥さんが求めてるのは吉本なの! お笑いなの! シンキゲキ! ドゥユー・アンダスタン!?」
「…………」

 すげぇ腹立ったわ、なに今のムカツク。これが嫁でなかったら頭を叩いているところだ。嫁でも叩いて良かろうか?

「悪いんだけどさ……人を笑わせるとか、俺がそういうの苦手なのは知ってるだろ。嫁さんが一番知ってるだろ」
「二回言うほど大事なことですかっ」
「大事なことです。俺にお笑いのセンスはありませんよ」
「いいじゃないですかー。知ってるからこそ見てみたいー。旦那さんのちょっといーとこ、見てみたいー」

 一人で音頭を取りはじめた。そろそろ付き合いきれないわ。
 俺もべつに明日、ヒマじゃないんだし。

「……じゃあ、面白い話をネットで調べてみるか」
「ぷっ」
「ん?」
「今のノーカンで。うふふふふ。私の旦那さんはまーじめーだにゃー」
「嫁さん……俺にも我慢の限度というのがあるんだぞ。よろしくな?」
「旦那さんは私を怒らないっ」
「その根拠のない自信を粉々にしてやりたいよ……」

 べつに笑わせるつもりは無かったのに、酔っ払いが口元に手をあてて、うふうふ笑っていた。そろそろ寝てくれねぇかな、本当に。

「いいでしょう。奥様は寛容ですからね。さささ、スマホでも使って、おもしろい話でも、笑える話でも検索すれば良いですよ。人類の英知を使ってこの私を笑わせてみなさい! 心の底から! 元気がでたので明日も会社いきます。そう言えるほどに! さぁ!」

 謎のテンションでガタッと席から立ち上がり、なんか糾弾するように訴えてくる。めんどい。

「じゃあ白状するよ」
「はい? 白状ですか?」
「俺、実は浮気してるんだ」
「………………?」 

 赤ら顔の酔っぱらいが、人差し指を向けて立ち上がったまま、固まっていた。その視線から目をそらして、淡々とスマホを操作する。

「俺は昔から、表面上は取り繕うのが上手くて、それなりに順風満帆に生きてたんだけど、ある日しんどくなって、一度に背負っていたなにもかも、全部清算した。新しい環境で、一人の女性と出会って、その人ともう一度、人生をやり直すことにしたんだよ」
「あ、それ、私のことですよね?」
「うぬぼれんな」
「ふぇ……」

 安いワインだからか、巡るのが早い。
 付き合いでそれなりに飲んだ分、こっちも口が軽くなってた。じんわり涙目になった嫁さんに伝える。

「嘘だよ。冗談、でもあんまりこういう事に付き合わせるならー」
「ころっしゅ」
「え」
「きさまを、ころっしゅ……」

 次の瞬間、酔っぱらった嫁さんが襲い掛かってきた。
 事実上のパワハラであった。と思ったら今度は泣きだした

「ううぅ~! ごめんなさい、お酒よりも旦那さんが好きです~!」
「それ以下になったら別れるぞ……」

 さすがにそこまで、俺も人間できてない。


ーー

『とある平日、昔の話』

「そういえばな」
「ん?」
「この家、もしかして動物を飼ってるのか?」

 平日の祝日だった。
 こっちの家に遊びにきていた父親に、ぎくりとさせられた。

「……分かるのか?」
「うっすらとだがな。お前も知っての通り、俺は鼻が利くんでな」

 俺の実家は洋菓子(ケーキ)屋をやっている。住宅街の側にある個人商店だ。
 物心が付く前から、両親が身近に働いてるのを見て育ってきた。
 土日と祝日、それからお盆の日やクリスマスなんかも来客が増えるので、世間一般が休みとなる日に、家の手伝いをした。

「そっか。実はこの前、捨て猫を拾ったことがあってさ」
「珍しいな。最近だと野良の生き物なんざ、滅多に見なくなったからな」
「……あぁ、そだな」

 湯呑で熱い茶をすすりながら返事をする。親父としては単になんでもない話を振ったつもりに違いなかった。こっちは内心、結構焦っていたのだが。

「ぼちぼち電話が掛かってくる頃か」
「かもな」

 家の居間。テーブル席の向かい側に座っている。机の中央には、客用の菓子を詰めた甘味のない煎餅だけが置いてあった。

 洋菓子を営む店の長男でありながら、甘い物が苦手で家業を継がなかった俺。
 それから自分の奴以外が作った菓子は煎餅しか食わない。という謎のこだわりを持つ親父。

 ――それで最近どうだ。まぁぼちぼちやってるよ。そうか無理すんなよ。

 といった感じの当たりさわりのない会話を、かれこれ半時間ほど続けている。正午ちょうどに顔を見せた両親は一緒に昼食を取り、親父は「少し寝る」と言ってすぐにソファーで眠りこけた。

 俺はその間、簡単な仕事の打ち合わせやネットでの情報収集を済ませ、夕方近くになって目を覚ました父親と茶を飲んでいるといった具合だ。

 今は同棲中の彼女とこっちの母親、それと妹は三人そろって買い物に出かけている。
 本日は女子の買い物日和だと決まっていたらしく、男は入り用では無いとのこと。出かけるのは電車で行くから問題ないよ。でも携帯で電話したら車で迎えにこい。即座にね。という具合だ。
 
 男のパワーは加算方式だが、女は集まるとパワーが乗算されるのが厄介だ。ただ仲が良いのはなによりで、特に母親は事あるごとに「長男はケーキを食べないから、彼女さんは良い子ねー」と引き合いに出す。単純に得だと思う。

 そのおかげで、彼女はある種、家族ぐるみの付き合いを平然と行えている。本人が自分の欲求に素直なところも相まって――

「ところでな」
「?」
「動物といえば覚えてるか? お前、小学生の時に捨て猫を拾ってきたこと、あったろ」
「……そうだっけ?」
「あったんだよ。店で使ってる牛乳だの生クリームだのをこっそり持ちだして、どこぞの公園で捨てられてた猫を餌付けしてたんだよ」
「あった……かな、確か」
「すっかり懐いちまったのを抱いて帰って叱られたんだよ。ぜんぜん覚えてないのか?」
「あー、なんかあった気がする、ような……」

 正直なところ、父親に怒られた記憶というのが、そもそもない。自分で言うのもなんだが、勉強はそれなりにできた優等生で、素行で迷惑をかけた覚えもなかった。

 思春期にはそれなりに、親がウザいと思ったことはある。ただ親父には家業を継がせる気がなく、むしろ俺も似た思考をしているが、結局は「オレの仕事のジャマをするな」という職人気質なところが多分にあった。

 一通り、俺も菓子の制作は学んだが、褒められたこともなければ、もっと頑張れと言われたこともない。
 ただ自分のやりたい方針を尊重はしてくれたというか、まぁ好きにしろよといった感じで、昔から程よく放置気味でもあった。

 というわけで、実のところ、積もる話もない。
 
 日常的な生活にも、仕事にも接点はない。血の繋がりはあるが、普段は別々に暮らしている。

 家族でなければ完全な赤の他人だが、家族であるからこそ突き放しても間のある距離感は悪くない。
 こうして時間つぶしの話をしても、居心地はさして良いとも悪いとも言えない感じだ。平日の昼過ぎに淡々と茶を飲んで煎餅を食べ、お互い頭の中は明日以降の予定を考えている。

 テレビドラマの主役を飾るような人情味のある親子とは言い難い。単に話題がなく、次の目的地がひとまず同じ者。そんな距離。

「悪かったな」
「ん? なにが?」
 
 だからその一言には意表をつかれた。
 パリ。と煎餅のかわいた音が、いくらか大きく感じられた。

「やっぱり覚えてないしれんがな。お前があの時に言ってたんだよ。三丁目の田中くんは、うどん屋なのに猫飼ってるってな」
「……悪ぃ、まったく記憶にないわ。うどん屋?」
「今はコンビニになってるな」
「つぶれたのか?」
「それは知らん。まぁそれはどうでも良い」
「……………?」

 親父が何を言いたいのか分からない。
 とりあえず、田中というありふれた感じのうどん屋もまったく俺の記憶にない。すまん、えーと、田中、とりあえず謝っておく。

「でもさ親父、うちはあの時は生活用の住居と店が一緒だったろ。動物を飼えないって言ってた気持ちは分かるけど」
「衛生上、店に動物がいるのは悪いと思ってたんだよ。当時は売上が厳しかったから、俺もそんなに余裕がなかった」
「うちが貧乏だったのは記憶にあるけど」
「ゲームとか、マンガとか、なんも買ってやれなかったろ」
「まぁそうだけど」

 だからその分、俺は絵を描いたわけだが。
 手元に物が無かったので、友達との話題に中々入れなかった。ただ版権物の絵が描けると、それがコミュニケーションの道具に化けた。

 昔から、絵を描くことは。
 自分の『技能』なんだという強い自覚があった。それらも多分、両親の仕事や生き方を、直で見ていたのが大きいと思っている。

「最近になってショッピングモールだとか、地元コンビニにも得意先ができて、少しだけ手広くやれるようになったがな。たまに寝る時に昔の夢に見て、後悔するんだよ」
「猫なんか飼うなって、怒ったことを?」
「そうだ。あの時に猫を飼うのを許していたら、もしかしたらお前は絵描きになって無かったんじゃないかってな」
「なんでだよ、俺が子供のころから絵を描いてたのは、単に趣味と実益を兼ねてたからだよ」
「覚えてないか? お前が初めて賞を取ったのは、夏休みの作文コンクールのイラスト部門『長靴を履いた猫』だったんだがな」
「……んん?」

 つい首を傾げてしまう。親父が話す内容の核心が見えてこない。というのもあったが、

「よく覚えてんな……正直、本人の俺ですら言われなきゃ忘れてるというか……確かに小学生に何か賞もらった記憶はあるけどさ。そんなたいしたもんじゃないだろう?」
「なんだ。そんなもんか」

 そんなもんか。とか言われたら心外な気もしたが。

「実はあの時のことを、ずっと根に持ってるんじゃねぇかと思ってたんだがな。思い違いか」
「流石にないだろ。子供じゃあるまいし」
「子供だったんだよ。後先のことを考えず、いざとなりゃ、情に訴えりゃなんとかなると思ってる、認識の浅い子供だった」

 バリバリと煎餅を食った。こっちはちょっと呆気に取られていた。
 とりあえず親父の話を要約するとこうだった。

 当時の俺は、猫を飼いたいと言って怒られたので、あてつけに作文コンクールで、猫を主題にした物語の絵を描いて賞を取ってみせたのだと。
 それからも絵を描き続けてみせて、色々あって今はフリーのイラストレーターをやって生計をたてているのだと。

「考えの浅い子供が、そんな回りくどいことしないだろ、普通」
「だよな」
「……親父、あのさぁ」
「なんだ?」
「もしかしてなんだけどさ。俺が甘い食べものを苦手だとか言ってるのも、嘘だと思ってるのか?」
「嘘じゃないのか? 親の作ったモンがマズイなんてよ。親不孝にも程があるぜ、おい」

 見知った顔が、その時だけは不敵に笑った。自分の仕事にプライドがある。プライドを持てる、今の仕事を好んでいる。
 おたがいに職人気質なところがある故に、そういう悪いところは似ているんだなと改めて思わざるを得ない。

 俺は会社勤めの時代、退職前はそこそこの地位にいた。けれど他人の責任を自分が持つようになっていく内に、結局はその悪いところがパンクして体調を崩した。

 短い入院生活の間に、他に影響されない場所がひとつ、必要なのだと悟った。それはもはや、自分にも他人にもどうにか出来る問題じゃなかった。

「ニガテなんだよ。悪いけどさ」

 思えば、相手によっては、こういう遠慮忌憚のない意見を口にできるのもその特徴の一つだろう。

「親父の作る食べ物は、俺の口には合わない」
「そうか。やっぱり家業は継がせないで正解だったな」

 しのんだ笑いをもらした時だ。親父の携帯が鳴った。メロディだけは聞き覚えがあるが、タイトルも歌詞も出てこない。店で仕事してる間に、機嫌が良い時に時々口ずさんでいた。

「母さんからだ。一通り満足したから、迎えにこいとさ」
「わかった。車どっちが運転する?」
「若いのに任せる」
「はいよ」
 
 自分の仕事および生活圏の範疇以外は、割と適当なところも似ている。都合よく解釈すれば、すぐ隣にいる身内のことは、本人よりも気にかけているのかもしれない。それを長所に捉えられるかはともかく、新しい懸念がひとつ、俺の中に芽生えていた。

「……動物用の消臭スプレー、1本買っとくべきかな……」
「あ? どした? なんか言ったか」
「いやこっちの話」

 手を振って誤魔化した。電子キーを持って家を出る。

 俺の彼女には秘密がある。それは昔、自分の父親がどこかで思い悩んでいたものを、べつの形で認めるようになるのかもしれないと、心の中でひとりごちる。
 
(これも、縁みたいなものかな)

 人生を抽象的に俯瞰する。昔は小馬鹿にしていた価値観を、今になったどこか懐かしく思い描く。そういう時、生きているのも悪くないんじゃないかなと感じられるのだ。

ーー

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