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ボトルネックの概念と、悩めるエンジニアに終焉を(掌編)


  仮に、法則を無視できる『無限の水』があったとしよう。
 水の勢いは減速せず、あらゆる方角に向かって流れ落ちていく。それは留まることを知らない。留まることができない。

 水は加速だけを続け、やがては無限の速度を伴うことになる。そんな『無限の水』に向けて四方より『無限の頑強さをほこる壁』がゆっくりと迫っていた。

 思考実験である。

 有名な中国の諺に『最強の鉾と盾』があるが、仮に『最強』と仮定したニ物の硬度が同様であれば、必然勝つのは盾である。何故ならば、強度が同じ物体がぶつかり合えば、立体上での面積が、つまり体積が広い方が勝つのは道理であるからだ。

 両物が激突した場合、最強の鉾は、衝突時のエネルギーを手元である柄の方に向けて受け流すことになるが、その勢いは内で跳ね返り、やがて矛先の自壊に至るに通じる。少なくとも原型を留めてはいないだろう。

 対して盾の方は(仮に円形状の盾として、中枢に矛先がぶつかれば)勢いを三次元上に拡散し、均等とは言わずとも、その衝撃を矛先が得た衝撃以上の分散性に勝っている。すなわち原型を留めるに至る。

 さらなる例題を挙げれば、仮に同じ速度と硬度を伴い放たれた拳銃の弾丸と戦車の砲弾があったとして、それらニ物がぶつかり合えば、後に残るは戦車の砲弾に違いないというわけだ。

 が、前者の『水』と『壁』の思考実験になると事情が異なってくる。あらゆる方向に流動する無限の水と、それを押し留める無限の壁が拮抗した場合、接地し合う面積は事実上どこまでも等しくなるはずで、仮に両者の『無限性』が失われた時、接地面は完全な不可侵領域となる。

 不可侵の領域が現れることで水の勢いは止まる。流動と固定という概念が違えども、自身と同じはずの『無限の存在』と出会った時点で、水は永遠に『壁』を突破できず、やがて自身のエネルギーを完全に押し殺されて、さらなる外的要因が作用しない限り、自身では身動きひとつ取れなくなってしまうのだ。

 こうして『壁』という存在に四方に囲まれた『水』は『ただの水』に成り果てる。初めて世界の法則に従うことになる。位置エネルギーの概念に従って方向を持ち、四方の壁――『水を閉じ込める瓶』の向きに依存することになる。

 瓶を逆さにすれば、ただの水は上から下に落ちていく。『ただの水』に再び無限の力を与えても、瓶の口より大きな(仮に円形としてそれ以上の直径を上回る)質量を同時に吐き出すことは叶わなくなる。

 この世の初期設定なるべきものは、この状況下にある。あらゆる概念はすでに相互作用しており、四方を壁で囲まれているといって良い。

 『無限の水』は、最初から存在しない。
 出力には常に限界が設けられており、なんらかの法則に従うのが常である。

 この思考実験から産まれた『ボトルネック』と呼ばれる言葉は、昔から世に浸透している。

 ボトルネックは往々にして、あらゆる世の生産事情に関して、基本的には絶対に省けない過程の存在を示すと同時、どれだけ出力を上げても、一定値以上を超えることはできない。といえる。

 逆に言えば、一連の作業にて発生するボトルネックを見極め、その部分を改善していけば、おのずと作業効率があがっていくだろうというのが主題なわけだが……そちらの話はひとまずおいておこう。

 この物語の主題は『ボトルネックという概念そのもの』だ。

 命題は人間的な主観という主題を掲げてみた際に、最大にして絶対の枷となるボトルネックは何だろうか。ということだ。


 それは、時間である。
 

 人間として生きている以上、時間という束縛からは絶対に逃れられない。逃れられないはずだった。

ーー

 とある日、自称『科学者』が、インターネット上の個人生放送で口にした。
 

「人間の意識野に限定した〝ワープ装置〟を開発しました。これは現在のウインドウズのOSに起因したアプリケーションです。その他のプログラミングコードの中に埋め込んでも、だいたい起動すると思います」

「技術的なことを口で説明するのは難しいんですけど、機能だけ言ってしまうと、この〝ワープ装置〟のアプリに関連付けた、なにかの発信装置……なんでもいいです、xml程度のテキストボックスに「起動」と書いたボタンとかでもいいです。
 とにかく人が〝操作した〟と感じるコマンドの後に、このワープ装置が実行されると、その人が、その後に行う〝時間的制約を伴い、繰り返し行うだろう作業的な行動〟を【感覚的にスキップ】します。
 でも、貴方はそれを実際に行いますし、行ったことも覚えています。ただ面倒くさいこと、たとえば家を出た時に、携帯でこのアプリケーションを起動させるボタンを押せば、これから満員電車に乗って、会社へ行って、席をついて仕事を始める……それまでの行動が無自覚で行われ、気がつけば会社の椅子に座っている。そんな状況になります。フリーアプリなので、よかったらダウンロードしてみてください。では」

 妄言のような『科学者』が行った生放送は、真実だった。

 いや、正確に言えば数多の不具合を発生させた。

 科学者の作った『ワープ装置』は、現実ではまったく機能しなかった。しかし本物ではない、現実ではない世界のコンピューターゲーム、しかも特定のゲームジャンルにのみ、『リアル・スキップ』と呼ぶべきコマンドは作用した……。

ーー

「ごめんね、○○君とは、付き合えないよ。そんな風に思えない」


「なんでだよーーーーーー!!!」


 俺は机に突っ伏した。ディスプレイの向こう側にある、ギャルゲーのメインヒロイン向けて「ふざけんなよ!」とキレた。

「わかんねー! 選択肢のどれ選んでも、コイツだけルートに入らねー!! ああああぁぁぁ……貴重な連休が終わるうううぅっっ!!」

 世紀の神作と名高い「ギャルゲーの神」のスタッフが再結集して作られた『2』を遊んでいた。

 久々に取れた丸々二日の土日休みを「ギャルゲーの神2」に費やすことで、オレがどんだけ寂しい人生を送っているかはお察しの通りだ。まぁ割と、俺自身は現状に満足してるんだけど。してたんだけど。

「なんでや! かずさ! なんでなんや! 後はお前だけ攻略したら、後はもうネタバレ全開の掲示板やら、ブログやらで意見や感想を交換して、また明日から年末進行を行う社畜人生を満喫する予定だったのに!」

 だったのに!!

「日曜が終わるううぅぅ!! っていうかもう、月曜の早朝五時だあああぁぁ!! 一睡もしてないいぃ!! 寝てないわー!!!」

 生きてて悲しくなってきた。

 まさか週末の二日間で、この俺に攻略できないギャルゲーがあるという事実が悲しいっ!

 俺のプライドはズタズタだ。コナゴナだ。ドンガラガッシャンだ。寝不足で頭がもうろうとしている。

「……っ! やむをえまい……っ! ネタバレだが、すでに攻略を終えた同士らに、かずさのルートに入れた意見を募ろうっ」

 これから遊ぶゲームの一週目は、攻略情報も含めて、ほぼすべての雑記や感想をシャットアウトするのが、オレのジャスティスだ。今やその禁を犯し破り、攻略ウィキペディアにある掲示板を覗いた。


 ブラックアルバム2の
 北原かずさのルートにだけ入れません。
 助けてください。もうすぐ仕事です。つらい。


 ギャルゲーに心身を捧げた猛者によるスレが既に立っていた。スレは異常な勢いで伸びていて、同じくリアルタイムで、俺と同様の境遇にある猛者どもの書き込みが指数関数もかくやと言えるほど爆発的に増加していた。

 しかし、勢いのあるスレはそれだけではない。


 小木曽さん、せつなのルートにだけ入れない。
 同じ状況の人は、いらっしゃいませんか?

 
 後輩の琴子ちゃんにだけフラれ続ける。ね、ねむい……。


 有明先輩の犬にはなれましたが
 いつまで経っても恋人に昇格できません。無慈悲!


 メーカーにバグかどうかを問い合わせるスレ。 
 購入先、グランドエンディング見れた人の情報も募集中。


 現場は大混乱だった。

ーー

 普通に全員攻略できたけど。お前ら、割れじゃねーの?
 
 正規品です。ショップで買いました。
 クリアできた人、バージョン情報教えてください。

 1.0。ってか今のところ、修正パッチきてなくない?
 
 わからん。選択肢もそんな難しくなかったろ。
 と思って今やってみたら、俺もフラれた。なんでだ?

 かずさの選択肢って、たぶん、こうですよね?

 『かずさが気になる』
 『かずさ、一緒に帰ろうぜ』
 『かずさ、今度の週末良かったら……』
 『かずさの手を繋ぐ』
 『俺はかずさのことが好きなんだよ』

 だよね? どう考えてもこれ以外ないよね?
 でも絶対にフラれるんだけど、なんで?

 かずさルートクリア済み。たぶんそれであってる。はず。

 グランドルートいけない俺らの共通点って、
 最後まで残したヒロインが攻略できないってこと?

 ありうる。俺が残ってるの先輩だけだから。
 この女、性格がSの上にブスだから、マジイライラするわ。

 おまえ殺すぞ。先輩最高やろが。わんわん!

 犬エンド乙。

ーー

 そして日は昇り、俺たちのフラストレーションは開放されることなく、月曜日の朝がやってきた。俺は人生終わった気分で仕事に勤しみ、その間隙を縫うようにして、スマホで情報をチェックした。


 メーカーから返事。バグではなく〝仕様〟とのこと。

 仕様ってなんだ? 最後の一人が攻略できないのが仕様か?

 わからん。けど謎解きみたいで、ちょっと面白くなってきた。

 俺が仕事から帰るまでに究明しといてくれよ。お前らならやれる。

 ツイッターの広報からもお知らせきたな。
 〝とある仕掛け〟がしてありますとさ。

 仕掛けってなんや。
 それ解けたら琴子ちゃんの花嫁衣裳を見れるんか?

 もう先輩の犬でいいよ、むしろ犬だよ。オレは。

 調教乙。

ーー
 
 俺たちは一致団結していた。そして昼と夕方の中間ぐらいの時間に報告があがった。夜勤とか、ニートとか、自宅警備員なのかもしれないが、そいつは紛れもなく、俺たちにとっての英雄だった。


 〝リアル・スキップ〟を使わなかったら、いけた。


 リアル・スキップ。

 正体不明の自称『科学者』が発明したアプリだった。俺たちは、それをワンクリックして起動するだけで【人間の認識のみに限定し、特定の瞬間まで読み飛ばす】という、まったく意味不明なソフトウェアだ。

 本人は初めて発表した個人放送の場で『ワープ装置』という、実に子供っぽい名称をつけていた。

 半信半疑でダウンロードした者らは、すぐに失笑した。
 何も起きなかったからだ。アプリを直接操作して何も起きなければ、べつのソフトウェアのコードから実行しても、やはり何もおきない。

 本体のサイズは極小で、ただの悪戯に違いないと思われた。ただ一点気になるのは、その『ワープ装置』をバラせない、解析ができないということがあった。

 きっとカラッポに違いない、ハリボテだけの中身。単なる表面上だけのダミーファイルを解析しようとしても、それが『何故かできない』のだ。

 一切の解析ソフトやツールを無効化する。

 本体のサイズは極小で、データファイルも何もない。それこそアイコンのデータサイズだけとも言い切れる容量なのに、絶対に中身が覗けない、さらにアプリを起動した時に、他と通信しているような形跡も弾かれる。

 最近まで、極一部の人間だけが知る、限定的なネット上の七不思議とも言えるような話だった。しかし、とあることをキッカケにこの七不思議が広まった。

 『ワープ』が起動した、というのである。

 ギャルゲーの「スキップ」コマンドに関連付けてみたら、いつのまにやら、目の前に選択肢が現れていたというのである。

 ノベルゲームにおける最大のボトルネック。

 『既存の文章のスキップ』

 人間の意識ごとひっくるめて、次の選択史までカットする。それに伴う現実時間は進んでいるし、本人の実体もまた、スキップした意識を含めて、連続した実時間の延長戦上にある。
  
 思いだそうとすれば、既読スキップした間の数十秒、あるいは数分の間におきたことを思い出せる。

 しかしスキップした――『ワープ』した――瞬間には、表層上の意識は『次の選択肢』に到達している。

 オレたちはそれを眺めている。本来は省けないはずの、絶対的な作業における最小単位の無駄を『省略した』ことになっているのだ。

 単なる「勘違いなんじゃないか」と言うかもしれない。

 だが、最初はお遊びで、開発中の試作版に『リアル・スキップ』としての機能を取り入れたギャルゲーは、後に体験版となり発表された。

 当然ながら、体験版を遊ぶような熱心な連中から『リアル・スキップ』ってなんじゃいと思われたが、それをクリックした熱心なギャルゲーマー達は一様に感動した。


 や、ヤベェ。マジパネェよ……
 この機能、チョー便利じゃん……。
 

 ノベルゲームの制約上に発生する『共通のテキストを繰り返し読まされる苦痛』は絶対に取り除けない。だから本来は二度目以降はスキップするのだ。

 その間は暇で仕方ないので、ギャルゲーマー達はコーヒーを読んだり、ライトノベルを読んだり、スマホをいじったり、洗濯機を回しに洗面所に行ったりする。

 しかもうっかり選択肢を間違えて、そのことに後から気づいたらば、またやり直さなければいけないので、洗濯を干しにベランダに出たりする。

 つまり『リアル・スキップ』をすれば、一瞬で次の選択肢は見えているのだが、手元のコーヒーはやや冷めていて、ライトノベルは一章分を読み進めて栞がはさんであり、スマホはスマホで、洗濯を干した記憶はあり、今頃は気持ちよさげに風になびいているのだろうな。とちょっと詩的な表現をする余裕があるのだ。

 便利であった。人体に影響はないのかとか、倫理的な問題だとか、そもそもなんで『ワープ』がギャルゲーのテキストスキップだけに作用されるんだろ。おかしいだろ。

 といった当然の疑問は却下された。

 だって、便利だから。その一言に尽きた。

 以来、ネットの口コミを通じて、ギャルゲーの『ワープ』機能が人々の間に深く知れ渡ることになったが、まさか政治家も『未知なるワープ技術が人類にどのような影響を及ぼすのか分からないので、ギャルゲーにリアル・スキップを取り入れることを禁止する』とは言えなかった。


 その機能を、裏目に取られた。

 『リアル・スキップ』を、最後に残ったヒロインの攻略に駆使した場合、どんな選択を選んでも絶対にフラれる。というプログラムを組み込んでいたのだ。


 「うん。私も、○○のことが好きだって、
 ずっと前から思ってたから……」


 その事実が判明した翌日、俺たちは無事に結ばれた。
 エンディングは泣いた。最高だった。生きてて良かった。

 謎が明かされた当初は、ふざけんな、スタッフ死ね。
 と思ったが、今ではすべてを許せる気持ちになっている。

 これを皮切りに『リアル・シナリオスキップ』を選んだらどうなるかという、ボトルネックそのものをシステムの一部に組みこんだ、実験的なシナリオが試みられるようになる。


 つまり、これの事である。

 (了)

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