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AI.ラテ・アート(掌編)


 人は何かを思考するときに、その単位時間あたりに限られた思考力のおよそ9割を『記憶の想起』のため無為に費やしている。

 これが、二十一世紀に初めて「思考加速装置(シンクミッション・アクセラレーター)」の原理を発表したスイス人発明家の主張であったらしい。

 彼の論によれば、人は何を考えるときも、まず知識や経験が想起されてから始まるのであるという。

 それらを土台に〝思索する〟という行為が、他の様々な知識および経験との掛け合わせである以上、脳の単位時間当たりの想起速度によって、人間の本来発揮しうる知的労働力の生産性は制限されてしまっていることになると述べた。

 そして「思考」とは極めて個人的な内的作用である。
 当然そこに他者による補助がえられることはありえない。

 かのスイス人発明家の主張に従うのであれば、個人の時間あたりの知的労働力はその9割までもが、思索作業そのものではなく、思索に用いる材料である知識や経験を脳の記憶野から引き出す時間に費やされていることになる。

 これは本来なら人類が発揮しうる時間あたりの知的能力が、記憶という補助的な機能の制限によって、わずか十分の一にまで著しく制限されていることを意味する。

 彼の提唱した「思考加速装置」とは、その限界打破のために提唱されたコンセプト・モデルである。

 それは当時急速な進歩を遂げつつあった情報処理速度を駆使して、人間の思索を正確に予測し、その時々に必要とされる知識を『人間が想起するよりも早く』サジェストすることで、人間の知性を純粋な意味での思索にのみ集中させることを可能にする機械のことだ。

 理論上は最大で十倍にも達する知的労働力の劇的な向上を望むことが出来るとされていた。

 しかし思考加速装置への依存は大きな問題も孕んでいた。装置が高度化し、本来は個々人で差異のある人間の記憶力により依存しない作業環境が整えられるにつれ、記憶障害や様々な意識障害を患う利用者が増加し始めたのである。

 特に前向性健忘の発症率と弊害は社会的にも甚大だった。うつ病や神経症の併発に留まらず、加速装置の網膜投影機を外しても、サジェストが見えるなどの幻覚症状や、中には常に幻覚と幻聴に悩まされ、連合障害から果ては統合失調症を発祥する者まで現れるようになった。

ーー

 俺は元、プロのカードゲーマーだった。
 それを『職業』と呼べるかは微妙なところだし、世間では耳にしたことがない者が大半だろう。

 現代のクリエイターによってデザインされ、世界的な知名度を誇るに至ったカードゲームの大会の賞金額は莫大だ。時に一千万(ドル)を超える賞金を手にして、大金を得ることが叶った者もいる。

 勿論そんな奴らばかりじゃない。実績は出しながらも、莫大な富を得るところまではいかないから、コラムニストになったり、ゲームライターとしての副業を得て、なおも夢を見ながら生きる奴らも相応にいる。

 ともあれ、古来のシンプルさを追求した「ブラック・ジャック」や「ポーカー」といったゲームがそうであるように、道を極めたプロ同士の試合というのは、まず間違いなく『勝率が6割を超えない』。

 5割5分。

 コミックの主人公ならば、どんな相手がこようと最後には必ず勝つのが定石だが、実際は熟知した者らが対面で競い合えば、数をこなしくていく程に確率は収束する。

 頂点の座にいる者ですら、勝率は『55%前後』というのが通説だ。何故そうなるかと言えば、カードゲームは基本的に、山札からカードを引くという融和性(ランダム性)による展開が避けられないからだ。

 人はどんな時にもダイスを振る。同時にダイスを振られた結果を受け止めねばならない。望まぬ結果にもまた、試合の優勢が傾けられる以上、おたがいが『最適手』を選び続けようとも、どこかで必ず、明確な勝ち負けの差が現れるのだ。

 さらに人間である以上、どれだけ熟知しても、必ずミスは起こす。通常の『ゲームの上手い人』が百分の一の確率でミスを起こせば、プロゲーマーの勝率というのは、同じことを千分の一の確率で起こすか、あるいは億分の一の確率で起こすかの差だ。

 最終的にはミスを起こさないものが多く勝つ。その微々たる精度の差を、特定の『ゲームと呼ばれる世界』で追求してきた生き物の一人が俺だ。

 かつてプロのトップクラスまではいかずとも、一応はゲーミングPC等を提案するスポンサー企業から、チームとして引き抜かれたり、ゲーム雑誌のコラムを書いたり、イベントの実況を仕事として依頼されるほどには知名度があった。

 そして当時、そのスポンサーに繋がりある企業から一件のメールが届いたのだ。内容は、新規VRマシンの思考加速シミュレーターのテスターに参加してみないかというものだった。

 2016年10月に発売されたPSVRを皮きりに、世間ではいよいよ本格的な『VRゲーム』が流行するのではないかという噂が、ゲーマーの間では持ち切りだった時代だ。

 俺も一人のゲーマーとしての単純な興味心からと、『思考加速シミュレーター』とかいう、なんか響きがカッケーなという思いから、深く考えずにテスターになることを許諾した。

 他にも最先端マシンの体験記や諸々の機能を、後に許可を得てゲーム雑誌の一部に記載して、食い扶持を得てやろうという思惑もあった。

ーー

「――私は〝持っている〟人間はいないと思ってる」

 シホは言った。

「運命にだけ頼ったものは、いつか破滅するわ」
「それは分かるさ。だがまっとうに生きていたって、とつぜん破滅しないとは限らないぜ。だから保険っていう商売が成り立つんだ」
「……貴方には何か保険があるっていうのかしら?」
「無いね。昔はむしろ、それを売る側――押し付ける側だったな」
「まっとうだったのね」
「平凡だったよ。フツーに生きてた。いろんなゲームが趣味な普通の人間で、大学を卒業して就職しても休みの日にはゲームしてた」
「どうして、保険の仕事を辞めたの。仕事はつまらなかった?」
「いや、むしろ割と楽しんでた。契約取るのって結局は、相手が何を考えてるのか知ることなんだ。特に内心で不安に思ってることを知るのが大切で。自分が持ってる手持ちのプランを引き合いにして、そこを上手く突けるかどうかなんだよ。それに運もある」
「貴方に運があるかどうか?」
「いや、むしろ、相手側に余裕があるかどうかだよ。相手の人生が上手く回ってる時は、ついでに俺のプランに乗ってくれるんだ」
「そういうのは、貴方自身にツキがあるとは言わない?」
「他の奴もそういうけど、俺の考えってそこんとこ逆なんだよ。相手の持つ運命が、俺の選択肢を広げてくれて、結果成功する」
「貴方の考え方って、プロデュース職とか、雑誌の編集者みたいな考えに近いわ」
「そうそう。基本的に依存するタイプなんだよ。だからかな、ずっと趣味のゲーム、それもちょっとコアな対戦中心のやつを、大人になっても遊ぶ癖が抜けなかったのは」
「勝ちたかったのね?」
「あぁ。自分の手で、明確な〝勝利〟っていうビジョンを掴みたかったんだ」
「それで転職してしまったわけね。一人で、勝手に。私には何も知らせずに、一切の保険を用意していなかった」
「……」
「貴方は最低の人でなしよ」
「……」

 最近になって、昔の夢を見る回数が増えていた。
ーー

 50万人以上の来場者が収納できる特設ホール。会場の上には特設された舞台に、孤立した衝い立てを挟み、ヘッドホンをしたプレイヤーが二人、配られた初期カードの3枚を睨みながら熟考していた。

 大型スクリーンには二人の様子と手札が同時に映されている。1手、1ターン、後戻りできない選択をする毎に熱気が迸る。

 外部の声を完全にシャットアウトした、ゲーミングPCと繋がったヘッドホンから聞こえてくるのはゲームのBGM。それでもなお、人が放つ熱気を含めた気配というのは、ヒリつく様に伝わってくるものだ。

 ――たとえそれが〝仮想現実〟であったとしても、だ。

(すげぇな、これがVRって、マジかよ……)

 俺は完全に震えていた。現実の試合でも、さすがにこれ程の舞台に立つことは滅多になく、むしろあの場にいる大勢の観客や、チーム選手の控えとして、同じように見上げることしかできなかった。

 その場に、現実でないとはいえ、座っている。五感を含めた全身に低温火傷でもしそうなヒリつくようなプレッシャーが絶えず押し寄せる。ひとつの行動をする度に、VRの観客からどよめきが伝わるのが分かる。中盤から、最善の手を打てているのかすら、曖昧になる。

 ――勝者、KAZUYA選手!

 相手のライフポイントを削り切り、会場の歓声が最高潮に達する。思わずガッツポーズを作ったところで映像がブラックアウトした。

「――やぁ、おめでとう」
「……」

 そこは、四方を白い壁と天井に囲まれた部屋だった。あるいは俺の苦手な『歯医者』を思わせる清潔感のある空間だ。

「VRデバイスを外すよ。動かないよーに」

 寝かされた椅子。それから固定された最新のVRヘッドデバイスが白衣を着た研究者の女性に渡されて、専用の台座にしっかりと固定された。

「どうだった?」
「……ヤバイですね」
「マ~ジ、パないでしょー?」
「リアル過ぎて凄かった」
「もっと言っていいよ。あ、血圧用のそれも外すね」

 両腕に固定された、病院でよく見る血圧と心拍数を計るアームバンドもペリッと剥がされて、俺はやっと椅子から立ち上がった。口調軽めな女性の研究者が続ける。

「とりあえず、本日は新ハードデバイスのお披露目会ということで。加速装置に関してのモニタリングは後日改めて行いますね」
「わかりました」
「あと、この新デバイスに関しての感想とかは、絶対に外部に漏らしちゃダメですよ。ツイッターしただけでも、テスターからは外しますからー。私たちしっかりチェックしーてーまーすーかーらー」
「……わ、わかりました」

 ただ、最初は興奮冷めやらぬ、この気持ちの押しつけどころが見当たらず、翌日がひたすら待ち遠しくてたまらなかった。

ーー

「皆さま、先日は思考加速装置(シンクミッション・アクセラレーター)のテストにご協力頂きまことにありがとうございます。私はデバイス開発主任の水島ヨルダと申します」

 今までにない、鮮明な仮想現実の映像を見せられた翌日のこと。俺を含めた数名のプロゲーマー達は、国内でスポンサー企業を務めるオフィスビルの一室に集まっていた。

「先日のVRデバイスのビジョンに関してですが、当企業のHDデバイスには『記憶』分野による『思考融合検索法(シンクミッション・リンクシステム)』という概念を取りいれています」

 先日の白衣を着た、若い女性だった。今日はスーツを着て意外としっかりした感じに解説しているが、特有のゆるさを感じさせる声と、若干の寝ぐせ。普段は身だしなみに気を使ってない感じが凄かった。

「ところで皆さんは〝反応条件〟と〝反射条件〟の違いって、ご存じですか?」
「前者がロジカルな思考をしてから行う動作で、後者がヤベェからとにかく動けってやつっしょ?」

 集まった中で、とりわけ若そうな一人が言った。

「正解ですー、やっぱり日頃から意識的にやっていらっしゃる方は、理解が早くていいですねー」

 教師役の仮面が砕け、軽い感じに戻ってきた。

「ではもう少し説明を続けますね。その〝反射条件〟に関してもですが、厳密に言えば『人が反射行動を取るに至るには、その類の危険を経験していないといけない』というのがあるのは分かると思います。
 たとえばの話、テロリストに銃を向けられたら死ぬのが分かっていても、普段から軍事経験のない人間は何もできません。怖くて、というのもありますが、実際に前例がないので〝反応条件〟になってしまい、いろいろと考えてしまうわけですねー』

 例えが物騒だなと思ったが、間違いなく見た目は日本人の研究者である水島という女性は、もしかすると普段はアメリカの方で研究しているのかもしれないと思った。

 あらゆる最新ゲーム機や周辺機器に関する研究や技術、それからマスメディアの理解や展開も、洋画や宇宙開発と同じで、ヒトとカネが膨大に集う米国に一日の長があるのは、もはや常識となりつつある。

「しかし先の例では、銃口を向けられて撃たれたら。という経験をした人間は、ぶっちゃけ百人中百人が、とりあえず〝反射的に避けるようになる〟でしょう」
「フツー、それが正解すよね。身を守るためにっつーわけだから」
「そうなんです。ただし、もう一つ別の例をあげてみましょー」

 そう言って用意しておいたホワイトボードに、赤のペンで形容しがたい生き物を書いた。集ったテスター全員から疑問があがる。

「先生、それ新しいクリーチャーですか?」
「能力はなんですか?」
「コストいくつ?」
「失敬な。これは犬です。ドッグです。柴犬です」

 とてもそうは見えなかった。謎のクリーチャーの下にわざわざ「KAWAII」と付け足す。

「えー、さて、この中に犬が嫌い、あるいは苦手な方はいらっしゃいますか?」

 手をあげたのは俺だ。

「子供の時に噛まれたことがあって、それ以来苦手です」
「いいですねー。えーと、カズヤ君? 理想の答えですよ」

 噛まれた俺にとっては、なにもよろしくないと思った。

「貴方の記憶は、これから出す設問には完璧でしたよ。たとえば君が町中を歩いていて、とつぜん物陰に柴犬が潜んでいたらどうします?」
「いや、べつに何も」
「何かしましょうよ」
「苦手なので無視します」
「そこは、怖いので反射的に身を守るというところでしょう!」

 室内に笑いが起きる。先ほどの若い奴が「先生それは無茶振りです」という声もでる。だよな。

「えー、でもですねー、たとえばー、犬に噛まれてトラウマになってるような人なら、偶然物陰にわんこがいたら、ビックリすると思うんですよねー。思いませんかー?」

 なんか拗ねている。とことん教師には向いてないな、この人。

「水島さんの言いたいのは、過度に犬に対する苦手意識があれば、反射的に身を守ってしまうかもしれない。犬自身に攻撃するつもりが無くてもということですかね?」
「そういうことなんですよー。つまり〝反射条件〟というのはですね。〝反応条件〟を、人の記憶野に上書きしたものであり、昇華する、あるいは変化することが起きても、原則として〝反射〟を〝反応〟に戻すのは不可能なんです」
「でも、反射的に行動して失敗したから、次は慎重に行動して、失敗しないようにするというのはありますよね?」
「それはよく混同される過ちですが、原則として〝反射条件〟とは、身を守るために行われる行為です。火傷するレベルの熱いヤカンに触れたら、どういう状況でも手を離しますよね?
 触れたら火傷するから気をつけよう。という風に考えることはありますが、触れてしまった時に、反射的に手を引っ込めるというのは、経験から予測される最優先の動作で、そも思考が含まれるという余地がないんです」

 それは分かるが、結局のところ、彼女がなにを言わんとしたいのか分からないなと思ったら、

「先日に体感してもらったVR空間は、ロサンゼルスで行われた舞台を元に、当社の3Dデザイナーらが開発したものですが、生のライブ感とも言うべき熱気や雰囲気は、実は貴方たちが体感した『記憶』を元に再現したものです」

 集っていた一室の空気が変わった。

 ――俺たちの記憶を元に。あの雰囲気を。まさか、そんな事が?
 
「それが最初に説明した『思考融合検索法(シンクミッション・リンクシステム)』です。おそらく皆さんが生々までに感じたあの舞台は、国内の代表者を見守るまでの地位を得た貴方方であるからこその臨場感です。
 テレビやネットの配信でしか見た事がなく、さらには単なるゲームの3D映像だと思う人には、あの熱気は伝わりません。これは比喩ではなく、その人らには『該当する記憶』がなく、我々の開発したリンクシステムが作用しないからです」

「……本当にそんなことが?」
「先日、ご覧頂いたものがすべてです」

 しん。とさらに静まり返った。

「そしてここからが本題です。我々は現在の装置を仮名称で『リンク・ギア』と呼んでいます。先も説明した通り、従来のVR映像に加え、人の記憶領域から臨場感を呼び醒ます『思考融合検索法(シンクミッション・リンクシステム)』
 さらにそれを応用し〝反射条件〟の速度を伴い、ロジカルな〝反応条件〟式を可能にする、思考加速装置(シンクミッション・アクセラレーター)を内包しています。
 それはすなわち、仮想現実内で、前提となる〝反応条件〟を〝反射条件〟として上書きしておけば、仮に現実世界で初めて銃口を向けられた人間も、とりあえず〝反射的〟に回避することが可能になりますし、犬が怖くて仕方がない人は、敵意を持っていない普通の犬に、過剰に怯えることもなくなります。
 そして瞬間的な判断を、ロジカルに繰り返さねばならないプロゲーマーの皆さんは、この『リンク・ギア』によって、絶対にミスを起こさない、常に最適手を放てるようになる。かもしれません」

『…………』

 一様に話を聞き終えたが、全員がしばらく黙っていた。現実味のない話だ。なんというかあまりにもリアリティが無さ過ぎる。

 しかし同時に、先日の凄まじいリアリティのあるVR映像を見せられては、荒唐無稽とも言いきれなかった。彼女は間違いなく、その点も考慮していた上で発言を行ったのだろう。

「先にお伝えしておきますが、リンク・ギアのアクセラレーター実験には、すでに開発者の方で一通りのテストも済ませています。脳の記憶野と神経を酷使するので、長時間利用による弊害は起きますが、このぐらいの利用ならば問題はないだろう。という目安も立っています。
 ですが、我々はあくまでも『反射神経には優れていない研究者』であり、ロジカルな思考の反応速度に優れた、プロゲーマーである貴方方がテストを受けた場合、問題が起こらないとは絶対には言いきれません。
 ハッキリ言っちゃいますが、このテスターはいわゆる、新薬の投薬実験のようなものです。参加する場合は、新たな契約条件を付与させて頂きますし、不参加の場合でも、内容を口外することに関するペナルティを付与させて頂きます。具体的には貴方がたのスポンサー契約を、今後一切保証しない可能性があります」

『…………』

 ――新しい、オモチャが遊べるだけだと思ってた。

 誰もが次の『最善』を探索していただろう中で、まっさきに手をあげたのは俺だった。

「水島さん、今後他の企業が、リンク・ギアの様な特性を持ったVRデバイスを開発する予定はありますか?」
「無いと思いますか?」

 質問に質問で返された。すなわちそれは言外に『ある』と言っているに等しい。最先端のサポートを伴うことができなくなった者から脱落していくのは、現代のスポーツ競技と同じだ。

 伝統は悪し。とは一概に言えない。しかし従来の価値観のみに縛られているもの、革新のない世界観は、常に情報が共有された現代において廃れるのが早い。支援を受けられないものは遠からず終わる。

「参加します」

 だから迷わず言った。面白いじゃないか。
 俺はあの時から、ずっと勝ちに飢えていた。

ーー

 カードゲームやギャンブルといったものに留まらず、勝負事と呼べる行為において必須なのは、結局のところ一点のみだ。

 自分の実力を出しきること。
 言い変えるなら、前のめりにならないこと。

 ここまで勝てば今日は辞める。ある程度に負けても辞める。株を取り扱うトレーダーには『損切』と呼ばれる行為があるが、一定額以上の負債をおった時点で、すっぱり手を退くのが要と言われている。

 負けた分、すなわち負債を取り戻そうという思考は、その時点で既に前のめりになっている。

 勝負事は本当に特別な人間を除き、自分の実力に相応しい環境の中で5割5分に収束されていく。であれば、長期的な視点でそこに近づいていけばいいわけで、短絡的に「これだけ勝てば負けが取り戻せる」という思考になった時点で、大概がろくな目に合わない。

 ――が、分かっていても、それが一番むずかしい。

 流行となっているデジタルカードゲームは、運が絡むので、初手の引きが悪いと、場合によってはトッププロでさえ、序盤から何もできずに素人にやられてしまう状況も起きる。

 それでは視聴者もつまらないし、盛り上がりにも欠けるため、賞金のある大会ルールでは概ね、三本先取や五本先取が採用されている。

 無論、デッキの組み合わせ次第やプレイング次第で、運の要素をリカバリーするのも腕の見せ所だが、稀にどうにもならない要素が絡んでくるのは、選手であるプレイヤーの俺たち自身が一番よく知っている。

 そういうわけで、序盤に何もできず手番を譲るしかない状況を「事故った」等と表現する。事故った相手を一方的にたたみかけると、実際勝ちが拾える可能性は高い。だがそれは、こちらが以降も「事故らなかった」場合の話だ。

 基本的に『山札から一枚引く』という概念の主流派のカードゲームにおいて、自分の手番には自然とカードが一枚増えることになる。さらに相手より有利になるには、カードを一枚以上使わねばならない。

 相手が序盤に「事故って」こちらが有利になっても、自分の手札は相手より二枚以上も少ないことになる。つまり、途中でこちらが「事故ってしまうと」、勝敗の優劣を決める中盤戦において、こちらは差し引き、カード二枚分の選択肢が失われた状況になっているわけだ。

 前のめりに攻め続けると、中盤から状況がひっくり返り、逆転負けする可能性も低くない事は、なんとなく分かってもらえると思う。だが、緊張感あふれる試合の最中には、気づかないことが多い。

 録画したリプレイを見れば、実に分かりやすいミスプレイを犯している。そのような状況で2勝2敗となり、最後の大一番では逆に慎重にプレイしすぎて負けた。という事が平然と起こりえる。

 どんな超人的な人間でも、人は機械にはなれない。過去、あるいは直前の『記憶』に縛られてしまう生き物だ。

 そういった事柄を総括し、個人の勝負論を〝文章〟で論理的に説明していけば、俺の勝負論とはつまるところ一般論と大差がない。それ故に『リンク・ギア』のシステムは、理に適っていると感じた。

 人の『記憶領域』を参照に、3DCGのVR映像に臨場感を付与する『思考融合再現法(シンクミッション・リンクシステム)』

 これは単純に、大舞台の環境を普段から体感する事で、雰囲気に呑まれずに、いつも通りのプレイングを行う効果が期待できる。それは従来のイメージトレーニングを遥かに凌駕するだろう。

 そして『思考加速装置(シンクミッション・アクセラレーター)』とはすなわち、俺の〝いつも通りの実力〟を、どのような環境下でも【反射的に行える】という事になる。

 つまり、現在の状況に勝っていても必要以上の欲は生じず、逆に負けていても、前のめりにならずに、淡々と本来の判断を行えるわけだ。

 『リンク・ギア』が産みだす仮想環境は、ゲームに勝てるようにするといった意味合いで理に適っていた。この特性を応用していけば、水島さんが説明した犬に対する恐怖心を含めた、苦手意識(トラウマ)を改善する目的など、医療関係を目的とした転用にも繋がるのだろう。

 そしてVRシミュレーターのテスターを続けて半年後、世界的に有名なカードゲームの大会が開かれた。俺は予選トーナメントを突破した。幾度も繰り返された環境と等しい席に着き、最高視聴者数が2千万を超えた現実の衆目が集まる中で、優勝した。

ーー

 一度の大会での最高賞金獲得額、日本円にして、2億5千万。
 その他に出場した大会の賞金総額を超えると、5億に近い。

 さすがにここまで稼いでみたら、基本的には『ゲーム』を批判的な目線で取り沙汰する方が数字が取れると思っている、日本のマスメディアにも好意的

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