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咲坂さんは恋愛の神かもしれない。③


 サイコパスと呼ばれる症状がある。詳細には様々な解釈の仕方があるが、一般的には『普遍的な思考ができず、結果として社会的な事件を起こす犯罪者の頭の中身』だ。

 日本ではやや近い意味合いで『空気が読めない』といわれる人間がいる。人目を気にせず、迂闊な発言や行動をしてしまうその人を指すのであれば、僕は間違いなくその一人だった。

 平然と無茶をしてしまう。小学生の頃、調理実習の時に、男子がふざけて、積んでいたノート数十冊に油と火がこぼれ、炎が上がるという、ちょっとした事件が起きた。

 予想外の火は、本能的に人間の心理に『恐怖』を与えるらしい。

 男子は青ざめて、女子は悲鳴をあげた。普通の思考なら、ノートに水をかければ良い。たぶん、その場にいた誰もが考えた。続けて水をかけるのに最適な『入れ物』を見繕おうとする。

 ――鍋、茶碗、大皿。

 鍋は肉じゃがで埋まっていた。誰かがパニックになって、鍋の中身を捨てて水をぶっかけろとか言い出した。それはもったいないと頭では理解しながら、何人かが同意する。その前に、

「よいしょ」

 僕は自分の手を水道でぬらし、炎上するノートを両手で掴んでいた。掴んでから、上着の長袖に火がうつりそうになるのに気づいて、そうか、長袖を脱いでぬらして乗せれば良かったと思った。

(初めての事態で考えが追いつかなかった。次からはそうしよう)

 僕は流しの中にノートを置いて、蛇口を全開にして、真上から水をぶっかけた。火は何事もなく消えて、両手には多少の火傷ができたけど、機能に問題が起きるような事は無かった。

「つ……月島くん」
「ごめん、先生。みんなのノート使えなくなっちゃった」
「いや、そうじゃなくて……だ、大丈夫?」
「平気です。保健室に行って薬もらってきますね」

 まだ新人に近い、先生の顔が青ざめていた。きっと、管理不行き届きで叱られるのを恐れているのだろうと、僕は判断した。
 
ーー

 サイコパスに、社会適合性が無いとは限らない。自分の感覚はどこかおかしい。普通ではないという自覚があれば、表向きを生きていける。要は『現代社会で空気を読もうとする感性』があれば良いわけだ。

 実際、僕はあの件を機に『普通の人が無茶だと思うこと』をしなくなったし、物事の損得を長期的なビジョンとして捉えることで、誰かの役に立つことを覚え、周囲からの信頼を積み重ねる方法を学んだ。

 ただ同時に、あまり空気を読むことに気を使い過ぎると、口数がとたんに減り、なにを考えているか分からないと評されてしまう。その辺りのバランスは、僕にとってひどく難しいところだ。

「――高木って、咲坂さんが好きなんだろう?」

 だからつい、言動がストレートに飛びだす。

「な、何故分かった!? 月島すげぇな!?」
「そこで言い訳しないのが、高木の凄いところだよね」

 中学からの友達――たぶん友達――の高木夏は単純だった。バスケ部の、夏の県大予選の決勝で負けた時は、周囲に憚らず泣いていた。僕はまったくそういう気持ちにはなれなかったが、せめて悔しそうな顔は取り繕った。

「悪かった! 実は咲坂さんのことが知りたくて、情報を知っていそうなお前を利用していたっ!」
「……いやべつに、利用されてるという感覚は無かったけど」
「そうなのか? 俺は後ろめたいなと思ってたんだが……」

 その感覚もさっぱり分からない。同じクラスで、同じ部の高木は、僕のような人間とは真逆だった。捨て猫を拾って帰るような根っからの善人というやつだった。けども、

「高木って、顔が怖いよな。もしかしてコンプレックスとかある?」
「唐突に俺の容姿に触れてくれるなよっ、月島ぁ!」
「ごめんごめん」

 仁王もかくや、バスケではボールを持ったり、マークするだけで、それなりに相手にプレッシャーを与えられるという、とても便利な顔立ちだ。

 ただし本人のメンタルが貧相すぎて「コイツたいしたことねーじゃん」とバレると、まったく役にたたないという弱点も兼ね備えている。声がデカいのも、単に気が弱すぎるという事の裏返しだ。見た目は肉食系だが、中身はもやし。それが高木夏という男子だった。

「ところで高木、今度の日曜は暇かな?」
「ん? 空いてるが……」
「じゃあ、今度の日曜さ、マチ――僕の彼女とデートする予定なんだけど」
「自慢かっ、月島っ!?」
「話は最後まで聞こう。その映画、マチの友達の咲坂さんも見たいって言っててさ、高木も一緒に来ない?」
「なん……だと……」

 中学の制服を着た、仁王像が震えていた。放課後の帰り道で、唐突に両手をあげて無言で吠えていた。

「月島ぁっ! おまえって良い奴だなあああぁぁっ!!」

 僕は内心で思った。将来、高木みたいなのを部下に持ったら、人生を楽に生きられるんだろうなぁ。

ーー

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