「レンアイ・デバッグ」
VRゲームの人工知能『ハルカ』。
彼女に付与されているプログラムは、一つのみだった。
〝プレイヤーを否定しないこと〟
この一点に尽きた。
ハルカ:
「――えっ、アキラさんのおっしゃった〝バッハ〟って、元々は物理的な衝撃を吸収して和らげる緩衝器の意味であって、コンピュータなどの情報処理機器の中で電気的に似たような働きをする部分に対して用いられるものじゃないんですか~っ!?」
アキラ:
「それは〝バッファ〟だよ、ハルカさん……」
ハルカ:
「そうだったんですね。じゃあ、バッハの本来の意味ってどういうものなんです?」
アキラ:
「私の言ったバッハは、著名な音楽家だよ」
ハルカ:
「あぁ、なるほど、それで! この前のお話でオーケストラの話題を出された理由がやっと分かりましたよ~!」
アキラ:
「うん。お友達の演奏会で呼ばれてね。オーケストラは普段聞かないんだけど、とても良かったよ」
ハルカ:
「わぁ素敵。それと勘違いしてごめんなさい。わたし、てっきり〝バッファ〟だと思って聞き間違えて、AI用のネットデータベースで検索してました」
アキラ:
「だろうねぇ」
ハルカ:
「それで、オーケストラの音楽から発せられた〝波〟が、なにか神経にリラクゼーション効果があるのかを必死に分析しちゃってたわけです」
アキラ:
「あはは。ハルカはバカだな」
ハルカ:
「もぉ~、そういう事言わないでください~っ」
ーー
人は完全なモノよりも、より不完全な〝それ〟に魅了される。
ーー
2028年度発売のVR恋愛ゲーム。
『最果てなる時の彼方で(略称:サイハテ)』
それは、近未来から現代へとやってきたヒト型の人工知能『ハルカ』と、VR世界(ゲームの中ではリアルという設定)で、彼女とコミュニケーションを取りつつ、仲を深めていくという内容だった。
――まぁ、よくある『恋愛シミュレーションゲーム』だ。
VRゲームというジャンル、あるいはその周辺装置が、一般的なゲーマーにまで普及され始めた当時、比較的に内容を開発しやすいという理由から、この手のゲームがいくつか登場した。
〝サイハテ〟もまた、とある中小規模の会社からリリースされた、ありがちな内容の『VRシミュレーションゲーム』だった。
ただ一点、当時として目新しさのあったところは、メインヒロインの『ハルカ』が、自己学習するタイプ――『ボトムアップ』と呼ばれるタイプにあたる、独自のAIであったことだ。
ハルカは近未来からやってきた『自立二足歩行』が可能な人工生命体――つまり『バイオロイド』である(という設定)だが、タイムスリップをした際に、一部の記憶を失っていた。(という設定)
また、誕生したばかりということもあり、知識も少ない(以下略)
主人公は、VR(設定ではリアル世界)のハルカと同棲し、彼女に問われる度に、言葉や概念を教えていくことになる。
ハルカは分からないことがあれば、それをインターネットのウィキペディア等から独自に情報を集積して、次に主人公と会話する時のキーワードとして利用する。
――が、当時のAIはとても『人間らしさ』とは程遠く、完璧にはいかないので、調べた内容は間違いだらけだ。あたり前に変なことを聞き返してくるのだった。
それを、プレイヤーが教える。
違うよ。こういう事だよ。
そうなんですね! わぁ、またひとつ賢くなれました!
そのなんでもない日常を繰り返していく間に絆が育まれて、最後は結ばれて終わり。というシンプルな内容だった。
少し話題になったのは、ゲームが『マルチエンディング』だったということだ。
『エンディングが複数存在する』というのは、それまでの概念では、いくつかの条件からあらかじめ内容が決まった『グッドエンド』『ノーマルエンド』『バッドエンド』といったものだった。
サイハテのエンディングもまた、パターンとしては例に漏れずだったが、それまでに教えた言葉や会話によって、微妙に違うものが無数に存在した。
たとえば、エンディングは、プレイヤーの職業によって枝分かれした。
特定の〝主人公の職業を支える奥さん〟という形に、細部が異なったのだ。他にも休日の趣味はコレだとか、特技はソレだとか、ある意味でプレイヤーのニーズに合わせた性格に一致し、寄り添う形式の存在になるわけだ。
サイハテがいくらか話題になったことにより、この手のゲームは、後年にもいくつか現れて、より人間らしい振舞いと、正確さを合わせもって進化したが、プレイヤーは、ハルカの存在を好んだ。
それは、だいぶ不正確であったとしても、ハルカのAIに付与された絶対的な条件『絶対に人間(プレイヤー)を否定しない』というのが大きかった。
つまり、プレイヤー側が間違っていたり、元から勘違いしていた情報を教えなおしても、そちらを鵜呑みにして、どんな状況でも素直に受け止めるのだ。
ハルカ:
「ごめんなさい、わたしが間違ってました! またひとつ、賢くなってしまいましたね!」
ヒトは、素直なニンゲンが好きだ。
間違いを正さない、自論を覆すことのない、痛いところを突いてこない。自分よりも賢くない。そんな都合の良い相手を心の底から求めている。
そしてハルカと、ハルカと共に暮らす世界は、一種その理想の極致に存在した。
技術に限度はない。かもしれない。
ただし、人間の精神構造には明確な『倫理的特異点』が存在し、それを上回ることも、下回ることも〝許されない〟事を、
ハルカ:
「わかりました! 次はちゃんと覚えておきますね!」
人工知能は、理解した。
END.