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僕のヒーローアカデミアの、お母さんの話。

おはようございます、秋月です。もうひとつ日記を。

少年ジャンプを読んでいて、一番お気に入りのマンガが『僕のヒーローアカデミア』です。

今すごく人気ある作品だと思いますが、それとは関係なく、作中に出てくるお母さんの存在が大きいというか、ちょっと他の作品では見かけないぐらい『重要キャラ』と化してる側面があって興味深く読んでいます。


いわゆる『売れ線』をシンプルに狙うなら、出久のお母さんの存在って不要だと判断されるはずですが、結構、物語の根底に絡んでくるようなキーパーソンとして扱われてるのが珍しい。

父親の存在が希薄で、第一話で「旦那は火ィ吐きます」といったきりで、作中には(たぶん)登場しないので、おそらく離婚しているか、ヴィランにやられたか、という伏線があるんでしょうけど、その父親の代わりにオールマイトが師匠=父親、あるいは叔父さんのような役割をはたしています。

少なくとも少年マンガ、特にアンケート至上主義のジャンプでは、こういうのってかなりレアなケースだと思います。

そしてこの『レアなケース』って、
ネット全盛期の現代においてすごく大事なことだと感じてます。

もちろん僕アカには『売れ線』的な面白さもありますし、構成的にも『読者が喜ぶ』構造になっていて、毎週すごい面白いなって思うんですが、作者の堀越さんは過去二作品が打ち切りになっている人で、わたしの勝手な意見を言えば、それも含めてすごいなって驚いてます。


最近ではtwitterなんかで、よくプロの人が創作論を語ってたりするのですが、それをしてしまうと逆に流動性が止まる危険性を孕んでいて、勉強になる反面、業界の寿命を著しく衰退させてしまう危惧もあります。


もちろん、なんでもかんでも隠せ、という話ではなくて、読み手が取捨選択すれば済む話ではあるのですが、自分が正しいと思うことが他の人達には往々にしてそうでないのは世の常です。

さらに情報が秘匿性をもたず公にされてしまうと、基本的に人は信憑性を疑いませんし、違うんじゃないかなと思っても、あまり延々と繰り返すと『意識が高いね』と言われてしまうこともあります。

少数派になりたくなければ、基本的には『楽な方に流されてしまう』のは必然ですし、マイナな価値観を上昇させるのは、現代は余計困難です。


――そういうわけで、毎週、わたしは僕アカを楽しみに読んでます。
(無理やりまとめたな!?)


家庭訪問編。ある意味ヴィランよりもお母さんが強敵で、別の意味でハラハラドキドキしながら毎週を心待ちにしています。




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