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「著作権」に関して、わたし的に思うところ。

カクヨムのエッセイ・コンテストに投稿されているエッセイに「著作権」の事が書いてあったので、それに関して、わたしが昔から思っていることを書いてみますね。

※前置き※
エッセイの内容を否定するわけでなくて、一個人として、以前からずっと「著作権」に対して思っていることを書いているだけです。


さてはて、結論から言っちゃいますか。

「著作権」って、現実的にまったく機能してないよね。
というかもう「著作権」に関しては言うだけ、ナンセンス過ぎるよね。

毎年ルールが変わるぐらいでちょうどいいんじゃないの。著作権。


正しい著作権の知識っていうのはもちろん大事です。裁判になっても、そのルールを知っておくことで、自分の権利を守る事に繋がるはずです。

ただしその一方で、著作権っていうのは、もう「まったく車の通らない赤信号の横断歩道」のようなもので、よほど危険な場合でない限り、だいたい平気で渡れちゃうんですよね。

そもそも二次創作だって、実のところ原作者が認めていても法的に言えば『著作権侵害』にあたるわけですから。厳密に書類で『許可します』って認めてても、それが法的に機能するかっていうと絶対じゃないっていう。

ついでに『アイディア』自体にも、厳密な意味合いでの『オンリーワン』は存在しない(とわたしは思ってる)のですが、実際「人間のひらめき」じみたものは特許でも取らない限り著作権が発生しないので、事実上それが取得できない分野でも、著作権の線引きは難しい。

基本的に後期の作品ほど、それ以前の要素を新規に組み合わせたり、付け合わせたり、引いたりする事で成り立つわけで、以前の日記でも書きましたが、アイディアは突き詰めれば『連想ゲーム』のようなものです。

毎年、なんらかの変化が起きている世界で、基本的に中身が変化しない著作権という考え方が、まともに通用するわけない。まともに機能する方がどうかしている。

だから理想を言えば『著作権は毎年、基準が変化する』ぐらいにしたら、良いと思うのがわたしの考えなのでした。


という事を悶々と考えていて、
ついでにショートSFのお題を考えたりしました。


概要:
『毎年、あるいは数年単位で〝著作権〟が変化する世界。
 そして著作権の基本は、各種の企業に一任され、
 創作者は各企業の著作権の理念に従い
 その市場の中で、自分の成果物を売らねばならない』


あらすじ:

――東の島国『似本』
その国には『著作権』を決めるのは政府でなく、あらゆる権利を任命するのは専用の権利を保有した団体、あるいは企業であり、各種の『著作権』の取り決めと〝市場〟が存在した。

創作者(クリエイター)と呼ばれる人間たちは必ず『どこかしらの著作権団体』あるいは『著作権企業』に所属せねばならず、所属する場所によって、二次創作の可否なども厳密にさだめられている。


第壱団体組織『桔梗』:
明示時代より続く、似本最古の『著作権機関』である。
社会主義的な思想によって運営されており、個々による内的思想の発展こそが至上命題であると掲げている。
全創作者には、売り上げの如何に左右することなく
公平に『貢献報酬』が与えられる。

著作権の大まかなルールは、10年に一度変更されたら良い方。
組織のトップには元老院と呼ばれる『文豪』や『芸術家』が占めており、エンタメ経済への影響はもっとも大きい反面、文明開化の波に乗り遅れている側面もあり、若者からは「古くさい」と揶揄されたりもいる。


第弐団体組織『概要』:
桔梗の方針と相対するように誕生した『著作権企業』である。
明確な資本主義組織を銘打っており「売れたら正義」をモットーとする。

所属する創作者の数は桔梗に続き二位。桔梗に属する芸術家と比べると、市場の需要に適した幅広い作風がそろうのが特徴。著作権のルールは毎年6月に更新され、時代に合わせてそれなりに変化する。

また、専用の〝著作権市場〟として、
桔梗を超える『こみきょ』を持ち、莫大な利益を生んでいる。
夏は水分を欠かしてはならない。


第参団体組織『いこん(Icon)』:
近年に誕生した新興の『著作権企業』である。企業トップは『複数の並列化した人工知能』によって、論理的に統治されている。所属する創作者の数はまだ少なく、エンタメ経済への影響力も現状弱い。専用の〝市場〟はもっておらず、代わりに電子媒体を中心に活動している。

また、いこんの特殊な方針としては
『著作権の掛け持ち所属を許可する』というものがある。




その場の勢いでめっちゃ適当に書きました( ̄▽ ̄)


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