予想は裏切り、期待は裏切らない、という言葉がある。
これはクリエイターにとって(わたしのような素人作家含めて)理想とするところなんだけれども、これが難しい。
今、書いているポストアポカリプス。一章と二章で、かなり雰囲気が異なっている。一章は、危険とスリルに満ちた都市におけるサバイバル逃走劇。二章は崩壊世界でのスローライフ。
自分で読み返して勿論、面白いとは思うのだが、作家なんて生き物は「ああー、俺の作品世界で一番面白いぃ」と強迫観念を抱いてる物だから、自作を読む目ほど頼りにならないものはない。
もしかして一章のように毎回、助かるかどうか分からない作品読みてぇ
こんなスローライフ期待してたのと違うぜ!と言う読者もいるかも知れない。
残念ながら、好きにしか書かないし、書けない。
究極のところ、自分が読みたい作品を描いている。だから、私が読むに限ってのみ、わたしの作品は私にとって世界一面白い。自分の好みのキャラクターも世界観もストーリーも知ってるのだから当然だ。
ただ、他人に対しても、これ期待してたのと違う!という読者でもある程度は満足できる、面白い作品を脳髄からひり出したい。そんな欲望はある。そんな作品を描いてみたいし読みたい。ただ、どんな作品でも作家は結末を知っている。そこに退屈が付きまとう。記憶をけして自分の作品を読んでみたい。
そんなことを時々、思う。