例えば、ある国のある時代の税率の低さを説明する時、武装貴族階級を抑える為であり、民衆に対する善意では無かった。みたいな説明文があるとして
これを説明する時に――民衆に対する善意が目的ではなかった(否定)――と善意だけが目的ではなかった(プラスα 複数の目的のひとつ)――では、まったく意味合いが異なってきてしまう。
そして社会を描くに際して、人間ファクターは、極めて肝要な判断基準のひとつだと個人的に考えている。
03_89Mでの小領主たちの説明。
自制の効いた領主も普通に見かけられるが―――
これは大事な文章なんではないかと、考えて描き方を悩みもした。
例えば、人が腐り易い環境で、それでも腐るとは限らない。
類型は外れる事も多い。善悪どちらにしろ、悪になり易い環境で善に育つ。
或いは善となり易い環境で悪に転ぶ。
人間の可能性とランダム性、善性も重要なファクター。
人格要素を否定しがちな文章が多いが、人間の人格は常に大きな要素である。
・閉鎖的な土地でも、必ず腐るとは限らない。
・類型は外れることがある。(構造は大きな要素だが、それだけで決定しない)
・人格・善性・偶然は、つねに大きな因子である。
よく、善意ではなく別の目的があった。とか、
中途半端に賢い中学生くらいの時期に描きがちだけど、
大事なのは、善性【だけではなく】と描くこと。
人間ファクターを計算に入れた上で、設計図を理解してますよ。
と示す部分なのだと、まあ、普通に高校生で
――早ければ、中学生や小学生でも気づくだろうかも知れないが。
(……わいがルールとして言語化できたのは、結構最近や)
つまり
・構造(地勢・権力・制度)
・目的(政治的合理性・戦略)
・個性(人格・人間の揺らぎ・癖・器量・成長過程やトラウマ)
は同列に作用しうる、複数の要因の一つということなんやね。
構造・目的・個性は常に三位一体で、互いに影響し合います。
そして、善性や善政を否定せず、構造的にも感情的にも理解しうるから、
悪意や悪政、そして敵意を持った民族意識や搾取、民族の絶滅なども
理解でき、描ける訳やと思いますねん。
どちらも同じ人間の内部から生じて、構造と目的と人格の交差点にあるものです。
この場合、文章は水物で、状況によって付随させる場所や形を変化させることになりますが、常に悩み、試行錯誤しながら書くことになる。
非常に苦しい。癖や型を持てない。だけど、小説描くの楽しい。
駄文を読んでくれてありがと。