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物語の類型に対する私見

 ハワードのコナンやムアコックのエルリックなど冒険小説のヒーローたちは、物語を通して時に王となったり、時に冒険者になり、或いは将軍と立場を変えるが、彼らはその時、その時で所有する力に変化はあるものの本質的には変わらない。立場はあくまで主人公の属性の一部に過ぎず、彼らはその持てる能力を持って危機や邪悪に立ち向かい、状況を打開しようとする。


 それに対してホーンブロワーやシャープシリーズと言った軍事冒険小説は、主人公は組織内で徐々に出世していき、その過程で、敵はより大きく(或いは最初からの強大な敵のより重要な部分となり)、世界に対して与える影響が拡大していく。此処では出世と組織内における影響力、培ってきた信頼、人脈が重要なファクターとなる。判断が大きなテーマとなり、問われるのは主人公の人間性と人格であることも多い。

 傑作漫画のドラゴンボールは、主人公の強さが上がるにつれ、世界に与える影響と敵の強大さが、強力な軍隊、世界を脅かす魔王、宇宙の悪の帝王、宇宙の歴史上でも危険な魔神と拡大していく。主人公のファクターは強さと個性である。

 古くはTRPGのD&Dのキャンペーンなどで、PCの地位と能力の上昇が世界に与えていく影響と比例する例や、主人公の率いる勢力が支配領域を拡大していくにつれて、世界全体を左右するようになっていくEUやステラリスなどの戦略ゲームも、同様の例かも知れない。後半は、経済力、資源、軍事力、政治、地政学、歴史などあらゆるファクターが重要となる代わり、主人公はもはや重要ではない。群像劇の一人であったり、交代しても構わない。


 これらの物語の主人公(ゲーム)は、類型ごとに読者(プレイヤー)に異なる味わいを与えてくれる。
 手持ちの知恵と工夫で状況を打開する快男児と、死ななければ立て直せる勢力の野心的な首魁では、危地に当たっておのずと取りうる戦略も、選択肢も異なる。

 ある形式の主人公でしか味わえない面白さは、確かに在る。どうやって併存させるか、異なる物語の味わいを添えて、引き立てるか。或いは、独特の味わいを昇華するかは、作者の腕の見せ所なのだろう。





 

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