頭がいい人はやっぱり優しい。
読んでいた小説の中の一文です。
優しさを鍛える為には、賢くなる必要があるようです。
誰かを傷つけるよりは優しい人間でありたいと思います。
そちらの小説の進みはいかがですか?
僕は本日、髪を切りに行きました。
髪を切ってもらう時、目の前に鏡があると思うのですが、僕の行く美容室はその鏡が向かい合って設置されています。
つまり、僕が髪を切ってもらっている鏡の向こう側にも、コチラを向いて髪を切っている人がいることになります。
基本的に僕は髪を切ってもらっている間は黙っているので、そうなると向かいで髪を切っている方の話が自然と聞こえてきました。
女性の方で、最近結婚したのだと言う話でした。
結婚した相手が小学校の同級生の為、卒業アルバムには子供の頃の旦那さんがいるらしかったです。
その彼とは小学校の同級生だっただけで、会わない期間は長かったのだが、お互いの両親が仲良かった為に時々会うようになって、お付き合いすることになった。
というのが、向かいで髪を切っている顔の見えない女性の話でした。
面白いなぁと思うのは、両親がきっかけで再会し、付き合うようになった点です。
僕の母親も同級生の女の子の母親と仲が良くて、今でも一緒に地元のスーパーに行った際に、ばったり会ったりするんですよね。
その同級生の女の子ではなく、その子の母親にと言うことですが。
両親のネットワークによって自分の結婚相手と巡り合うと言うのは現代では、殆どなくなっていると認識していましたが、まだあるんだなぁと思った次第です。
だからなんだって話ですね。
さて最近なのですが、小説を書く時、僕はカクヨムを開かないようにしています。
なんとなく、他の方の文章を読むと自分の文章が分からなくなる気がするからなのですが、結果、倉木さとしの「岩田屋フライデー」の更新を読んでいなかったんです。
最新の「さよならセンター」を読まず、倉木さとしの「平手友梨奈と尾崎豊」みたいな文章を送ってしまいました。
不覚。
個人的に平手友梨奈は本人が望むことなく、周囲から尾崎豊的なものを押し付けられた女の子という印象を持っています。
実際のところは詳しく調べてみなければ文章化することはできませんが、そういう考えを持っています。
そして、倉木さとしは尾崎豊を熱心に聴いてきた人でもあります。
倉木さとしは平手友梨奈の裏にある尾崎豊的なものに惹かれていたのか?
そんな評論っぽいものを2020年は書いてみたいと思っております。
先週から引き続き、映画ばかり見ています。
その話を少しさせてください。
先週の火曜日に「寝ても覚めても」を見ました。
最高、超好き。
来週のエッセイは「寝ても覚めても」と原作者の柴崎友香について書こう! と書き出した翌日の水曜日に、
【東出昌大と唐田えりかが不倫】
という見出しのニュースが出て、うぎゃって声がでました。
どっちも「寝ても覚めても」の主演じゃねーか。
映画サイトやアプリで「寝ても覚めても」のレビューが不倫ネタで荒らされまくっているのを切なく眺める日々でした。
小説なんかで良く言われていますが、作者と作品は別のものです。
映画も出演者と作品は別のものです。
と言っても、映画を観るとがっつり不倫していた二人の恋愛の物語が、そこにあるんですから、雑念が入るのは仕方がない気もします。
ただ、「寝ても覚めても」は恋愛映画とも言い難い作りになっているので……。
語り方が難しいですね。
とりあえず、今のところ2020年ベスト1位の映画が「寝ても覚めても」です。
「寝ても覚めても」を観て、不倫のニュースは置いても内容がショックで、真面目な映画が観れない気がすると思い、
「銀魂2 掟は破るためにこそある」
を観ました。
うーん。
もしも、僕がライトノベルを書くとなったら、参考にすると思いました。
ゆるく起承転結はありますが、その見せ方が本来的な映画と言うよりはドラマに近い構造になっていました。
好きな言い方ではないですが、今の若い人たちを如何に飽きさせずに物語世界に引きずり込むか、と言う知恵が随所に施されていました。
続いて「火花」を観ました。
又吉直樹原作の映画ですね。本作は芥川賞も取ってますが、原作は読んでおらず、なんとなく敬遠していました。
今回、観た結果、後半で死ぬほど泣きました。
主演の一人に菅田将暉がいますが、彼が凄い。
「銀魂2」でも菅田将暉は光っていて、彼がいることでコメディが成立していると言う意味で、最上級のバランサーだなと思う次第です。
ちなみに又吉直樹のエッセイか何かで、自分の読んできた本について語るものがありました。
彼が読んできた小説の大半を僕も読んでいました。
80年代くらいから現代にかけての文学をしっかりと読み込んでらっしゃる方なので、又吉直樹の小説を僕が嫌いなわけがないと気付いたりもしました。
ただ、ちょっと刺さり過ぎるので、多分泣きます。
んで、本日「ジョゼと虎と魚たち」の映画を観ました。
アニメで映画をするって話なので、その前に観ておかなければと思った次第です。
田辺聖子の原作は読んでいて好きだったので、映画はどんな感じなのだろう? と気にはなっていました。
映画のパッケージ自体は高校生くらいの頃から気にはなっていたんですが、今見て良かったと思いました。
高校生の頃に観たら、エロい部分に気を取られて本筋の大切な部分を絶対に見落としていたし、理解も出来なかった。
胸を張って言えることではありませんが、そう感じたのだから仕方がありません。
何でしょうね。
田辺聖子の書く女性ってそうなんですよね。
ちゃんと大人なんですよね。
そして、田辺聖子が書く男性は、子供なんですよね。
幾つになっても、幼稚さから抜け出せないように田辺聖子は書くんですよ。
それは、間違っていない。
そう思わされてしまうのが田辺聖子文学の一つの魅力なんでしょね。
ここで言う、「大人」を自立している人、「子供」を依存している人と言い換えても意味は通るように思っています。
はい、報告書が妙な長さになってしまっています。
完全に映画の記録日記と化していますが、ご勘弁ください。
では、今回の宣伝は「岩田屋フライデー」の「さよならセンター」のURLを貼らせて下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891802549/episodes/1177354054893736761 倉木さとしが時々使う独特な言葉遊びが僕は結構好きです。
よろしくお願い致します。