頭がいい人はやっぱり優しい。
読んでいた小説の中の一文です。
優しさを鍛える為には、賢くなる必要があるようです。
誰かを傷つけるよりは優しい人間でありたいと思います。
そちらの小説の進みはいかがですか?
小説は牛歩ですが、進んでいます。
エッセイはさっき終わりました。
今回のエッセイは実際の知り合いについて書きました。
ついでに最近、見た映画「勝手にふるえてろ」と「ここは退屈迎えに来て」にも触れています。
この二つの映画を観て、浮かんだのが朝井リョウだったので、それについても書きました。
「勝手にふるえてろ」は原作の小説を読んでいたのですが、映画らしい演出を入れつつ、原作の良さも存分に含まれていて感動してしまいました。
松岡茉優が何より最高でした。
実は「ちはやふる」の映画も去年の終わりに見ていて、松岡茉優が出演している映画は網羅していこうかな? と思っている所存です。
「ここは退屈迎えに来て」は車やバイクを運転しながら、歌っているシーンが後半に出てくるのですが、それが最高に良かったです。
フジファブリックの「茜色の夕日」を使ってくるのは卑怯です。ガンガン泣きました。
上手く言えませんが、人が自然と歌ってしまうシーンは田舎の何もない永遠と続く道路でなければならないのではないか、と思いました。
さてさて、少々プライベートな話をさせて下さい。
僕の職場の席の隣は同期の女の子で、その子が本日、以下のような問いをしてきました。
「郷倉くん。あなたは今、三十歳の女性だと考えてみて。それで三年近く同棲している人がいるけど、このまま一緒に住んでいても向こうは結婚するつもりはないわけ。
まぁそれでも良いかって思いつつ過ごしていたら、お母さんが病気になって結婚についてすごく言ってくるようになったのね。
でね、お母さんの病気のこともあるから、同棲を解消して実家に戻ろうかな? って思っているの。今の人と一緒にいても結婚はできないわけだし。本当にそれで良いと思う?」
僕は今、三十歳の女性。三十歳の女性。三十歳の女性。
うーん。
分からないので、僕の結論は実家が少し離れているけれど、行き来が難しい距離でもなかったので、二つの家を行き来する生活を期間を決めてやってみる、でした。
無難な回答です。
ちなみに、調べてみると同期の女の子は丁度、前厄に突入していました。
なので、上手く行かないことは全部、前厄のせいにしちゃいましょう、という話をしました。
もしかすると前厄、本厄、後厄って、そういう上手く行かない現実を「厄年だからしょうがないよね☆」って納得する為にあるのかも知れないと本日思ったり致しました。
そんな感慨にふけりつつ、仕事から帰ってきて映画の「生きているだけで、愛。」を見ました。
原作が大好きすぎて何回か読み返しているのですが、その度に
「生きているだけで、愛。」の二人はこの後も付き合い続けるんだって思ったり、いや、この後別れたんだって思ったりしてきました。
映画は明確な結論を匂わせて終わりました。
それが作中で何度か繰り返された停電の中で起こったことに痺れました。
「生きているだけで、愛。」は主人公の女性、寧子の生きにくさが、これでもかと表現されているのですが、映画では寧子の彼氏である津奈木の苦悩も描かれていました。
津奈木が菅田将暉というのもあって、注意深く見ていたのですが、途中から津奈木の気持ちが分かって仕方なくなっていました。
やっぱり僕は三十歳女性に成りきることはできないようです。
ではでは、本日の宣伝ですが、ずっと僕が病んだり、あらゆる飲み会に引きずられていた結果、更新できていなかった。
「岩田屋葛藤憚 その① ~俺がそばで見ててやるから~」に致します。
レビューも一ついただきました。
これから読んでいただいて、問題ございませんのでよろしくお願い致します。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892486673