「実際に何かを表現するためにはきちんとしたメチエ(腕)がなければだめなんだ、ということが身にしみてわかったのです」
(辻 邦夫「松本 わが青春」)
”文章技術" の話となると
なんだか途端に、息苦しくもある。
けれど
どんな反抗意識、奢りをもってしても、
本当に表現したいことを「書き表す」ことの難しさの前には、
愚直なまでの"進歩"の精神、
研鑽の願いしか、
投げ出せるものが無いようにも、想う。
職人が、木材を磨いて家具を作るように
ものを書く人も、文章を磨くのだろう。
手ずから生まれる創作が私に与えてくれるのは
時に大きな気付きと反省、そして
それを活かすための「明日」という、
時間の意味。
自分の未来が転がる先は
間違いなく、
この生きている地平線上にしか、存在しない。
その安堵と幸福を、如何にして
書き記そう。
描いたものが、自信となって身を養うようになるまで
果てない道程を、愛せるように
生きていたい。