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誰かのために書くことの難しさ

ADHDは、自分のためにやることにはあまりモチベーションを高く取ることができず、誰かのためにと動こうとすると120パーセントの能力を発揮しやすい傾向にあると聞いたことがある。


最近は治療のために投薬治療を受けている。
医者の説明だと麻薬に似たようなものと言われたが、果たして飲んでみたら15分後に脳にガツンとク流衝撃があった。
人格が変わるとまではいかないが、意識が変わるような感覚には陥る。
なるほど薬は怖いなと思ったが、治療のために仕方なく飲んでいる。
とにかく薬価が高い。中毒性はないという説明を受けたが、俺はあると思っている。


この日記は自分のために書いている。
やる気はないし、クオリティも考えていない。
ただドツボのなかに堆積している腐りすぎて液状化した肉の海のなかから両手を上げて必死にはいだそうとしている、そういう心情を一人で突破したいと思って、あがいた結果思いついたいつもの戯言の一種だ。
おそらく無駄になるだろう。
書いても意味がないだろうとは、ツボの奥底に沈んでいった腐肉の自分自身が、まだ脛骨から外れていない声帯の居残りと骨をわずかに震わせ、腐ったメタンガスがごぼごぼと表の肉面を震わせる時に、腐肉の腐ったスープをガスの泡が弾けて飛ぶとき聞こえてくる呪怨の声で、自分自身に語りかけてくる。

無駄であっても書きたいのだ。
自分はこの世界に、自分が生きてきたことを証明できるシミを、少しでもいいから残したいのだ。



そういう怨念はいらないのだ。
いつかあのときみたいに、また誰かのためにいい話を書きたいのだ。

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