急に寒くなりましたね。
某所ではやたらとはしゃいで呟きましたが、この章は夏の陽射しを残す出張先の沖縄で書き始めました。でも帰ると一転、一雨ごとに空気が冷たく、木々も色づきつつあります。
十番目の章を終えました。今回の課題は「一人称」の練習。附章という位置付けで、珍しく現実ならざるものを扱いました。別世界ながら魔法すらない本作ですが、そもそも「御伽噺・ファンタジー」ですので、たまには。
とはいえ、わたしのイメージする「ファンタジー」が、昨今のそれとズレていることは理解しています。
さて、本筋と並行して4・5・6・8章と章をまたいで展開してきた、回想による「脱出行シリーズ」も本章で閉幕。「本作で語りうること」は出尽くしました。八章最終話で、優柔不断なわたしの主人公が逆光の中で見せた表情、あれは作者にも予想外の所作だったのですが、彼女の成長の証。あれをもって本筋はもう終わっています。あらすじに書いた通り、これは主人公の十年間のお話。作中時間では十年目まであと僅か。
次の更新が最終話の予定です。
でも、この「本作で語りえなかった」彼女たちの話は、また別な物語として書くつもりです。主体者を異にした二つの附章はそのためのブリッジでした。
今回、「親」というものを描いてみましたが、わからなくて難しかったです。わたしは親ではないし、最も身近な一例しか親というものはよく知らないし。
あと、力不足で僭越ながら「死」を描写せざるを得ませんでした。
いつだったかのノォトにチラっと書いていますが、わたしは身体のある器官に「バグ」があって、幼少時、突然倒れたりしていました。それ以外は全くの健康体ですから、お医者様の方針で、体の各器官が完成する成長期の終わりまでは手を施さず、身体を騙し騙しの日々でした。
でもそれも限界に達して、何度目かの入院静養の際、わたしは人事不省に陥ります。
全ての感覚が失われていく中で、朧げな思考力と聴覚だけが機能していて、慌ただしい病院スタッフの声や、母の取り乱した声を、自らの生命の危機だというのに無感動に聞いていました。
が、それも途絶えます。
どれくらい経っていたのか。視覚も触覚もなかったけれど、かすかな思考力と聴覚だけが一時的に回復したとき、聞こえてきたのは幼い頃からのわたしとの日々をぽつりぽつりと語りかける母の声でした。言葉に詰まると「もうすぐお父さん、来るからね」。それを何度も挟みながら、意識もほぼ無く反応すら示せないわたしに、思い出を淡々と語りかけていました。
その母の声に「あぁ、覚悟を固めたんだ。わたし、もうだめなんだ」とだけ思いましたが、もはやそれ以上の思考力もなく、語られた内容はほとんど覚えていません。親不孝なことに、「聞こえているよ」って伝えたい気持ちすらなく、やがて思考も聴覚も消えました。
幸い、お医者様の必死の処置の甲斐あって、ご配慮いただいた小さく目立たない手術痕だけを残して「バグ」が取り除かれ、あの当時が嘘だったかのような日々を今では送ることができています。
そんなことを思い出しながら、書きました。
書きながら聴き、奏でた十章ノオトは『Fields of gold』。当然、Stingのオリジナルは知らなくて、動画サイトで知ったブルーグラスのファミリーバンドThe Petersensによるカヴァーからでした。
次はどんなテイストで描こうかと考える中で、わたしには昨今のファンタジーでは主流の「転生」という選択肢がありません。想像力の幅を広げるという意味では試してみるのもいいのでしょうが、死に片脚を踏み入れたわたしの経験は、転生という世界観を今はまだ拒否してしまいます。
爽快な二度目の生は魅力的ですが、たとえ辛く苦しくとも今ある生に祝福と意味を探し出すことが、わたしの現在の興味関心です。11.Oct.2022