舞香峰 るね です。
見ていただきました方々、ありがとうございます。
拙く、血湧き肉踊らず、盛り上がらず。このようなものを見せてしまったこと、大変申し訳なく思います。
未だ、書くことにも、サイトの操作等にも慣れませんが、文章を考え表現することの楽しさと難しさだけは味わえた一週間でした。
ひとつの章を終えました。
五つの節と設定が一つ。この設定の名を借りた、次章へのブリッジも兼ねた架空歴史書を書くのが楽しかったりします。
しかし、全体の調和を考えつつ、各話をしっかりと繋げていくのは難しいものですね。章全体の起承転結を想定しつつ、各話にもそれを用意しなければならない。新聞小説や、こうしたサイトで連載を書かれているの方々の技術には感服するばかりで、自らの未熟さを思い知ります。
書きながら、わたしの中にある「空想世界の整理」を行っていますが、本作は十七歳くらいの頃に考えた世界観に従っています。
現実とは異なる世界を設定しながら、魔法も実存的な神も存在しません。別世界を夢想しながら、どこか現実的で、それでも思春期の頃のわたしは、それをファンタジーと考えていました。理由は覚えていません。
少しの時間を経た今、当時の自分のことを振り返ります。
恐らく当時のわたしは何か評論などを読み、「幻想世界・異世界・異界は、現実世界と密接に繋がっているべき」とでも、背伸びをして考えたのでしょう。
同じ夜明けでも、日常のそれと、例えば葬儀の日のそれとでは、感じる印象は異なります。当時のわたしは、後者に幽玄や幻想を感じたのかもしれません。
現実の死を結節点として、幻想世界・異界(あの世)と現実世界(この世)は隣接している。因果律や合理で説明する現実世界の隣に、語りえぬ異世界は潜んでいるとでも考えたのだと思います。
そして、単独・孤立の幻想世界を拒み、現実の隣に潜む何かをファンタジーと捉えたのでしょう。
異国の大聖堂内に足を踏み入れたときに感じた、異世界に迷い込んだかのような感覚。古都の寺社の領域で、不意に感じた非現実感。こうした感触が近いのかもしれません。
一体、何を読んだのだろう。
だから、この章は第3話を描きたかった。ここは、この「第一章」ノオトとして、スコットランドのバラッド『エルフィン・ナイト』を繰り返し聴きながら書きました。
作中の歌は、中世の吟遊詩人(トルバドゥール)たちが残した詩から着想を得ました。12,3世紀の詩をいくつか、不出来ながら訳出し、その際の誤訳を出発点として架空の詩を仕立て上げましたが、この作業も楽しいものでした。
もう少し、官能に訴えられるようなものを書くことが出来ればよいのでしょうけど…
かつての無邪気な夢想に、西欧中世の諸要素を改変・援用しながら世界を構築していますが、時折、魔法すら無い別世界を想定した、当時のわたしに文句を言ってやりたい気分になります。
ただ、同時に、褒めてあげたいとも思う。
魔法の存在する世界に改変することもできたけど、今、わたしはそれをしなかった。
流行りの異世界に憧れはあれど、わたしは真逆の、かつてのわたしが思い描いた世界観を大事にしてあげたい。