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鍛冶屋と他

 ロバート・E=ハワードの コナンシリーズのプレストーリー
 『黒い海岸の女王』創元推理文庫版だ。「他惑星インドぞう」とかのレトリックはいいか。
グインみたいにファンとかが作者の原稿とかメモ見て書いたやつも収録の荒俣宏大先生とかの翻訳での、先生書いてないぢゃん系のカタイ篇は、ヴィラエット内海以東は地名っぽい地名と人名っぽい人名になってゐるのだが、原作者の原稿の段階でもさう言ふのはばっちりだ。ハイパーボリアの北に人間みたいなのがゐる~とかのハイボリアンな世界のいい加減さと比べてあの。

 ミトラの教へをとなへるをとこが、世界を跋渉して回った果てに、ピクトびとの住むところへ着く。
 その土人は頭が悪いのだが、野心に燃えまくってをり、教義を聴かない代り、外国の栄華には興味を持つ。

 もともと細々とした交易とお百姓と狩猟採集な生活をしてゐた彼らは、その聖者のをっさんが見立てる鉱脈とソレの採掘精製他で出来た金属を以て、アレする。
 作者はこのシリーズの前にピクト人のヒーローを書いてたなぁな感じで、鉱山で儲けまくったピクトのますらをが、後にコナンを頂くアキロニアの傭兵になり、爆裂快進撃をする。
 宗教家のデフォな兼業が鍛冶屋と言ふのを皮肉に襲ふ。

 さういふ上人様へ着くゴブリンの参謀として、師匠へ嫌味こきながら付き従ってかの地で農業指導といふのを。

 ユートピアのザポレット(「Zapolete」 Ready Seller 喜んで身売りするもの)。かヴェナリア(「金銭で動く」がVenal)

自虐がどうたらってふので戦闘民族としてのジャパニーズができるとか えー。

 多分ミトラ教にあたる宗教を、鍛冶屋さんとして、禿で隻眼でかた跛で、火と雷と風を操り、ウンコがどうたらといふ神様を拝む設定にすると、二次元からお金が引き出せない。なんとか言ひながらはがね塚さんのあの聖なるコミュニティは、なかなかおいそれと持ってこれない。ひょっとこのお面を被るといふ秘密結社だかギルド的な設定はなほさら。

I・バード(後にビショップへ改名)『日本奥地紀行』で、幼少期姉妹で連れだって、近所のワーキング鍛冶屋を見るのが趣味だったイザベラ・バードが、日本のある宿屋へ泊った際、その窓からみられる所にジャパニーズスミスさんがゐるので、思はず見てたら、「鍛冶屋を眺める異人さん」といふ、ぢゃあフアストフード屋さんにゐるパンダでいいです、くらゐのありがたい者として土人(かなり夥しい数の)に見られたさうである。

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