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イタチと狐狸とその辺

『幻想世界の住人たち4 日本篇』新紀元社刊文庫版 多田克己著363頁で狐狸の元と言はれる狐狸精を紹介する際に、「狐狸精でフリチン」ネタはない。ここに陳安土ってあるけど多分陳安士。そのチェンさんは男性名で、ふたなりなので女性としての名前「達王」をもつさうである。「花会(チーハと呼ばれる賭博 占ひの一面があるのはお約束)のキャラクターの一人」「蓮」(名前)とか張九官に犯されてどうのとか巳とか尼僧になるとかの陳安士さんとの関連は不明。このチェンさんの資料は『帝都物語』第二番ぢゃなくて『ジンクス ギャンブル篇』か『賭博』(増川宏一)だよなー(なんかやる気がない)

 獺 野郎とされ、おさるの腹を使って繁殖することになってゐる。支那でさう言はれる他、ニホンカワウソも、カンニバルのフレンズで人を襲って食ふとされる。獺皮(「野蛮人の扮装」獺レザーだかファーを使ふ文化圏があるらしい)~はいいか。白川静先生が「用ひる」を用ゐてゐるのももっといいか。獺傘で「蓮」を指すとか。内田百閒先生の「ぬとぬとするもふもふ」はいいんだよ。イタチやテンが舌でぺろぺろしてたり、側溝を掃除する娘さんが獲ったものがもふもふする籠へ手を突っ込んだらその丸っこいのが手を吸ふとか、なんか。

 明治十六年頃 万世橋の辺で謎の米国帰りな人がをり、お子さん入れた桶を銜へて、フォーマー旗本で駆け落ちした嫁(「色の青たれた」「目の落ちくぼんだ」)に三弦を鳴らさせるといふ藝をやってをった人が、寛永銭を二枚併せて口へ含み、テンの尻尾と称するもふもふを出して、銭をピーピー笛張りに鳴らしながら這はせるといふ藝をやってゐたと南方熊楠が言ってゐた。縫包みでなんかする藝は明治期にもあったらしいのは良いのだが、これ情報のおまけによればテンの尻尾を引っ張り回すと、鳥が夥しく来ることになってゐる。

さう言へば『礼記』で「獺祭」が、狂暴で鹿や虎すらも食ふとされる豺(Dhole)と一緒に出てたなぁとか。ドールと言ったら、南方熊楠先生が、インドでコルスンといふ、赤い体で耳、足先、吻が黒いイヌ科の生き物の絵を画家の人に見せたら「トラッド和犬に大変そっくり」と言はれたさうな。これクオン属の cuon dukhuensisてふから多分ドール或いはアカオオカミさんの筈。同著には、『本草綱目』に収録されてゐる、豹より小さい 腰以上が黄色で以下は黒で犬に似るといふ黄腰獣といふのが紹介されてるのだがこれが多分このドールの伝聞(『南方熊楠全集第2巻』96頁)ださうである。

 イタチ科タブー 南会津山中で貂を指して「扶持借り」あるいは「ヘコ」。また利根郡花咲で「ハヤ」。イタチはサコとかトマスなどの他、安芸山県郡でケス ズイトウクグリ。また、柳田大先生は「木鼠かオコゼか不明」としながら、山でのぬこタブーを「山の神の連れ添い」である「オコジョ」が猫ヘイターなのでと言ふ説明を載せる。南津軽でのクマの異称がクロゲの他にイタチ 北秋田でも「イタチ」。

狐は吉野裕子説で土属性、白川静説で「水神」として信仰された形跡がある、かつフェミナンである。支那では「狸」字でヤマネコを指し、少なくともタイガーはマッチョとされた。『本草綱目』で既にジャコウネコ系の動物も表す、「狸」字は野生の猫のゐない秋津島では、野良猫、猪、穴熊、鼬 むささびに充てられたと言ふ。イリオモテヤマネコは無視しての次にツシマヤマネコに関し「竹島(猫島)」がどうたらといふ南方熊楠の記述が。この竹島が韓国名「独島」か「鬱陵島」かは不明で良い筈。
 狐狸に対する言葉「ヨモノ」「ダマシ」「キャツ」「夜の若い衆」の関係。

 支那での天狗(水木しげる先生の―「猪に乗って飛ぶ」と言ふののソースがー)がわんこっぽい点とか、「木の葉天狗」は鳥系の他に犬系もゐたとか柳田國男『禁忌習俗事典』にソレの忌み言葉で「イマノヒト」(翼持ってなくても巨人も指したらしい)と言ったとか何とか。巡礼狼と言はれる、もっふもふで耳がとがってて尻尾が生えててへたすると肉球があるカニス・ホドフィラックスな巡礼がゐたと言ふ伝承。

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