絶対的存在 福田恆存『絶対者の役割』による。
ソレは「あっち」にゐる。此岸の相対性が大嫌ひなので、「おらおら ぷちっと潰すぞぷちっと」をデフォにした、兎食ふな、水中にゐるもののうち鰭と鱗のない者は食ふな、姦淫をするな、安息日は守れ、などの法@多分なにがしかの無茶振りと、信徒が納得するものをいい感じでブレンドしたものを定め、従はせる。さう言ふものによる、何某かのマインドコントロールを受けると、相手の意見を聞く耳ができ、智に働いてイノベートを成しうる。キリスト教圏でC・ダーウィンが生まれたのはなんかの皮肉である。
南方熊楠『同性の愛に耽る女性』で、ディルドー関係から、お釈迦様の頃のインドで「ゴム製の張形」があったにも拘らず、ソレの材料を車輪に張り付けると言ふ発想が終にでなかった件や、南米でもラバー材がさう言ふ方向へ行かなかった件、欧州の暗黒時代やアジアで停滞があった頃のイスラム圏ではギリシャ哲学が異常な発展を遂げたといふ史実、ある英国人が、日本で浮世絵をばこばこ買ひまくって研究し、三色刷印刷機を開発だと思った、したと言ふ旨を上げ、ただ、日本人でも恐らく、菌類で成長の際に「一貫、弐貫(えーと尺貫法だと一貫が参、何kgなんだよな)の石を数尺飛ばす」能力を持つものがゐるのでこれを研究すればジャッキ的な物ができるのではなからうか、と言ってはゐる。日本の研究チームが南極に自生する菌類とか、北方のやつから酵素を取り出し「南極(か北大陸)由来の酵素パワーで氷点寸前の水でもしつこい汚れが」といふ洗剤を未だに作れないのは、これとは関係ない筈。
絶対者信仰とそれにより科学が発達する場としてのアフリカ。
支那で、物質文明におけるイノベーションが異常に起きなすぎる件や、ローマ帝国でキリスト教以前にいろいろな技術が何となくでも確実にあったにも拘らず、技術革新がほったらかされた点、なんとか言ひながら南米の技術が煮え煮えになってしまったところと比較し、欧州で武術が、グーテンベルク以降でも異常な革新がされまくりすぎるので、体系化~書籍化が追ひ付かなかったとか、を踏まへつつ、イスラムのアレとか、魔女狩りなどの、そこが「科学の発展」の契機である地にも拘はらず「弾圧が行われた」と言ひ張れる程度に不寛容と狂気が暴走するあるいは、キリスト教の伝播が、フェーデなどの際、死体の数を多めにしたとかのおぞましい歴史も踏まへる。
「アポロは月へ行かなかった説」が成立する程度に1950年代当時のロケット技術が凄まじいのは、NASAでのキリスト教の影響が指摘できる筈。そこの飛行士そのものがクリスチャンになる点はー、フロンティアの人あるあるの指摘以外に―、えー。
レシェフ を絶対者のモデルとする多神教がどうたらをやらうと思ったら、角川書店刊 大昔のグループSNE『ミラー・エイジ』所収最終話、山本弘『そして蝶ははばたく』で、欧州を「バアルを頂点とするバビロニア・カナーン系宗教」があったために科学が異常に発達し、なんかすごい敵と遭遇した世界線がどうたら、と言ふのがあった。ここでのキリスト教と科学は確かに敵対してゐると言ふ設定であるが、さう言ふのをやってゐる山本弘大先生その物が、第一話『砂漠に消えた魔術師』でキャラクターに絶対的存在を拝む宗教案を出させてゐる。
同作者の『神は沈黙せず』のアレは多分、ただ単に外にゐるだけの相対的な存在。てふかこの本に出て来るアレのサイクルに「おしりかじり虫」(のブームはこの本の刊行後)がある。「二千七百万年周期でイヴェント」が起きてどうの説にジュラ紀に一回休みがあるのを踏まへてどうのを以てなほ(「七千万年に一遍」だと休みが消滅した筈)。
『聖剣エクスカリバー』(渓由葵夫 あとがきで、「息子が高校生」とか言ってるんだよな)では、キリスト教がないのでセントアンドリュース寺院(作者によれば「本作はキリスト教がないにも拘らずキリスト教でしか出ない言葉が出ます。セントアンドリュース「寺院」等です。でも全然違和感ないでしょ?」)では、北欧の英雄クーフーリンの皮肉な示唆により神となった三つ目のオーディン(何度でも言ふ これらは作者が原典に準拠した設定である)が崇拝され、人造人間(ルビは衒ひなく一貫して「ホ ル ム ン ス ク」ホムンクルスだっ)が製造されてゐる。
多分さう言ふところとしてのトンブクトゥ。その辺は、金が出たとか岩塩がどうたらとかが有名らしい。文化都市~。アッラーフの御言を預かるものはかののっぺりした大地からイノベートを成しうるか。
アフリカ人がカトリックを隠れ蓑にしてでっち上げた西アフリカ神様体系としてのブードゥー教 厳密にはハイチの土人の精霊が何柱か入ってるらしい。
面白いんだけどもー、さう言ふ資料を読みたい気があんまり。あすこの宗教は神様が八百万をって、表向き一応キリスト教なんだから、絶対者がゐても別にいい筈。
スーダン ルヴィロンザ川の源流がどうたらをやるとか。スーダンのどこぞでやられてゐたんだかゐる農耕。シコクビエの散播の後、除草だけ。散播はまうちょっと北方、エジプトとかでのソレで、シコクビエだかシシビエとか田圭って掘れば掘っただけ名前が出て来る―、多分「与助稗文化圏」「太閤稗文化圏」「だいし稗文化圏」とかはない~。シコクビエも「四国稗」か「反当り4石」だかわからんらしい(定期)のは、西アフリカからアジアにかけてのお百姓が育ててゐる。これはさう言ふわけでいい感じで「どうでもいい」植物なんで、農耕文化を示すインディケータークロップとされる。