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本とかの引用をする際の

アブドゥル・アルハザードとか、カール・レフラー、みたいな人としての南方熊楠曰く。
 ミスカトニック図書館や民明書房にピルトダウン大学出版みたいな、なんかはどうするか。
 渡米(明治時代の和歌山県つうか紀州の辺関係の人は大洋へ出まくったらしい)してサーカス関係で仕事してガチのアフロアメリカンと交流(まぁ)し、キューバの戦争を見て英国でクラアクなる職につき、ネイチャーとかへ寄稿しまくり、孫文との交流があって頓智で救出したこともあり、帰国後は紀州の田辺に引き籠り、柳田國男とかと文通し、植物学に貢献したのはいいんだけど妖怪関係もフォロー入れまくる、かなり端折っとるが、さう言ふ人。胃液を吐けるとか四十歳まで童貞だったとか、全集を読むと二回くらゐ「オランダ人Dis(日本人向け)」が出るとか、よく暴走してるとか、は、いいや。WIKIでOROCOMAを調べたらKumagusu Minakataの文章しかHITしない。

 支那の文献や仏典からわけのわからんものを引く、生物学的な蘊蓄を披露する、「クロンボの言語の方がドイツ語などより優れた部分がかなりある件」を具体的に書く、バンシーとかタピオカとかへの言及、紀州の妖怪と当時出てたSF!!に出て来る異星人との類似の指摘、呼称と妖怪との関連に関する論考、犬公方朝鮮系クォーター(母方のばあちゃんが朝鮮人と言へる資料があるさうである)説、多分かなり初期の日本ブレードが渡航した記録として「弘法大師が支那で和製(ペーパー)ナイフを誉められた」記録の紹介、蒟蒻問答はオランダ経由で来た筈だけど多分支那にも伝播しとる説、トン小屋(俳優がお客さんにお持ち帰り可能な芝居小屋 なので「トン」がホモの交接の呼称からやった回数って数詞化する)を介して水死体への意味付けに関する説、他いろいろをやってる。百合若=ユリシーズ説は言はない。

 『探偵はバーにいる』での右翼は、左翼のトスあげを実行すべく頑張る一族とやんちゃな皆さんであるが、保守反動系の人は柳田國男とか読んでくれない。

 澁澤龍彦『マドンナの真珠』では、「地図の内のかのメルカトルですら記述をためらった」といふ記述がある。
 赤道には、多分腐った高架橋(高速道路系の)を連想しておけばいいやうな、さう言ふ真っ赤なのが一応ぴーっと敷かれてゐる。かういふ設定はサブライマルでいいよな。
その、植木等はいいか、澁澤先生が「無責任(誉めてます)」と紹介する南方先生が記述をアレするネタ。

 山田風太郎『くノ一紅騎兵』 南方の随筆『婦女を姣童(こうどう)に代用せし事』で引かれ、「かの碩学もやや当惑の態」に見える考証をするナニが展開する。

 原典『婦女を姣童(わかしゅ)に代用せし事』には『くノ一~』での重要なアレである背孕みが出て来る。てふか、男性が妊娠~出産すると言ふので、『池北偶談』での「男の人が子供を産んだ話」を引いてゐる。これはいいのだが、『五雑租』での、「羽衣を着た人がお百姓(男性)をこまし、元気な蛇の子供を帝王切開(アレを斬る)で取り出した話」も男性妊娠ネタとして引いとる。うむうむ。

 在英中の南方先生が大活躍する『目玉の熊ちゃん龍動(ロンドン)奇談』も書いてゐる荒俣宏『帝都物語』の中の短編サブリミナル小説『解放されるトマーゾ』でオクルス・ムンディに関する南方先生の文章が引かれてゐる。

 とり・みき『パシパエ―の宴』では、いろいろあって『十二支考』から外されることになった『牛』と言ふのが出る。南方熊楠先生は 件関係で、地元かどっかに、座敷牢に押し込められてはゐる者の民衆の相談にちゃんと乗る牛顔の多分イディオ・サヴァンの人がゐて、凄まじく有能な彼から「よって件の如し」が出たといふ俗説と、「牛に引かれて善行寺参り」インド起源説とかをぽつぽつ著してゐる。なので「クマグスの牛」の可能性は説得力があるっつうか―。なほ、とり先生の『石神伝説』に変形菌関係のソレが熊野に出てきて南方先生がどうたら、てふのがある。

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