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十世紀

 多分お約束で純友&将門のなんとか。

 トライバルなコミュニティの成立。
 奈良時代に「なんちゃって社会主義」が成立、秋津島の土地はまぁ天皇陛下の持ち物みたいな感じになり、それから平安時代にかけて、旧来のナニか、開発されてGDGDなまま「作った人の物」になったか、になる。地方でのモノノフの台頭とか、いろいろ。

 千年紀を言訳にする。白川静説で、皇紀は「辛酉革命から計算しているため660年ずれている」といふのはある。白川先生は確かカムヤマトイハレヒコノミコト様に関しては何にも言ってなかったはず。

 どっちかっつうと、日本人としては源氏でも義経公@弟君だし、源氏よりは平家の悲劇が好きだったりする。「凶悪なSTAATSMACHINEは、少数民族や被差別民の地位の保証のようなことをする」と喝破した網野善彦先生は、後醍醐帝以外の室町期の武将とかもやってる旨を指摘して、でも搾取者は要らんとか言ってゐるが、源頼朝も特殊被差別民から慕はれてたよさう言へば。なんかやったらしいのね。

 官僚系貴族のなんとかと、領主系貴族の台頭。

 奥州藤原氏。のふんぞり返る辺。輪栽のやうなことと、馬による牧畑(畑を区切って放牧地と畑に四年間ローテーションで代へる。家畜は繋いでたらしい)と呼ばれる物があった筈。なんか北海道へ行った屯田兵の人は稲の生産を厳禁されてゐたわりに隠れてこそこそやってゐたらしい。とかがあるが、「米が貨幣に過ぎない」関係になる可能性。麦文化圏がけっこうお米食べるやうになった点を指摘する中尾佐助説で、「雑穀食べてる文化圏人(日本人)が、お米食べたら「ウジ虫食べてるみたいであまりうまくない」と言った」と言ふのが(『料理の起源』)。

 秋津島は屠畜蔑視の歴史が結構あり、家畜はあまり飼はれず、羊は一桁世紀に一応来た(だけ)らしいとか、ヤギの方もあまり来てない上沖縄とか辺りで十五世紀に伝播とか、豚は弥生時代に飼はれてたらしいけども、とか、で馬のしかもなんちゃって利用(馬ミルクの文化はないし)、馬糞より人糞といふナニ。ナラ林文化では衒ひのない豚の飼育(アイヌは熊飼ってるし狸飼ってるし)が一応特徴である。「民明書房刊「東北の憂鬱」では、辛うじて冬季の豚屠畜祭りが」とかやって、大河内民明丸さんがいろいろ筆禍の関係でアレしたとかになりさうだなぁ。ふう。牛と馬を何とか、うー。

 輪栽は、どっちかっつうと榛の木の林を開墾して、陸稲かなんかと野菜といろいろ作って、ほったらかすといふ、照葉樹林文化圏で行はれてゐる方式で、保守反動的な旧来の農村を描く「もののけ姫」が何となく想起(アシタカの田舎は「ナラ林文化圏なんだけど照葉樹林文化の侵略喰らってる」と言ふ設定)される。

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