例へば、陰陽師は、明治時代まで、(ハテナで書けるけど他のでは書けない)の一種として、まあ蔑視されてゐたし、安倍晴明屋敷は、さういふ人の家として語られてゐたが、安倍晴明は夢枕獏大先生の、いや澁澤龍彦大先生の時点ですでに、「普通の占い師」であった。
似たやうなものでインナイと言ふものがあるが、これも多分大丈夫。さらにただ単に「通婚の規制」がされてゐたとかの職種で、「風呂屋(銭湯でなくて、鍬の歯と柄のジョイント部を作る人)」と言ふのがあったらしいのだが、多分やっても、大丈夫。
どっちかっつうと、耳嚢(ネタ本としてはいいと思ふ。「ぢぢいが“あなるばあじん”を卒業する目的でナニを突っ込んだ話」とかの身の毛もよだつ恐ろしい話が満載)に、いはゆる普通の風呂屋で狂歌師の渡辺喜三郎さんが、近所の、へんな意味で霊験いやちこな呪術スポットの神社にえらいことある、さう言ふナニへツッコミの歌をつけまくって、なんとかした話と言ふのがあった。こっちの風呂屋は渡辺さんだからナニできると思ふ。
「渡辺」のワタは、ワタツミとかのワタで、水関係の上、ある種蔑視され、さらにモンスタースレイヤーもやってゐたと言ふ説がどっか(荒俣宏『本朝幻想文学縁起』と言っておけばいい筈)にあった。