作家には愛読者の期待に応える責任があるとしたら、私は長らくそれを放棄していたことになるだろう。怠けていたと言われても仕方がない。もちろん私も生身の人間だし、一生活者に過ぎないのでそこには理由が様々あるのだが、今さら言い訳してもしようがない。次作を待ちつづけてくれたファンの皆さん、そして私の作品を快く出してくれようとしていた出版社、編集者の方々にはこの場を借りて深くお詫びしたいと思います。
このサイト内の作品(と言えるのかな?)で、小説サイトでの必勝法のようなことを書いている方が何人かいらっしゃって、興味深く拝見した。「一章は2,000から3000字以内で」とか「各章には細かくキャッチーなタイトルをつける」とかある。最初の1、2ページくらいで何が作品の売りなのかがわかるように、とか、とにかく読者が眼をそらさないようにしないと、というようなものもあった。そうか、あわただしい始まり方の作品が多いのは、そういうねらいからだったのかと納得もした。
しかし、待てよ……、と。これはまさに私が「聖エルザ」や「パンゲア」でやっていた方法じゃないか! キャラを立てるように心がけたことが私を〝ラノベの元祖〟にしたのかと思っていたが、そうすると小説の形式まで私が原型を作ったことになるのだろうか? 事情を明かせば簡単なことで、たとえば小説がメインの「ドラゴンマガジン」のような雑誌ではなくゲーム誌だった「コンプティーク」でゲームの背景がある「ロードス島」などほかの企画と対抗していくには、ああいう形式をとるしかなかったということなのだ。連載を維持しようなどと守りに入ってはダメで、つねに攻めてどんどん盛り上げていくしかない。限られたスペース、ページ数の中で小説として最大限の効果を上げることを考えた。連載後半では、読みやすさを考慮してワンパートをかならず1ページに収めるというような無理もした。そういう意味ではいちおう企画も成功させたし、結果的にある種の形式を確立することにもなったのだろう。
ただ、それは雑誌連載という制約の厳しい場でのことであって、単行本の書き下ろしという依頼に応えるにはおのずからちがう方法論をとらねばないないだろうと考えた。居並ぶ作家の顔ぶれは、たとえば〝小説〟にこだわりのある方は、田中芳樹さんをはじめ、西谷史さんとか「風の大陸」の竹河聖さんとかだっただろうか。あと半分はアニメなどのシナリオライターの方々だったと記憶する。このサイトの作品で見るかぎり、〝ラノベ的〟な記述法はシナリオの書き方を模したものであり、ト書きにあたる部分を一人称の語り手がそれなりに個性的に担うという形が多いようだ。私がとった方法がどう影響しているかはおくとして、それを継承する形で現在の形式が出来上がっていったのだなと納得した。そして、それがもはや常識化し、〝様式〟のレベルにまでなったのだな、と。
「純真なマチウ」に見かけの「聖エルザ」の再現を期待した人たちには肩透かしだったかもしれないが、こうやってえんえんと語ってきたことでも理解していただけると思うが、作家・松枝蔵人としては少しもブレてはいないはずである。「バブルガム」や「ソーサリアン」を含め、「聖エルザ」「パンゲア」「瑠璃丸伝」と続いてきた系譜の最先端に、しかも大きく前進した形で「マチウ」を提出できたと実感している。私がラノベの〝元祖〟であるなら、そこから派生して固定化してしまったラノベというジャンルに私のほうからすり寄るのはかえっておかしな話だろう。「こんなのラノベじゃない」と拒否する方たちがいてもしかたがないが、一般小説はいまいちピンとこないということでなんとなくラノベを読みつづけているような方がいるとしたら、「マチウ」にはすんなりと入りこめる入り口が大きく開いていると思う。私がラノベの元祖だからという理由でこの作品を〝ラノベ〟だというなら、それこそ私にはこの上ない名誉なことである。それだけラノベの間口を広げることができたということだからだ。
また脱線、というか話が先走ってしまった。今では〝ラノベ的〟と呼ばれている手法を連載という形式の中で作り上げていたわけだが、作家としてはもちろん書き下ろしの本格的な作品に挑戦したいと願っていた。当時は何巻かに及ぶことを最初から前提した依頼も来ていた。では、私はどのような形で〝書き下ろし〟に臨もうとしたのかである。当時は当然のように、そしてもちろん現在も普通の小説(大衆小説、エンターテイメント文学)というものがあり、映画やアニメではなく、小説でしか表現できない面白さというものがあると信じていた。しかし不満もあった。たいがいの作品の文章には、いわば〝ノリ〟に鋭さが感じられない。そして何よりも私は〝説得〟して欲しかった。理想の書き手はまちがいなくSF伝奇小説を手がけるときの半村良だった。半村良には、SFの書き手によくある解説臭やかえってイメージを狭めてしまう世界観ではなく、〝思弁的な雄渾さ〟ともいうべきものがあったと思う。「瑠璃丸伝」は伝奇小説を目指したものだからその筆致を出したいと思いつつ書きつづけたのだが、「聖エルザ」的な連載小説の手法となによりフツーの女子高生が語り手であるという枠組みの中では、やはり無理があったのだと思う。
半村良、そして語りの女王だった栗本薫両氏の魅力にキャラの生き生きとした表情と映像を鮮明に喚起する文体を確立すること。それが私の作家としての変わらないテーマだったと言えると思う。そうなればあとはどのような作品世界に取り組むかである。両氏のそうした特質が最大限に活かされたのが「妖星伝」と「グインサーガ」であったことが象徴するように、必然的に長大な異世界物語が想定されたのだった。
「マチウ」の構想を最初に雑談的に編集者に話したのは、たしかゲームのノベライズだった「ソーサリアン創世記」を手がけていたときではないかと思う。もちろんこうして具体的な形になった「マチウ」からすれば小さな卵にすらなっていないイメージの断片にすぎなかったのだが、ノベライズという形式、そしていわゆる〝ファンタジーらしさ〟ゆえの束縛感がそのとき対比的にあったとすれば、漠然とそこから自由になって書きたいという欲望の先にほの見えていたのが「マチウ」だったと、今なら言えるかもしれない。
数年前、復帰作を、と考えたとき、「本当に好きなものを書きたい」という思いとともに、「過去の幻影を追わせない、新機軸の眼の覚めるような作品こそを提示すべきだ」という切迫感があった。同じ人間が作るものなのだから、どうやろうが〝自分らしさ〟は残るだろうし、それがいいものなら「やはり松枝蔵人だ」と評価されるにちがいない、と。もちろん、書いている途中ではさんざん迷いや行き詰まりを感じた。だが、不思議と限界はまったく感じなかった。むしろこの先には広々として疾走していける場所が開けている、どこをどうやって通っていったらいいのかがはっきり見通せていないだけだ、という感触のほうが強かった。
そうしてようやく出来上がったのがこの「純真なマチウ」生誕篇である。時間と手間を惜しみなく費やし、まるで我が子を育てるように書きつづってきたものだ。この作品を世に問うのに迷いはまったくない。しかし、物語の全体からいえば、主人公マチウがようやく世界に生まれ落ちたところまでしか書かれていない。「マチウ」という作品に対する愛着は、デヴュー当時の私が可能な全精力を傾注したといえる「聖エルザ」以上のものがある。だが、これを書きつづけるためには、まずこの生誕篇が世に出ることが不可欠なのだ。これが保留されれば、当然のこととしてまったく別の作品に取りかかるしかない。それが作家復帰をはかるということの現実なのである。
もちろんその覚悟はできているが、「マチウ」を書きつづけることで真価を問いたいという気持ちは癒しがたい渇望のようにしてある。「生誕篇」は、これはこれとしてちゃんと完結した物語であり、評価の対象にされていいはずだと思っている。しかし、長大な作品につき合って熱い思いを寄せてくださった方たちにも続編に対する同じ渇望が抱かれているものと思う。今はそうなればいいなとしか言えないし、その願いがかなうことを祈るのみである。