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マチウをめぐる日々。5

「聖エルザクルセイダーズ」のイラストにBlack Point氏、後の伊東岳彦氏を起用した理由についてはよくわからない。連載の話が来る前にコミックの「グッドモーニング、アルテア」を見ていたことは確かだ。イラストレーターの希望を聞かれて、思い浮かんだのが彼の絵だった。

 学園を舞台にした毎回クイズを出す小説ということはすでに決まっていて、初回の原稿も早めに上がっていたかもしれない。そのあたりの前後関係の記憶はあいまいなのだが、花柄を散りばめたようなお嬢さま学校で、寄宿舎もあったりするという腹づもりだったから、メカの造形などに凝ったSFである「アルテア」との関係はうすい。でも、女の子は魅力的に描ける、場面の見せ方なども知っているしうまい、とは思った。たぶん、いや確実に、まずBP氏の絵が気に入っていたのだと思う。

 編集に彼を紹介されたとき、彼のほうにためらいのようなものがあったとすれば、知り合いでもあるらしい同じコンプティーク誌で「ヴァグランツ」を連載している麻宮くんと絵柄が似ていることをどうするかということだったと思う。どこかのサイトに「聖エルザ」第1回のトビラ絵が出ていたはずだが、たしかに線をシンプルにするとか、アニメっぽくするとか、少女マンガっぽくするとか、彼なりに試行錯誤したことがうかがえる。

〝キャラクター設定〟という言葉を初めて聞いたのも彼からだった。「どういうことですか?」と尋ねた。身長、体重、容姿、性格などだという。おそらくそれが物語の構築のヒントになっている。連載の条件は推理モノであることだった。ほんの数ページしかないスペースで読者にフェアな推理ゲームを仕掛けるなら、連載第1回のように忠実な語り手である主人公ミホが常に難事件を目撃したり聞きこんだりしていけばいい。その遭遇にサスペンスがあるのがミステリーの常道だ。しかし、それでは連載は続いても物語はなかなか盛り上がらない。謎に凝れば凝るほど〝謎解きゲーム〟にしかならないだろう。

 そこにひらめきを与えてくれたのが、登場人物を横並びに見るキャラ設定という考え方だった。クルセイダーズの仲間となった女の子たちが入れ替わり立ち替り語り手となる。その多重視点も変化をつける手段になるが、時間差をつけることも可能になるし、場面転換も容易でまったく別の場面を同時並行して描くこともできる。第2回でそっとオトシマエの視点を導入したが、第3回ではオトシマエ、姫、チクリンに増やした。その結果、物語には勢いがついて急展開していくことになった。

 キャラ設定を考える指針は、素直な語り手ミホとの対比だった。名探偵役の姫はすぐ決まった。リーダー、前学園長の孫、美人(ただしメガネというアイテムでブレーキをかけた)とくれば、鮮やかな推理能力を発揮させれば魅力は保証つきだ。オトシマエのキャラは高千穂遙氏の「ダーティペア」をゲームブック化したときのケイとユリの掛け合いを描いた体験が生きた。チクリンは、編集に女の子の探偵モノを資料として探してもらって読んだ藤本ひとみ(王領寺静)氏の「漫画家まりな」シリーズが元になっている。

 しかし、元ネタというのは作家の想像力を規制する異物感も持ち合わせているものだ。それをあっさり払拭してくれたのが、BP氏の描いてくれた絵だった。今でもよく覚えているが、オトシマエをいわば〝マッチョ女〟としか考えていなかった私は、もっと筋肉質で胸ももっと豊かな女性像をイメージしていたのだが、「身長は170以上あれば十分大女ですよ。胸も目立つくらいでいい」とBP氏に言われた。なるほどと思った。おかげでオトシマエは聖エルザの健康美あふれるセックスシンボルとなったし、作者は彼女を活躍させるシーンを考えることで物語を推進することができた。

 どこかで言ったような気がするが、連載第1回を書いた時点では聖エルザは純粋な女子校だった。男は外部からの侵入者か教師くらいしかありえない。まったくうかつだった。「男性教師を出しましょう。女の子ばかりでは不安だし、アドバイスしてくれるような存在がいないと」というのは、BP氏にも雑誌の他のスタッフにも言われた記憶がある。学園モノの常套パターンなのだろうが、〝味方〟という曖昧で都合のいい存在を介入させたくなかったし、だいいち私は教師というヤツが大嫌いなのだ。そこで思い切って第2回から「共学校だった」というウルトラな大転換をはかることにした。

〝5人目のクルセイダーズ〟を男にするための設定を新たにでっち上げる必要があったが、キャラの設定に関してはいとも簡単だった。すでにいる女の子4人との関係で考えればいい。姫に次ぐ学力と頭脳を持ち、オトシマエと同等の戦闘能力があるくせに性格は軟弱、ヒョーキンでチクリンにはどうやっても信頼されない。「ミホちゃんはぼくが守らねば」と本気で思いながらその健気さや純真さに思わずムフフとなってしまうとか、いくらでも思いつけた。名前は〝気が抜けるほど弱そうなネーミング〟で「さん」をつけたいということだったと思う。水谷というキャラに関しては、BP氏が格闘技に興味があるらしいことや当時夢枕獏の「キマイラ」シリーズのイラストを担当していた天野喜孝との類似性があることなどからお願いした。期待どおりだったことは言うまでもない。

 キャラ設定以上に物語に役立ったのは、イラストの打ち合わせだった。ほぼ毎回のように原稿が上がってページの割り付けができると、そこに入れる絵柄をBP氏と熱くなってセッションした。「女の子の過剰な可愛らしさとかは意識しなくていいですから」と何度も言った気がする。ストーリーのダイナミズムとその中での活躍があれば、キャラは自然に輝くという確信があったにちがいない。第1回でミホがガラスに突っ込むシーンとか、第2回でオトシマエが校舎の上を飛ぶシーンとか、文庫には収録されなかったが姫が礼拝堂の中でメガネを外すところをシルエットでとらえたシーンもあったはず。ああいうところは、だいたい私が身振り手振りをまじえて説明して描いてもらったものである。

 BP氏ならではの画期的な工夫もあった。マンガのようなコマ割りで場面の臨場感を出すという手法である。おかげで文庫本収録時に複数のイラストを同じページに入れて収録枚数を増やすなどということもできた。文庫の口絵をオリジナルマンガでやるという文庫初のアイディアもBP氏のものである。ちなみに、トビラ絵を「朝、昼、夜」の校門の風景にしようというのは私の提案で、BP氏の抜群の画力に期待してのことだった。それは、あわただしい物語に一本の筋を通し、気品を添えることになったと思う。

 物語の後半では、私があらかじめページの割り付けをし、イラストスペースを確保した上で原稿を書くようにもなった。文字制限に合わせるのは大変なことだったが、この部分はイラストに任せられるだろうと考えながら書けばよく、ここにも信頼のおけるBP氏と組めた幸運はあった。だから私は思うのだが、イラストがいくらたくさん入っている作品でも、「聖エルザ」ほど文章とビジュアルが一体感を持って進行するストーリーはかつて例がないだろう。一部では「ラノベの元祖」のように言われ、キャラの設定を後続の人たちが生かしてくれたり、設定がうまくいった代表例のように分析してくれたりしているようだが、すべては必要という母が生み出した産物であり、物語に過不足なく活かすことを目標とした結果なのである。

 こうしてふり返ってみると、私の作品がビジュアルに対する強いこだわりで出来上がっていることが理解されると思う。コミック化やアニメ化を想定しているというのではなく、私自身が最初で唯一の目撃者として見えたものを、そっくり文章化するというのが究極の目標なのである。「マチウ」を構想して「うん、これなら書ける」と久々に確信させたのは、妙な言い方かもしれないが、映画にはもはや映像化不可能な壮大さなどないのだなと知ったことだった。壮大さ、精密さ、造形美を極めた作品はどんどん生み出されているが、それだけにすぎないコケ脅しの作品も氾濫している。造形的な想像力に完全な自由が与えられているのなら、あとはそれを可能な限り生き生きと見せるストーリーと人物があればいい。それはまちがいなく作家の仕事であり、自分の情熱をわかせる仕事だと思えたのである。

 長くなってしまったが、次回はいちおうまとめのようなものをと考えている。では。

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