ある光景を思い出す。四谷の雑居ビルの一室で漫画家がカリカリとカッターでスクリーントーンを削っている。彼は無言で、ほかには私しかいない。私も黙って横からその作業を興味津々でのぞき込んでいた。ペンタッチも生々しい制作中の原稿を、そのとき初めて目にしたのだ。彼が描いていたのは「神星記ヴァグランツ」。その作品でデヴューしたばかりの若い麻宮騎亜だった。
彼とはそのときが初対面だったはずで、では私は何をしにそこに行っていたかというと、当時はゲームブックを書いていたから編集者とその打ち合わせか原稿を渡しにでも行ったのだと思う。それで今ふと思いついて本棚を調べてみたら、たしかに麻宮くんが「ダーティペア」の武器のイラストを描いていて、その本の発行日は1987年3月10日になっている。その生原稿を「ああ彼が描いてくれたんだな」とちゃんと意識して見た記憶があるから、会ったのは「ヴァグランツ」の連載から半年くらいの頃だろう。
私が原作者と作画家との関係に興味を持って話しかけたのだったと思うが、麻宮くんは人物や世界の設定に対する不満をいろいろ話してくれたような気がする。はっきりと憶えているのは、帰りがけに2人で四谷駅まで裏通りを歩きながら、彼が「ドラマツルギーってのがよくわかんないんですよ」と言ったことである。どんな文脈で言われた言葉なのかはまったく不明だが、やけにくっきりと記憶に残っている。
「ヴァグランツ」はコンプティーク誌に連載されていたから、当然直後に始まる「聖エルザ」のイラストを頼むわけにはいかなかったが、「そのうち一緒に仕事をしたいね」とゲームブックなど書いていてまだ野のものとも山のものともつかない私が、創作家同士の軽い挨拶のようにして言うと、年齢差もあるが、麻宮くんは意欲的な若々しい表情で「ええ、ぜひ」とうなずいた。たぶんそれもあのときのことだっただろう。
その後、「聖エルザ」の連載を開始する。ゲームブックを出していた富士見書房も私が小説を書けそうだとわかって、ホラーを書いてみないかと打診してきた。「ファンタジーなら書きたい」と答えると、創刊予定のドラゴンマガジン編集部に所属する新しい担当者がついた。それはまだファンタジア文庫の創刊のことなど知る前だったはずだ。新しい担当には後のライトなノベルのことしか頭になかったようで「ははあ、その大剣一振りで100人一気になぎ倒しちゃったりするわけですね」というような反応ばかりで、参考資料として「ゲド戦記」や「グインサーガ」を持参した私はだいぶ当惑したものだった。
私は最初から本格ファンタジーを書きたいと思い、麻宮くんと組めばそれは十分可能に思えた。その作品は結局ファンタジア文庫の創刊ラインナップに入ることになったが、編集サイドからちゃんと理解されていたとは思えない。イラストレーターには麻宮くんを起用してくれと力を込めて頼んだ記憶がある。彼自身は大乗り気なのに、忙しくなりつつあった麻宮くんに編集が過剰に遠慮したからだった。作品のほうは「聖エルザ」とはノリも傾向もまったく違い、どんどんシリアスで重厚になっていく。これが通用するのかどうか、迷いはずっとあった。編集からははかばかしい反応がない。とにかく発売に間に合わせねばと思い、しっかりまとまらないまま脱稿した。「まあいい、2巻め以降でちゃんと整理していけば」というように自分に言い聞かせた気がする。しかし、当時はよっぽどヒット確実な作家とみなされなければ2巻、3巻と出してもらえる保証はなかったと思う。すくなくとも自分がそんな作家だとは思ってもいなかった。
あのときの気持ちは、「マチウ」を書いているときより不安だった。「これが通用するのか、理解されるのか」と。けっきょくそれは杞憂に過ぎなかったようだ。「ジェラルディン・サーガ」は発売からすぐに増刷が出て、「聖エルザ」の勢いもあったのだろうが、他人のフンドシ(作品)で相撲を取ったゲームブックなどよりはるかによく売れた。編集も手のひらを返したようにニコニコした声で「ガンガンいきましょう!」などと言う。もう時効だと思うから告白するが、1巻めという体裁をつけるために私は後々の構想に致命的な影響をあたえる妥協をしてしまっていた。文章は見た目にそれほど悪くないはずだが、作者当人としてはエンターテイメントし続けるノリを確立していない。そういえば、私が編集にお願いしていたのは「ジェラルディン・サーガ」がメインタイトルで「人外魔境コブの秘密」はサブだったはずなのだが……。今となればつまらないこだわりに過ぎず、いずれも2巻めからどうとでも修正可能なはずだったが、どうにも気分が乗らなかった。そうやってズルズル時間だけが過ぎていってしまった。……と、それが真相です。
真相告白ついでに後日譚を。90年代の後半のものと思われるが、「ジェラルディン・サーガ」の構想を新たにまとめた「真ジェラルディン・サーガ」なる表題のノートが残っている。書き出しは、既刊の1巻で青年魔道士となっている主人公格のアルベルがまだ少年で、王都ダンフォースの巨大な城門前にかかる橋の上で、中に入れてもらえずに呆然とたたずんでいるというところから始まっている。発売から10年が経過し、こういう形の再開もありうるのではないかと思い立ったのだと思う。
麻宮くんはその後「サイレントメビウス」で大ブレイクしていくが、近未来都市を描くのと同様に、映像的なこだわりを持つ彼なら「ジェラルディン」の中世的世界を魅力あふれるタッチで描いてくれたにちがいなく、彼の芸域もさらに豊かなものになったにちがいない。先日も「ホビット」のDVD最終巻を見たばかりだが、エンドロールの背景に映し出されるイラストを見ていると、まさに麻宮くんの絵だなと思ってしまった。彼ならあれを、オリジナルで作り出すことができたことだろう。
創刊当時からかかわっていたコンプティーク編集部とそこに出入りしていた人々はまるで梁山泊のようだった。そこに加わった私は、「ロードス島」の水野良さんやゲームデザイナーの黒田幸弘氏などの書き手もそうだが、いっしょに組んで作品を作り上げた麻宮くんとBlack Point氏、後の伊東岳彦氏はやはり特別な存在だった。「いっしょにビッグになろう」と焼肉をつっつきながら語り合ったのはBP氏だった。いわば徒弟修行時代の仲間だったと思う。
またとりとめもない話になってしまったが、映像的なものに対する強いこだわりと抜群のセンスを持っていたという意味で、麻宮くんとBP氏との関わりはどうしても外せない。次回は当然、「聖エルザ」のイラストレーターであるBP氏編になると思う。
では、また次回。