渚→ホエルへの感情の正体が明らかに。
渚は過去の経験から典型的なメサイアコンプレックスを陥っているわけですが、彼女はそれを自覚しながら自己否定を匂わせる意図で使っています。本来のメサイアコンプレックスはいわゆる『ありがた迷惑』をする人で、これまでの描写から渚にもその気があるよう描いてきました(夫人への事情聴取が最も顕著)。この話で描かれるのは、それによって否定的な自己肯定を行う渚です。渚は親の顔を思い出せず、それによって生じる悲しみや弔意も欠落しています。作中でも言っていますが、彼女にとって葬儀関係は正直親族たちとのギャップに煩わしさをもたらすもので、それを彼女は幼少期にグレイテストバンを見たことで無理矢理解決しました。『下には下がいる』という感情自体はありふれていて、実際に逃避の感情として例に挙がると思います。そして今回、彼女がホエルに執着する真の理由として、この理論を用いて納得しています。
あまり褒められたことのようには聞こえないと思います。当然ですね。彼女は自己肯定のためにホエルを利用しようと独白しているわけですから。
しかし一方で、渚は今回の件で追い詰められ、原初の感情を見出します。『痛いものは痛い。辛いものは辛い。怖いものは怖い』です。
たとえホエルにクオリアがなくとも、自身の保身のためであろうと、渚はホエルの苦しみに共感し救おうとしています。どちらも事実です。自分の大好きな伊藤計劃の『ハーモニー』から引用するなら、この二つのエージェントの競合そのものが意志であると言えます。
どちらかが渚を構成しているというわけではなく、上記二つを含めた様々な欲求の競合が重なり合ってあいまいとなったのが渚の意志だと理解していただきたいと思っています。
次回更新は9月11日(月)です。
ファントミーム・オーヴァーレイ/葛猫サユ - カクヨム
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