ご無沙汰しております。神崎ひなたです。
このたび、大澤めぐみさん主催の「第十回本物川小説大賞」の参加作品として、「バリ屋のいない連絡橋」という話を投稿しました。読んでね!
企画URL→
https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054890042818 作品URL→
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890520098 ちなみに、私のTwitterにも参加作の感想なんかが置いてあったりしますので、興味を持たれたものがあったら是非よんでみてくださいね。(以下、URLより私の感想モーメントへ飛びます)
https://twitter.com/i/moments/1150782739752161282?s=13 以下、あとがき的ななにかを。
書き上げて「夏、終わったな」という感じがします。まるで高校野球が終わった時のような……。企画は8/11までなので、まだまださらに面白い作品が出てくるはずですから、終わった感を出すのは早すぎますが、とりあえずノルマは達成したのでひと段落です。というわけで、あとがき的なモノを書いていくよ。
最初、この企画に参加するにあたって、まったく別なお話を書いていました。ストレスによって人口の九割が謎の病気に発症し、人ならざる姿へと変貌してしまった人々を、イカれた女の子がカラシニコフと大麻を持って救済する、なんてお話です。が、18,000字書いて「なんか違う」が拭えなくて、辞めました。やっぱり、底にある知識の差というか、広江礼威氏や虚淵玄氏や相田裕氏のようなものを書くには付け焼刃と、勢いと、想像力だけではダメなんです。地に足のついた知識量が問われます、というのを痛感しました。
んじゃ何書けばええねん、ということで、とりあえずめちゃくちゃ酒を飲みました。その結果生まれたのが、「バリ屋のいない連絡橋」でした。これを書いた時の記憶は、ほぼありません。なんでこういう話を書こうと思ったのかもよくわかりませんし、ていうかバリ屋ってなんやねん。
で、一晩経って冷静に読み直したとき、意外となんかこう良いなって思いました。極限まで酔っぱらっているがゆえなのか、無駄がなくて、自分的には読みやすいと思ったのでした。偶然、いつの間にかそこに生まれたのが「バリ屋のいない連絡橋」というお話でした。「もっとちゃんとしたものを書かなければ」「もっと強いKUSOを……」と思いつつ、あれよりもいい話を期間内には書けない、と思ったのでした。これ以上になにかを説明しても壊れてしまうし、なにかを削るわけにもいかない。そういう不完全さで成り立っている完成しているあの話を。私はどうも気に入ってしまったのでした。
固有名詞の一切登場しない物語です。殴り書きのメモから一応、名前を決めていたらしい痕跡は見つかりましたが(バリ屋さんはエルリア、「私」はジョナサンというらしいです)それもなんか「いらねぇだろ」って消した記憶があります。名前のあることに、嘘くささを覚えたんだと思います。なら、いっそ名前なんていらないじゃないか、と。
同様に、人物の描写もあんまりないです。エルリアは野良のバリ屋という設定上、ボロ切れを纏った人物、という設定だったのですが、これも「別にいらねぇだろ」って消した記憶があります。いや「別にいらねぇだろ」ってなんだよ。いるだろ。
結局、あの話を通して自分が言いたかったのはダイコウジ・ガイと一緒で「生きてりゃそのうちいいことあるって!」なんだと思います。だから死なないで頑張りましょう。
人生って結局、終わってみるまで分からないんですよね。それまでパッとしない人生を60年間歩んだとしても、61年目で、7億円の宝くじを当てたら、その人の人生は「どこにでもいたおじいちゃん」から「7億円を当てた人」に変貌してしまうように、どこで、何が起こるかは分かりません。勿論、長生きしたからって良いことがあるなんて統計はありませんが、悪いことが起こるって考えるよりはきっといいんじゃないでしょうか。「どうせ生きてりゃそのうちいいことあるって!」
そんなわけで、あとがき的な何かでした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。