庭の木で鳴く蝉の声を聞いたら、この『蝉』をアップしようと思っていた。無事にアップ出来たということは、まだまだ梅雨は明けそうにないけれど、蝉は、鳴き始めたということだ。
ところで、『カクヨム』で『白い髪の少女・白麗』を書き始めたころ、ここで純文学を書く人っているのだろうか?と思ったが、現代詩にいったては絶対に皆無だろうとも思っていた。しかし、最近、自主企画イベントの案内を注意して見るようになって、また時に参加もするようにもなって、「純文学風現代ドラマを書いていらっしゃる人、いるんだなあ。あっ、現代詩を書いていらっしゃる人も!」と、いまさらながらに大発見!(笑)
そして、自分でも現代詩をアップするようになって、そして自主企画で人の現代詩も読むようになって、自分が現代詩を書こうと思いたった昔々のことを思い出した。
好奇心の私は強い私は、『毒を食らわば皿まで』というくらいに、やってみたいこと興味のあることにつき進んでしまう。「詩を書きたい!」と思い立つと我慢できなくなって、書くというよりも交流に重きをおいた集まりに、産後すぐの崩れた体型(!)で独身だと偽って、飛び込んだ。(本人はうまく騙したつもりでいたが、周囲にはすぐにバレていたらしい) ほんとうはそこから始まって、順を追ってあれこれと書きたいのだけど、いろいろと時系列に思い出すのがめんどくさい。まあ、これからぼちぼちと…。
…ということで、話は戻って、現代詩『蝉』のこと。
これは、書き始めて年月も経って、セミプロも自認されている大人の集まりの同人誌で書き始めたころの詩。年配の男性からは、「若い女性は、子育てなどからくる毎日の生活の愚痴を素直に書いていればよい」と上から目線で暗に示唆され、同性の女性からは、「あなたの書く詩には社会性がない。現在の自分と社会のありように満足している無知で情けない女の書いた詩だ」と、さんざんに酷評され続けた。
あまりに腹が立ったので、「私は、こんな詩が書きたいのだ。文句あるか!」と、『蝉』を書いて発表した。私としては、なかなかによく書けた詩だと思うのだけど、仲間からみごとにスルーされた…。(笑)
書き続けるということは、自分の感性を守るために戦い続けるということだと思う。しかし、この『カクヨム』では、皆さん、自分の感性を守るためではなく、PV数と戦っているのではと思う。