まず誤解なきように書いておくと、別に何か訴えたいことがあって書いている訳ではないのですよこのノートも投稿してる諸々も。
テーマっていう言葉を持ち出すと、なんだか小難しい話に感じられるし、重たそうであまり好きじゃないというのが本音。
テーマっていうものは大事だとは思うのだけど、自分はまずはじめに「面白い物語」を書きたいだけで、テーマっていうのはさほど意識してなくて(面白い物語を書きたい、というのがテーマなのかもしれないが)、でもまあテーマっていうのはあった方が発想の指針になるなぁとは思っているので、何かしら話のテーマを考える。まあ書いているうちにおのずとそういう何かが浮き彫りになる場合もある。
で。
政治と宗教、というのはすごくテーマっぽいのだが、別にそういうのが好きで書いている訳ではない。何か主張したいことがある訳でもないのだが、最近書いた異世界ファンタジーはそういう感じの話になっている。
言い訳を聞いてくれ。
元はといえば、ファンタジー世界でゾンビパニック、というイメージがあって、アンデッドがいる世界を考えた。アンデッドに対抗する存在といえば、聖女とか神のパゥワーだろうな、と。そうでなくても、「人間は死んだらどうなる? なんでアンデッドに?」とか考えだすと、おのずと宗教要素が出てきた。というか、まじめに異世界を構築していこうとすると、おのずとぶち当たるのが「神」の存在だと思う。その世界はどのようにつくられたか、とか。まあ今回はさておき。
異世界ファンタジーの時代感でいえば、王様とかそういう存在は「神に選ばれたもの」みたいな立ち位置になる訳で。そこで政治要素が出てくるが、まあ冒険メインの話であればかかわることもないのだけど。しかし戦争とか王侯貴族が主人公の話になるとやっぱり王様要素は必要なわけで。
で、最近書いた異世界ファンタジーこと「シナズノキミ」は「世界を変える運命の恋」というコンテストのために考えたものなので、発想の初期段階から「ヒーローは王子」みたいな考えがあったため……そういう経緯で政治と宗教要素がどっぷり入ってきたのであった。
そもそも。
自分が書きたい系の異世界ものというのは、「物語が進むにつれ世界に隠されていた秘密が明らかになる」系なので、そうなると世界の根幹、神の存在に触れたり、世界の支配者としていろいろな秘密を握ってそうな王侯貴族がかかわってくるのは自然な流れだったりする。何かしら世界の秘密にかかわる情報を握っているから、王様としての地位を手に入れた、とかある。秘密を隠せるのはやっぱり王様とかの支配階級、力のある宗教勢力とかだろうし。
いわゆる「異世界転生・転移して現代知識で無双する」系の話も、いわば「自分だけが知っている知識」を使って成り上がっていくものな訳で、その延長線上にあるのが上述の王様だったりするのだと思ったり。別に世界をつくった神様っていう超常存在でなくとも、今の文明を築き上げたものの正体が実は現代社会から転生・転移してきた人間で、そいつが神格化された、という「真実」が明らかになる感じでもいいのである。
自分たちがあがめているのはそういう「どこからかきた怪しい人間」ではなく、「天から現れた神」である……という方が何かと「都合がいい」から、そういう風に神話化という名の改ざんをして、真相をひた隠す。
で、話戻って。
シナズノキミに関していえば、アンデッドと聖教の関係を「世界の秘密」として取り上げたいと思った。アンデッドが発生する理由は? 聖人や聖女がそれを浄化できるのには何か秘密があったりして? と。その世界において重要な働きをする存在だから、いろんな力を得る。権力とか。おのずと指導者的なポジションになっていく。宗教が政治にかかわるのは必然的な流れなのだった。
そも、昔々の王様というやつは「神に選ばれた」とか「神の化身、その子供」みたいな理由があって王権を得ていた訳で。そもそもからして政治と宗教は切っても切れない関係だったりする。それでも切り離して考えていこうというのが政教分離というものなのだろうが……。
個人が死ねば、葬式をする。それって宗教的儀式な訳で、日本であればお坊さんとか呼んだりするし、海外なら牧師とか神父さんとか出てくる。政治家もいうなれば個人で、そういう「縁」のようなものはおのずと存在するし、個人である以上なにかしらの信仰があっても仕方がないだろうと思う。海外だと、裁判とかでも聖書に手を当てて宣誓供述とかあるし。祭りだって元をたどれば宗教的儀式な訳で。そもそも人間の生活に宗教の存在は欠かせないっていうか、浸透しきっていると思う。
そういう点で、どうあがいても繋がりがある。まあそこに欲得が絡むから問題視されるのだろうけども。
個人的に思うのは、政治とかそういう社会の運営は、人間ではなく、AIとかそういう機械にゆだねてしまうのが一番なのではないか、とか。別にAIを神格化する訳じゃないけど、個人の利益とか考えない、そういうシステムに任せてしまうべきだろう、と。
ただ、そういうシステムだってしょせんは人間がつくったもので、そうなると管理者的な人間が出てきて、そいつの都合が入ってくる可能性もある。いつの間にか独裁体制、そのシステムを握った連中が世界を支配することに。
あと、機械による社会の運営って最終的にディストピアになりそうなイメージしかない……。
じゃあ人間でも機械でもない、もっと超自然的な存在に管理してもらおう……はい、神さま登場。神の言葉の代弁者という名の王様が現れ以下ループ。最初は純粋に、正しい世界の運営を目指していても、代を重ねるにつれ腐っていくのは世の常な訳で。
そうやっていろいろ「政治と宗教」について考えると、なんかもうイヤになってくる。
それって、たとえば勇者が魔王を倒して世界に平和を取り戻して、その勇者が王様になって数代くらいは世界も正しく運営されるんだけど、やがて没落したりなんだりでまた戦乱の世に戻っていく……みたいな話で。機械に支配されたディストピアから人の自由を取り戻そう、という物語も、結局は数代限り、取り戻したとしてもまた同じような支配体制に戻っていくんじゃないか。
……まあ、「人の自由」をテーマに物語を描くだけなら、「エピローグのその先、その世界の未来」については別に切り捨ててもいいのだろうけど。誰も、ヒロインとヒーローの恋愛とその成就は見たくても、その後の新婚生活とか育児とか老後とか、そういうリアルまでは見たくないだろうし。
なんか、異世界をつくろうとしていると、個人の物語がいかにちっぽけで無意味かって考えになってくるのだった。シナズノキミではそういう虚無感も一種のテーマになってるんじゃないかと思う。
でもでも、最近「呪術廻戦」観てて、「夏油さまの物語はもう終わったんだよ」っていうなんだか意外な台詞が出てきたのだが、それがけっこう心に響いている。個人の物語でいいんだ、ていうか、その主人公の物語を描くっていうか、なんというか。
死んだから終わりって訳でなく、目的を抱いてその達成のために行動して、その結果がどうあれその人物が何かしらの納得を得られたのであれば……そうなるまでの過程が物語になるんじゃないか、みたいな。書いてみると、何を当たり前のことを、とも思うが、そういうことを見失うくらいにはいろいろ面倒臭いことで頭を悩ませている。
自分の創作的な話はさておくとして、普通に異世界ファンタジーを読んだり観たりしてると楽しいし、こういうの書いてみたいって思う訳で。世界の秘密とか壮大な話でなくても、普通に冒険したり戦闘したり、個人とその周りの日常の物語でも楽しいんだけども。まあ、難しく考えすぎなんだろうが……その「日常」を描くには、その世界の基盤、社会体制を考えておくことがその異世界のリアリティに繋がる訳で……また政治の話になるのである。
そんでもって、個人の物語よりも、その過程で明かされる世界の秘密、という方が面白味があると自分は感じるので、おのずとそういう方向になっていくという無限ループ。世界とか壮大でなくても、「秘密・謎」がない物語って面白味がないのでは、という個人の見解です。
無限ループ、同じことの繰り返し、輪廻転生……。人の社会が同じようなことの繰り返しなのは人間がダメダメな存在だからで、この世界がそういうものだからで、そこから抜け出し、もう輪廻しなくなることこそがゴール……とかいった考えにも一理あるように思う。また宗教の話してるけど、そういう、設定づくりのために宗教について調べるのは楽しいんだ。信じる信じない関係なく。魔法とかのアイディアの元ネタになるしね。
……世界が平和になってそれが長く続くと停滞してディストピアっぽくなっていくんだけど、全人類がもう「生きるのに飽きた」……というか、「もう満足した」と思えた時、輪廻転生からの脱却が起こる、みたいな。それがその世界の完成、その世界の、物語の終わり。みたいなことを考える。
ちなみに、シナズノキミに関しては「世界を変える運命の恋」というのがテーマになるべきで、政治だのなんだのは二の次、ヒロインとヒーローの恋愛に主眼が置かれるべきなんだけど、まあ上述の考えが巡り巡って、「世界を変える」というところにやたらとウェイトが置かれてしまっている。たぶん、「運命の」ではなく「恋」をもっと意識すれば、少なくとも見かけ上はこういうぐるぐるした難しい考えは見えてこない、読者からすれば純粋に楽しめる異世界ファンタジーになるのではないかと思われる。
……むしろ、作者のそうした考えを感じさせないように、うまくつくることこそが作者の使命なのではないか? などと思ったり。政治だの宗教だのも物語を盛り上げるための一要素、エッセンス程度で、設定は練りこんでいてもあまり表に出すべきではなく。なぜこういう展開になったのか、の説明とか都合のために設定があるべきなのかもな、とか。でも「そういう展開」を思いつくための地盤固めとしてそういう設定が自分には必要な訳で……。やはり無限ループ。
なんていうか、人間社会の都合とかしがらみとか、そういう面倒臭いものからかけ離れたところに異世界ファンタジーってあるべきなんじゃないか? とか思う。というかそういうものを求めて我々はファンタジーに希望を見出すのでは?
魔法がある世界であれば、別に現実の物理法則に囚われる必要はない訳で。地球型惑星じゃなくてもよくて、世界が象の上に載っててもいいし、世界樹っていう木の枝の先にあってもいい訳で。でもまあそれはそれで、その世界なりの「物理法則」という設定を考えるのが大変なのだが。シナズノキミでは「ここは地球型惑星です」というのを提示するために月に触れたりもした。その世界観における宇宙観を早めに提示しておくのって大事だと思うのだ、そういう意味で。文明レベルの示唆にもなると思う。
しかし、ファンタジーとはいえ知的生命体がいる以上は政治や宗教という概念は出てくる……。自分たちはどこからきて、どこへ行くのか? それをその世界の住人はどのように捉えているのか? そういうことを考えておかないと、リアリティに欠けるっていうか、現実味のない、薄っぺらい世界観になると思うのだ……。その世界の住人たちがそういうことを考える余裕もないくらい、日々の暮らしに一生懸命っていう世界観は、リアルだけどあまり面白いものではない……。
そういうものを超越した先にあるのがファンタジー、幻想? なんだかユートピアとディストピアは表裏一体みたいな話になってくる。
もっと軽く、難しく考えないでいければいいのだけど。
政治や宗教とかとは関係ない、人類がただ楽しむだけのもの……漫画、アニメ、音楽……つまり、エンタメ。そう、僕はエンタメが書きたかったのだ! と原点回帰。まあ、いうて絵画も音楽も宗教の影響があって発展している節はあるのだが。オタク界隈にも「信者」って言葉があるくらいだし。アイドルだって「偶像」だよ。そうやって推しを巡って争いがおきるんだ……。ファン同士の醜い対立、エンタメだってただ「楽しい」だけじゃないという現実……。
しかし、そういう……たとえば、「眼鏡っ子はぜったい眼鏡はずすな派」と「たまに眼鏡はずしたところにきゅんとくる派」の対立とか、そういう政治思想、宗教思想くらいの俗さ、欲望丸出しな感じが「ちょうどいい」と―ここまでいろいろ書いてきて、見出した結論。貧乳党と巨乳党が争ってればいいんだよ。巨乳党にもかたちとかサイズとかで派閥が出来たりとかしてさ。それくらいで。それくらいのことをまじめな顔で論争してる議会とかが、面白いファンタジーに繋がるのではないか。
でもそれだと薄っぺらいっていうか、なんていうか、たとえば現実の話、災害時とかなんかもうどうしようもない環境になった時、なんの意味もないものになってしまうような気がして。自分の存在意義とか、なんかそういうものへの危機感を覚える。くすっと笑えて気が抜けるかもしれないけど、そんなこともできないくらい余裕がなくなったりしてるかもしれないし。そういう時こそ人は宗教に縋るけど、でも「美少女・イケメン」の存在が支えになったりするのかもしれない。
かなうなら、現実に還元できるエンタメを書きたい。ただ面白かったな、でもいいんだけど、それで忘れ去られて終わり、みたいなただの「時間つぶし」じゃなくて、それが生きる糧になるような。よく聞く言葉に、あの漫画の最終回を読むまで死ねない、みたいなのあるけど、そこまで影響力なくてもいいけど、意味のないエンタメにはしたくないなぁ、と。ツイッターとかでたまにあるような、「印象に残った漫画のワンシーン」とかそういうタグにタイトルが載るようなレベルでいいので……。「クソつまらなかった小説のタイトル挙げてけ」とかそういうのは嫌だけどね?
……まあつまり、「それ」が自分の書くもの全般に関する一貫したテーマになるのか? などと思う。