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カクヨムに登録してから、生まれたキャラたち

なんでこんなに、キャラがいるんだろう、さみしんぼなのか。

感覚的にはモンスターを合わせても15人いるかいないか、でも、隅っこまで数えるといるわ、いるわ。

「図書館の魔女」より

◇登場人物(出演順) 

バール:主人公
受付の事務官
ラガード・ハッシュ:水晶玉のおじいちゃん、試験官
スーラ:才能のある新人
スーラの担当試験官
レオン・マクシミリアン
アルバルト・トロイメライ子爵:上級生
学長
死霊術の講師
ネリー・オーズ:死霊術士の助手
助手その2
助手その3
図書塔の管理官:ルシアスさん
ミンシカ
死霊その1、2、3:見分けがつかない
合成獣:(登場人物?)
狂博士:合成獣製作者
エクシーデ:レオンの契約者

◇改稿後、完結までに増えた人々(もう面倒だから順不同)
・アレクシア家
セイオン:祖父
ドロシー:祖母
ザック:伯父
エヴァン:主人公の父親(ヘリオと双子)
ヘリオ:叔父
ブラウ:叔父
ジィト:従兄
セフィ:従姉
ノロイ:従兄
アシュリィ:従姉
クラウド:従兄

・エバーオール家
サンダー:祖父
ピナコ:祖母
イーグル:伯父
ニルス:伯父
アルルカ:伯母
アマリア:主人公の母親
孫たち7人(男3、女4):従兄弟、従姉妹

・チャズナ家
リゲル:ブラウ叔父さんの義父
ミース:ブラウ叔父さんの義母
ユール:ブラウ叔父さんの嫁
ティモス:従弟(ジーモスと双子)
ジーモス:従弟
レイエ:従弟
ライア:従妹

・マリテュス関係
ガウル・エバンス:講師
青眼の魔術士:講師
谷の魔女:講師
眠い講義をする教師
キノコマン:モンスター、個体名あり
黒翼の獅子:幻獣レイヴンハート
雪花の蛇:幻獣クーシェル
夜行時間:幻獣フォルモーサ
マノア:食堂のお姉さん
食堂のおいちゃん、おばちゃん3人
吸魂の書
禁断の書
ミンシカの記憶の人

第1期総勢:ざっくり64名

こんな時に名前のない脇役まで、いたよねあんな人、と上げてしまうからいけないのか。
主要3人しか決まってなく、レオンやミンシカを書こう、と思った話でもあったのですが、二人の名前を決めたのは、書き始めてからという、設定に気を取られていた作品。


◇「ばけとり」より
(出演順)
瞑旡
狼鬼
李川
羅 豪龍
師父
墨永十一
櫛引タカ子
墨永リムカ
リムカの叔母(姉)
叔母の旦那
リムカの叔父
有馬
志村
安芸安房

ざっくり14名

やっぱりちょっと、字数的には多いかもしれなかった。明器もぜんぶ入れたかった!

こちらは、主要キャラは4、5人決まっていました。
羅の戦闘狂とかはアドリブ。
リムカとか安芸くんが新しくお目見えした人たちです。
「ばけとり」という話に不可分である李川と瞑旡がいれば、話はふくらんで彼らに出会う人物が湧いてきます。

話が作れないとキャラクターもつかめない。新しい話が作れなくなったと思うきっかけは、話もキャラも宙に浮いてる物語が、三つあるため。

キャラもタイトルも決まってるのに、話がつかめないから、キャラも決定しないで常にグズグズと変化する曖昧さを残している。書きたいもの、輝きが見つからず、まだ二次元の紙の上で、血肉を得ていない。

先日の事件にしても、むなしくなることが多い世界で、誰に何を書いたらいいのか、なぜか一日を生き延びるので必死です。

こう自分に「書く」と思わせる内容が、見つからない。
ホフマンのはしっこをかじって、書きたいものがないわけじゃない、とは思ったけれど。苦痛を伴うようなものじゃないと、書く気にはならない、書いたという実感を得られない気がする。

生きる実感を得るために、苦痛はちがうだろう。

自分の心に必要な物語が見つからない。
そんなものあるんだろうか。

7件のコメント

  • こんばんは~(*´▽`*)

    いつか、と思っている話だったりネタだったりは、私もありますよ~(*´▽`*)
    まだネタと呼べるものの状態じゃなくて、「タネ」の状態だったりもしますけれど。
    そのうち芽吹くタイミングがあるさ~、と暢気にかまえてます(笑)


    実は、こちらの近況ノートは数日前には拝見していたんですけれど、読んだ瞬間、感じたものを文章化するのに時間がかかってしまいまして(*ノωノ)

    ふわふわもやんもやんしていたのが、ようやくちょっと形を成した気がしたので来ました(*´▽`*)

    違っていたら申し訳ないんですけれど、日竜様は、苦痛を求めているんじゃなくて、「簡単に書けるものじゃない物語」を書きたいと思われているのかなぁ、なんて思ったりしたのですが。

    生みの苦しみというのは、最後に幸せだったり嬉しさだったりが待っているから、単なる苦痛とはまた別物なのかな、と。


    和泉様がいつかおっしゃっていた、新作には常に、今まで挑戦したことのない新しい要素を入れるという話が、ずーっとずーっと私の心に残っていて。

    正直、私は和泉様のように、常に新しいことにチャレンジしているわけではないんですけれど。

    今回、オーバー30コンテスト用の新作を考えるにあたって、「30歳超えの主人公は書いた記憶がないな……。初挑戦だな」と思ったら、主人公の年齢以外にも、いろいろと今まであんまり書いたことのない要素がどかどかと入ってきてしまいまして(汗)

    正直……。ただでさえ締め切りギリギリなのに、なんでこんな書き慣れてない要素を色々ツッコんだ!? と自分で自分に毎日、ツッコミ入れてます……(-﹏-。)
    なかなか、書き進められないんですよ……(涙)

    締め切りがあるんだからさぁ、得意分野で書いたらよかったでしょ、って……(> <。)

    ……でも、気がついたらそんな感じになってたんですよね……(´-ω-`)

    すみません、思わずグチってしまいましたが(>﹏<)
    もしかして、日竜様もそんな感じなのかな、と。

    書こうと思えば、自分の得意分野に寄せて書けるけれども、今はあえて高みを目指して、思い悩んだり、切磋琢磨なさっている時期なのかな、と。

    あ、私は高尚なことは考えてません!(断言)
    小説の妖精さんに振り回されているだけです!(笑)

    きっと日竜様の求めているものは「苦痛」じゃなくて、「苦しいほど悩んだ果てに書きあがった物語」であったり、「悩み苦しんで挑戦して、成長した自分」だったりするのかなぁって……。

    って、違っていたらすみません(*ノωノ)
    でも、なんだかそう読めてしまったのです……(*ノωノ)
  • 綾束さま

    泣かないでー(©️ぴあの)

    コメントありがとうございます。
    「夫君と女狐」(略)は思わぬ芸風まで身につけることになりそうなのですね。
    未知の体験は楽しそうですが、〆切というきっぱりした約束があると、そうも言ってられませんね。
    武運をお祈りします。やってやれないことはないと、エールを。

    それ楽しそう! と思うものを作ってきたような気がします。
    それを形にするため奮闘していて、バールの話と瞑旡の話、そして座談会の編集では、ここがねこう楽しいというポイントが違い、色んな知恵を駆使し……どころか、はやく進化しろ自分!状態です。

    話が要求するレベルに達してなくて、ごめん、と思いながら書いてます。

    苦労したくないし、得意なものがあれば、物語の方を自分に引き寄せられるのですが、どちらかというと乗り込んでいくタイプの役者で(役者じゃないけど)、海ならエラ呼吸、陸なら肺呼吸、話によって息の吸い方が変わらないと、その中で生きられない感じです。

    多分、まだまだまだまだ下手くそで、細かすぎてわかりにくいシンプルーなことを、物語一本通して伝える、ってことが上手くできてないんだよな、と思います。

    でも、人物たちにあっさり厳しい現実を背負わせている作者が、苦労せず書いてると申し訳ないなとはちょっぴり思ってます。
    真剣にやらないと怒られる〜。
    キャラに顔向けできる話を書き切るには、やつらと同じくらいがんばらないと、書く資格がないとか言われそう。


    もう少し鈍感でいよう(前言撤回)と最近思いました。


    新しい話は作らない方が身のため、という気がしていて、テーマが罪悪感とかになってしまいそうなんですね。
    そこに焦点を当てて作った話はないなと、自分にとって痛いことは、いじりがいがあるというか、話にすることで手を抜かず追求するだろう、いい機会かもしれない。

    息を吸うように物語を作る私が、今、これを血と酸素にしたいと思うものが、そんな気配を持つものだったので、ストップストップ、と思った次第です。

    この時代を感じ取って吐き出して見つめたいと思うことがそれかー、とちょっとしょんぼりなのです。

    話は上手くなりたいけど、やり方がわからないので、ひとまず目の前の話に集中し、成長するしか書ける道がないのなら、成長するしかないですね〜。

    うーん、これで回答になってるでしょうか。

    綾さんの言葉からは、前向きな日竜さんが見えてきて、とてもうれしかったです。
    励まされるようでした。
    ほんとはけっこうぐだぐだだと思ってたので。

    そうこうしてるうちに、もう座談会は日付け越えたから、明日!明日ですよ!

    はじめましてな方も半数以上いるのかな?
    最初の質問を試しに考えていたら、こんな近況やプロフになってしまったのでした。

    そう、そもそもキャラとか話の作り方が、おかしいんじゃない? という疑問がっ。
    話との距離感も、作者ごとに千差万別だってことを、座談会を通して体感してきたのに、今さら実感しています。

    そうしたことを含めて、当日は楽しみたいと思います。
    よろしくお願いします〜。
  • やあ諸君! ではなく、今日はたった一人のあなたへ。
    かの幻想作家には遠く及ばない、しがない書き手の罫線6mmノートを私はこっそり覗き見ていた。そこには次のように書いてあった。恐らくこの書き手は、筆の止まった別の書き手に何かを示そうとした。

    * * * *

     私の思い入れのあるキャラクターをA子とします。私はA子が歩いた道、あるいはこれから歩くことになる道を知っていて、その時A子が見るもの、考えることを知っています。それを拙い言葉で“誰かに見える形”にできるのは、私だけです。では、私がそれを一つも書かなければ、A子の全ては無かったものになるのでしょうか。その時A子は、私を恨むでしょうか。
     こうやってA子を生み出すために書くというのは「何故書くのか」の一つの回答になり得るなのだと私は考えています。少しでも多くをA子に見せる、少しでも遠くへA子を歩かせる。これは私個人のことで言えばかなりの原動力であり、他の書き手にとっても少なからずそうであるはずだと。A子ともう何年も何十年も知った仲であるとか、A子にモデルがいて特別な約束をしたとか、そうやって強力になる原動力です。私が途中で消えた時、文字になって残ったA子が歩くことのできる私オリジナルの世界は、私がその時点までに書いた分だけです。『A子が歩いた』と書いただけで読み手側が素晴らしい旅路を想像してくれるかもしれません。でも、そのたった6文字は、私が書かねばなりません。
     さて、そうやってB次郎とC美とD助が増えたとして、私は4人分のキャラクターを支えるだけかと言えばそうではなくて、4人分の“世界”を支えることになります。(物語世界、とあえて言わず、世界と表記します。)B次郎が魅せたいものが一瞬の閃きであればまだ良いのですが、C美は壮大な世界を望むかもしれません。その世界に現実味を持たせるためには凝った細部が、魅力あるABCD以外の登場人物が必要なはずです。その上で、私の伝えたいものを思い通りに魅せる文章そのものの技量が、ここでようやく問われるのです。光り輝く文章が先行することももちろんあるでしょうが、それだけでは足りないはずです。
     書きたいもの、原動力、少なくとも自分が許せるだけの技量。句点の前と後で3か月時間が空いたとしても、1行前が3年前の文字でも、それを隠そうと人知れず取り繕うことだってあるでしょう。さて、私はA子たちに渡す4つの世界と、普段その書き手が生きなければならない世界を、果たして十分に支えていけるのでしょうか。その時、全ての書き手にとって、“読んでもらうこと”、“評価してもらうこと”は不可欠なエネルギーなのでしょうか。ある書き手にとっての原動力が勢いを無くしたとき、どうにか均衡を保っていた天秤が崩れたとき、

    * * * *

    残念ながらこのノートの文章は一旦ここで終わっている。そう、このしがない書き手はまだ別の書き手に答えを示せるような段階に至ってはいない。A子一人との話し合いは終えているようだったが、それだけではまだ筆が止まることがあるとようやく諦めたように認めて、より深い自己の中へ答えを探しに行った。

    私からその書き手に差し伸べたい言葉はいくつかある。まず、人間の記憶は長期にせよ短期にせよ大した容量が無く、アンドロイドのように外部記憶装置に頼ることもできなければ書き換えも容易でないということ。感動の大長編作品に触れた後に瞬時に無反動で大笑いできるならばそれは才能なのかも知れないが、私から見れば少々首を傾げたくなってしまう。ともかく、A子、B次郎、C美、D助と分け隔てなく仲良くやった上で彼らの世界を保つことが如何に大変なことか。しかし彼らの世界の密度を上げることは彼らが喜ぶことであるし、何より外から読まれるために必要なことだ。他よりも、と今は付けないでおこう。世界の維持拡張は立派な偉業なのだ。たとえ1つでも、小さな世界でも。なのに自分が既にできていることは気付きにくく、褒めても大きな浮力にはならず、さらにはより早く世界を拡張しもっと多くの世界を保持している別の書き手を見て少なからず落胆してしまう。B美は「今はD助の世界に忙しいから」と言うあなたを怒りはしないだろう。そして忘れてはならないのは、4人ともあなたが「あなたの世界に忙しい」ことを許すだろう。あなたの世界の友人には自ら語りでもしない限りあなたが支えている世界の数など知る由もないからだ。

    ともかく、書き手と登場人物との関係に話を絞れば、私とルービットがそうであるように、ある程度の動力源を生み出すだけの深度はある。だがもしそれに限界をみたのならば、全く別軸の、未開拓の軸を探すか教えてもらう方が手っ取り早いことは確かなのだろう。だが同時に、自分が一番長時間積み上げてきた不格好で酷く自分専用なその足場こそが何よりも強固な相棒であることを忘れないで欲しい。

    …とまあここまで書いている間に、先に片付けなくてはならないことができてしまった。A子より先に世界の側を描きたいことがあるのか、読み手の前段に潜む自己肯定の高い壁はA子から見ても同じ高さか、「無人の物語の持ちうる熱量」と題して考察したくなったのだが、ここでお暇させていただこう。ゴメンね!

    * * * *

    とのことです(?)。
    長々とすみません。この近況ノートを拝読させていただき、物語と登場人物に真摯に向き合う日竜生千様の姿勢に思うところがありました。妙に言葉が刺さるのはきっと何か理由があるはず、ひとまず私で言うA子たちが口答えしないように私自身が口封じしていないか今一度考えてみようと思いますが、何より停滞前線をどうにかするヒントを貰えた気がします。ありがとうございます。日竜生千様もどうか前に進めますよう。
  • kinomi様

    おかえりなさい。
    久方ぶりの近況ノートに「浮上」か「復活」を思い、気になっていたところです。

    イロイロと私の方が刺さりました。
    概ね同意、首肯しながら、話とは本来そういうものだと信じて来たよな、あるいは自然とそう受け止めていたものを、再確認するような旅で、そんな境地もあるのか、という発見にも満ちていました。


    恨まれないし無くならないけど、ではなぜ書くのか?

    原動力とは?

    「少しでも多くをA子に見せる、少しでも遠くへA子を歩かせる」
    ということが、私には新鮮でした。
    同時にkinomiさんらしいとも。
    多分、ちょっと違うような違わないような差ですが、一緒に体験しよう(書き手のくせに)とする部分が大きく、書き手の私や人物の誰かが興味を持ち、見たいな遠くへ行きたいな、と思った時に場が広がったり深まったりする感じでした。

    その場にいる書き手は、同時に起きていることを観察し、また、俯瞰している書き手の意志はごく薄く、途方もない部分のチェックをしていたりします。(この話の印象これでOKなの、脱線してない、これも可能性? あとそこのトイレ紙使い切ってるからetc)近くて遠いスタンスをどっちも楽しんでるようですが。

    多くを見せようと描かれる世界は素敵だと思いました。優しく豊かだろうと。

    きれいな景色を見に行こうと言って、見てから驚くパターンに、少し変化をつけられるヒントを得ました。(どう有効にすればいいかはこれから)

    どこか書く話それぞれには、それぞれの世界やルールがあって、書こうと決めた心の向きが違うから、たくさん世界を見たく、しかもたくさん物語も見たいという理由で、話ごと今回はどういうスタンスと印象で、どうしたリズムを刻むのか、一貫して流れる生命線みたいものを大事にしていて、

    「その上で、私の伝えたいものを思い通りに魅せる文章そのものの技量が、ここでようやく問われるのです。」

    わかっちゃいるけど、やはり技量よりイメージと想い、その話の空気をつかむことが、技術とイメージをさらに推し進めるためにも、不可欠な土台ですね。

    原動力は、話が生まれた瞬間に宿っているものという気がしています。

    話になるまでのすべてが、それを有機的に成長させるだろう、何を取り込んでも、非難があっても、苦難があっても、生まれたものの最初の光はきちんと見つめれば、何度でも輝くでしょう、と思う。

    そのくらいには、「話」と作者が認識できるものになったそれは、強い。
    逆に言えば、そういうものが核にないと話できた、と感覚的に言えなくて。

    本当に自分一人で生み出しているわけではなく、さまざまな刺激や胸のなかの意識されない葛藤とか、きっかけが回路と血管を通って、「あ」と吐き出されたものという感じがします。

    自分から出てきたけど、自分だけのものじゃないような。今は感受性も落ちて世間慣れして、欲求もなくてぽへーと漫然と生きてますが。綾束さんへのお返事のなかで、久しぶりに話ができる感覚が自然な成り行きだったことを思い出しました。もうずっと忘れてたはずなんですが。

    どこか人の評価ばかりでは、原動力にはできないと思う所以です。

    「さらにはより早く世界を拡張しもっと多くの世界を保持している別の書き手を見て少なからず落胆してしまう。」

    あるあるですが、kinomiさんでも!?
    と驚くところ。
    少なからずみんなそうなのかもしれず、それに対抗するならやはり評価や講評の重要性も考えられます。

    けれど、でも、どうか、囚われず、ご自分の輝きだけを信じていいと、私は一ファンとして思います。

    傷ついても最終的には「関係ない」と思えるならいいけれど、変に自分を守ろうとするのもおかしいし、結果、見事にくらうのは、自分だったとしても、ちょっとあはれで、それこそキャラクターたちにバッカぢゃないの?
    って言われるので、早く我に帰ろう、背伸びしても身長は伸びないぜ、と思ってます。

    なんだか、とっ散らかった話になったかもしれませんが、創作についてとは思えない、景色と世界の流れを目にできました。

    「無人の物語の持ちうる熱量」

    つづきが見つかるようでしたら、またお話しを聞かせて下さい。

    ひとますばそちらも、梅雨晴れとなりますよう。

    ありがとうございます!
  • こんばんはー。

    何でこんなにキャラが、というのに反応してしまいました(笑)。
    私も、小説を書いているとどんどん増えていくので、正直増やさない様に必死になっていたりする時もあります。
    日竜さんの小説のキャラを改めてみると、壮大ですよね。
    何だか、日竜さんの小説の世界観そのままが現れている感じがします。大きくて、そして緻密に織り込まれた世界観、という感じです。

    私は話が先、ではなく、キャラ(もしくは一枚絵)が生まれないと何も書けない人間なのですが。

    キャラが生まれないと話が書けない。
    話が出来ないとキャラが掴めない。

    これって、表裏一体っていうやつなのでしょうか。うむむ。
    キャラが生まれないと話が書けないのですが、話を書いていく内に、キャラが固まっていくので……。

    私自身、時々書いていて楽しいのに、何故書いているのだろうと思う時があります。
    私は何のために書いているのだろう、とか。上手く伝わる様に書けない、とか。
    楽しいはずなのに、ふと立ち返ってしまう時がある、と言いますか。
    苦しくて、悩んでしまって、そんな風に塞ぎ込んでしまう時こそ、私は小説を書き続けるキッカケになった原点を思い出したりもします。

    先日の事件とは、恐らく先月の事件、のことですよね。
    あれはかなり衝撃的でしたし、しばらくショックが続きました。今でもショックです。

    でも、だからこそ私はこれからも書いていくのだろうな、と再認識もしました。

    私が小説を書く原点も、実は似た様な感じなのですが。
    前に、サイトで小説を公開していた時に言われたことがあるんです。
    私が書いた小説で、とても元気になれた、と。
    だから、これからもどうか書いて欲しい、と。
    ちょうど、東日本大震災に見舞われた時でした。その方は、大震災を経験されている真っ最中の方でした。

    私が書いている小説は、今も昔も私が楽しんで(悩み、苦しみながらも)書いたものです。私が書きたくて書いたものです。
    当然、読まれる方にとって読みやすくなる様にとか、どういう風に書けば楽しんでもえらえるだろうかとは、考えて工夫して、常に加筆修正の嵐です。
    でも、やはり根本にあるのは、自分が楽しくて、読みたくて、書きたくて書いたものです。
    生まれたキャラ達に、生き生きと動いて欲しくて書き続けたものです。

    けれど。
    大震災に見舞われ、暗くてどうなるか分からない中で、それでも私が楽しんで、頑張って生み出した小説が、誰かの力になることがある。

    誰のために書いて良いのか分からなくなっても、誰かの力になる時は必ずある。

    どうして良いか分からなくなった時、私はいつもそのことを思い出す様にしています。

    だから、日竜さんも。
    日竜さんの小説は、誰のために書いているか分からなくなっても。
    それは、日竜さんの小説を読んで、笑って、泣いて、心に何かを感じ取る読者のため、そしてやはり日竜さんのためにあるものなのではないかな、と思います。
    小説やキャラに真摯に、何処までも対話して向き合う日竜さんだからこそ、生みの苦しみを誰よりも理解している様な気がします。
    苦しみ、悩み、上手く伝えられないと迷い続けてきたからこそ、日竜さんの物語は日竜さんの魂を感じるのです。

    私は、とても日竜さんのお話が好きです。生きる上での活力になります。
    日竜さんの世界観というのは、私自身とても勉強になりますし、凄いなあと尊敬しております。
    あと、一度日竜さんの頭の中を割って覗いてみたいです(何度でも言います)。

    色々とまだ悩んだり苦しんだり、自分の小説ってと思ったりすると思いますが。
    とことん突き詰めて、日竜さんの納得のいく小説を生み出して欲しいと思います。
  • 和泉さま

    深海からこんばんは。

    たくさんのメッセージと、貴重な体験談をありがとうございます。
    また、お返事が遅れてすみません。

    和泉さまの言葉を受けて、外からの視界を得てインターバルが取れたので、もう少し粘っておりました。
    行き止まりの壁に手をついて、いっそ前の書き方でいいんじゃねぇか、と納得しようとしてたはずが、いつの間にか遠くに来ていたので、もう一回、キッカケになった問題から、自分の分析を再分析(原点確認)してみることに。

    これとは別に個人的に存在感のなさにナチュラルにショックを受けることがあり、なら、それを活かしてコツコツやればいっかというのもあって、気分的には海の底で文章と向き合ってました。

    もう一生分考えた気分でいます。次に書く話は文章について考えないと心に固く誓ってるくらい。(反動が)

    私も多くの矛盾を抱えていますが、照れなのかプレッシャー避けなのか、読者として作品に正直な感想を抱いてしまう反面、自分の話が誰かに及ぼす影響については、弱いです。
    きっと影響は与えない、と思ってないと書けない時もあるし、キャラや話に隠れて、そんな話書いてないフリをしてた方が、自由な気がします。

    (そのぶん、頭の中は話でみっちりなので、喋らせるとうざいので、本当は外気に触れてまともになった方がいいと思うの。むりか)

    書きたいのに書けない、と似た感じでしょうか。
    書くことの意味については、長らく折に触れて取り組んできましたが、「百鬼夜行」シリーズの作中で、関口さんがなぜ自分は小説を書くのか深いようで深くないような問題を考えって、書いてあった時に、そっか、と思ってから、考えるのをやめました。

    浮かんでくる度「書きたいから」とスパッと答えて、そこから先考えるな、と止めてるうちに定着。書きたい理由はいろいろですが。

    でも、今でも、自分にしか書けないものだからという価値や魅力や、そこに意義を見た気がした当時の感覚や、好きなものを書いているのに、それを批判される可能性があるにも関わらずなんで、形になると誰かに見せたくなるのだろう、要は自分で書いただけでは完成じゃなくて、人の目に触れないと話として成り立たないんじゃないか、と考えた結論ぽいことは、たまに思い出します。

    半信半疑ーと思いながら。

    評価が必要なのに、受け止め方はまったく身についていません。

    もともと話を書く行為自体が不思議なとこがあると思うので、物語がどこから来て、どう生まれるのかとかは、なんでもありなんでしょうね。

    最近読んだ本には、

    作家は物語を作る時、一見両立しない事柄が、同時に頭の中で起きているものです。
    「ファンタジーを書く」より

    と児童文学作家の体験談が書いてあって、無意識下のコントロール力がすごい、と思いました。


    和泉さまには、書く理由があって、きちんと感想をくれた方の気持ちを受け止めていらっしゃると感じました。
    これからも書き続けてほしいかぁ、すごい言葉ですね、書いてというのは自分にだけじゃなく、同じように励まされる他の人がいるから、と言っているようです。
    大変な中で和泉さまも、話を更新し続けていたんですね。
    そうした思いを受け取って実感することも、立派な才能だと思うのです。


    私は励まされて尻込みしてしまうほどです。
    書きたいから書いてる部分に迷いはなく、活力になる勉強になると言って頂けて、おおぅ大変だと顔がど真剣になってます。
    (でもどうしていいかは、わからない)

    原点の話をしていたので、ちょっと思い出してみましたが……この歳になったから、もう時効かな(?)

    ひとつは私は覚えてないのですが、もう頭に入り切らないから書く! と宣言してたという親の証言。
    たしかに、空想の設定がおさまりきらなくなってましたが、書くことで無限の容量を確保。
    もひとつは、自分が主人公の話があったことが原点な気がします。書くというより、現実で展開していて、いつも意識の半分がそっちの世界にありました。
    現実逃避、でも、楽しかったので無意識にどこまで現実に寄せられるかの線を探ってて、空想で遊ぶクセがついてしまいました。


    だから、むぅと話で悩んでいた頃、「それは生みの苦しみだから、仕方ない」と言われるまで、苦しいという感覚は知らなくて、知らなければ、意識されなければよかったのに、と今も思います。どこかで、苦しいのは生み出そうとしてるからじゃなくて、生めてないからで、本来、生み出すことは楽しいことなんだけどな、と信じてるというか、昔の私がそう言うんですが。

    そんなわけで、自作でも、私が主人公じゃない他の世界や他の話のキャラに対して、敬意や対等な人としての距離感を持ってる気がします、それでも一般的ではなく変な距離かもしれません。
    あと贔屓ができないのも、身内じゃないから贔屓するの変だし、という感覚がしつこく残ってるからかもしれません。(でも、好みはある)

    何が何やら。

    頭すこしは割れましたかね。根深い病を患っております。

    ともあれ、ご心配頂きありがとうございます。てっきり企画に参加しながら、更新できてないから怒られるのかなと思ってました。(>_<) いやでも、怒っていいと思うの。


    先月の事件を受けて、話の中で悪意や避けられない事態について考えると、それを思い出してしまって、できないと思う時期はありました。

    あらためて、今も治療を受けておられる方々の回復を祈りながら、できることはある、必要なことはあると、考え続けることだと思っています。

    いろいろお話し下さり、ありがとうございました。

    和泉クンに突っ込まれると、なんだか腹を割って暴露大会みたいになることが多い気がします。
    言ってみると案外どうってことない。(ホントに?)
  • ぴ〜とるいじ様

    わざわざこちらにお返事いただき、痛み入ります。

    前向きに楽しみを見つけようとしているぴーちゃんは、えらいのう。ストレスを感じている心が和らいで、立て直せることを祈っております。
    ともあれ一時的な体調不良なら、ひとまず安心だね。

    私は人間不信なのかネット不信なのか、その両方だと思うけれど、ネットから離れれば楽しいことは沢山あるんだけど、ここは楽しみ以前に、まだ怖いね。犯罪に遭ったわけじゃないけど、ストレスを感じたり、そのせいでジンマシンが出たり(胃は平気)、そういう思いをすること自体がすごく悲しくて。

    「月が割れた」と書いても、実際に月が真っ二つに割れはしないのに、物理的な力を持たない言葉から、心身に影響を受けているなら、努力してでも今すぐ断ち切らないといけないと、真剣に思うよ。

    命懸けでそう思う。
    私はまだその努力をしている最中です。


    ネットや私自身に絶望感を抱いてドン引きしてしまっただけで、何かをなくしたわけではないんだなぁ、と思ってます。
    気を遣ってもらって申し訳ないと思いながら、ぴーちゃんや鰤さんにしても。いつもと変わらずそこにいてくれそうだと思うから、それは嬉しいことなんだよ。

    行こうと思えば話に行けることはありがたいことです。

    まーあとはーいつ踏み出せるのか、踏み出せるのかー? なんだけど。(急に自信ねぇ)


    渋い顔していても笑ってても、きつい状況に変わりないなら、笑ってた方がいいかなと思うんで!

    どーせならぴーちゃんも、大笑いして某魚類を楽しませてくれい。


    追伸 宇宙武侠ものみたいのも、書いてほしいス
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