講評あとがき。
立ち位置のわからないまま、感想ではない、講評というものを、
読む分に責任はないけれど、講評には責任が伴うのではないか、その扱いはどう? どうする? どうするの?
そんな所からのスタートでした。
食うように読む派です。
(見合い相手に面白い人がいて、…とすぐエッセイで話すような方向に走ってしまう)
飛ばしたり、流したりが出来ないので、遅読であります。
(ウチで一番速いのは父親で、…って脱線したい)
講評は想像で書くものではなく、わたしの説明文体を見てもらうものでもなく、
歴然と目の前に現物があるので、
それに対して感じた事実を書きました。
言葉を濁して逃げ道を作ると、伝えるべき印象が的が絞れないので、
避けたつもりですが、なかなか度胸がなくて曖昧になったり、
はっきり言ってわからないものに対しては、腹を括って素直に感想を述べることになりました。
わたしにできそうなことで、
せいいっぱい伝えようと力を注いだのは、
自分が得た読後感を、具体的に明かすことでした。
その為に、書いている作者の意図を考える必要がありました。
意外にプロの作品も勘違いして読んでいることが、ある気がするのですね。
書いた本人ではないから、120パーは受け取れなく、それがちょっと悔しくて、食うように読むのですが、
いつでも見たいのは、そこに注ぎ込んだ「もの」で、
上手い文章とは違うのです。
こちらは汲み取るよう、最大限の努力をするから、「書きたいもの」をまずはぶつけてくれ、と思います。
そうして読んだあとに、
「つまんない」
「面白かったっ」
の感想一言に、なぜならこうだから、というすごい長い思い入れを()しているのですが、
講評においては、
その汲み取ったものが、作者の思い描いたものに近いのかを、少し客観的にも捉えてみようとしました。
よくハンドメイドの作品を購入しますが、製作者は画像や紹介文にイメージのありったけを込めながら、届いた先でどのように使われているのか、想像するしかないと言い、感想によって知らない場所に置かれた自分の作品の新しい姿を知ると言います。
(いつも現物を目の前にして、その作家に感想を伝えてきて培った感覚を、講評では参考にしました。述べる内容の主役を終始その作品にするため)
使われることを前提にして作られたハンドメイドものと違い、
本は字、読むのみですが、
そこに込められたバラエティに富んだ思想は数多あり、
作者が意図していないものが含まれたり、溢れたり、余計にはみ出していたり、しています。
なので、こう感じたが、これは余計なものであるか、意図せざるものが、読者に伝わっているのか、それもありなのか、判断は作者に任せながら、
わたしは好き勝手にこんな味がした、その素材はこうであると考えていると述べ、その先でシェフが答え合わせをするかしないかに任せるような、講評となりました。
答え合わせの答えを聞きたいのではなく。その前までが講評の領域としました。
作者の視点を意識するのは、そうしないとわたしの理想の話を押し付ける危険があるからですね。
書こうとしたものと印象が一致してそうなら、グッドだと言えるし、ズレてる部分については、より言葉を尽くしてみる必要がありました。
読み慣れているジャンルは、比較的意図もわかる気がするのですが、
把握できない時は、
プロフィール、近況ノート、他のエピソードも読んで探りました。
ので、勝手な妄想で土台が出来上がっている可能性もとても大きく、
この講評「なんか全然違くね?」と思ったら、その通りですのでそっとスルーして下さい。
「話を書いていて人に見せている時点で、褒めるに値すること!」
であると根底に信じているので、
いちいち毎回書かないけれど、
みんなすごいんだよ。
えーと。
恥を忍んで、セルフレーティングー。
(テンション低っ)
召喚術士と図書館の魔女/日竜生千
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884249057・作品のオリジナリティ:2
・キャラクター:3
・ストーリー:2
・世界観:2
・文章力:2
こんなものでしょう。
伸び代があると信じてこのレート。
(嘘)
キャラは評価してもらったことがあり、3にしたけれど、主人公がどう想像しても4になりません。
よくある世界感、よくある魔法使いの弟子が学園で学ぶ展開。
自分の本棚に並んでいる本をレーティングすると、普通にオール5点満点になるから、プロって凄いぜと思います。
とりあえず最後まで書いたら、2項目くらい3になることを目指して。
そのうち評価点を意識して、話を作ってみるのも面白いかも、と思いましたが、
執筆前段階でオール5の想定で行かないと、力つかないでしょう、と我に返った次第です。
はんせい、反省。