『アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり』について、いろいろ語っていくノート。本編はこちら↓
https://kakuyomu.jp/works/16817330666308142925↓↓↓以下、微ネタバレ注意↓↓↓
さて、最大のクライマックスとなります、9章1話まで辿り着きました。
6章までがアリーシャ・リヒャルト編、8章までがヴィルヘルミーナ・ヨハン編で、それぞれのクライマックスはありましたが、ここからが最大。
本作執筆に当たって、いくつかの考えがありました。
『異世界転生』というジャンルに含まれる熱情の中には
「誰かに貶められたり蔑まれたりすることのない、たとえそうされても跳ね返して余りある強さを備えた、新しく輝かしい人生が欲しい」
「またそれを、どこかの世界にある誰かの仮定の物語としてではなくて、自分自身の物語として体験したい」
という思いは、どこかにあるのではないかと思っています。
本作主人公の若葉もそんな思いに駆られて、物語の最初は異世界転生を望んでいました。
だけど……? この、「だけど……?」に本作の特徴があります。
そもそも、人生は肉体と共にある意識に属するもので、つまり人生は一度きりなのでは?
そもそも、魂が存在するのか? 存在するとしても、生きている人間がそれを認識することができるのか?
もし異世界転生のような別世界への生と死の記憶の移行があったとして、その「転生」前後の自分が同じ存在であると言えるのか?
……という問いかけを含んだ作品として始めたものの。
これらはアリーシャも苦悩していた所ではありますが、若葉にとっては想像を絶するほどでした。
身体のない『スワンプマン』は自分自身をどう考えるべきか。誰として生きるべきか。
若葉という存在にとっては困難すぎるこれらの問題、初稿執筆時は避けて通ろうかという誘惑に駆られたほど。一つの世界を救った誰も知らない英雄になって、徐々にその世界から消えていくのも、それはそれで悪くないかなと……。
ところが、納得しなかったキャラがいました。
それが、9章1話に至るエックハルト。
自分はキャラクターを困難な問題の只中に置いて、このキャラクターならどう考えて答えを出すかという思考実験形式の執筆をしているのですが、エックハルトという人格はこの思考実験において、「諦める」という選択を断固として拒否しました。
その結果、エックハルトは、そして物語の行方はどうなるのか。
ことあるごとに「おいいいいいいい」と両肩掴んで揺さぶりたくなる選択に走るエックハルトですが、これは彼自身の魂と存在価値を賭けた大博打、どうか大目に見てやってくださいな。
↓↓↓最後に9章1話のイメージイラストを↓↓↓
本当は若葉ではなくアリーシャの姿なのですが、心象風景としてはエックハルトにはこんな風に見えていたのかなと。