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明日(9/16)から、「豊臣の子」の投稿間隔が変わります(毎朝5時更新→朝夕2回更新)。

以前の近況ノートでもお伝えしていましたが、明日(9/16)から、「豊臣の子」の投稿間隔が変わります(毎朝5時更新→朝夕2回更新)。
以下、以前の近況ノートと内容がかぶるところがありますが、改めて掲載します。


【タイトル】
「豊臣の子」

【キャッチコピー】
――みんな、狂ってる。

【今後の投稿日時】
9/16~9/30:朝5時と夕方5時の2回更新

【あらすじ】
慶長19年(1614年)、方広寺鍾銘事件が起こり、豊臣家は刻一刻と、大坂の陣――亡(ほろ)びの道を歩んでいた。
豊臣完子(とよとみさだこ)は豊臣秀勝(秀吉の姉・ともの子。豊臣秀次の弟)と江(ごう)(秀頼の母・茶々の妹)の子であり、茶々の養女である。
完子(さだこ)は、夫の・九条忠栄(くじょうただひで)と共に、豊臣家を守ろうとしていたが、その折り、秀頼が乱行に興じていることを知る。
秀頼の乱行を止めるため、完子と忠栄はその乱行に興じる理由を探る。探っていくうちに、十年前の慶長4年(1604年)に、完子の九条家の嫁入りの前夜に起こった、完子の乳母の怪死事件に遠因があることに気づく。
乳母は、完子の嫁入りの宴に出席したあと、大坂城内の一室で怪死しており、その死体を発見したのが秀頼であった。
秀頼は乳母のことを好いており、十年後の慶長14年(1614年)、その怪死の謎を解く。解いた結果、秀頼は豊臣家の「秘密」――秀頼自身の出生の「秘密」に気づく。その「秘密」は秀頼を狂わせ、秀頼を乱行へと誘《いざな》っていく。
方広寺鍾銘事件の原因となった鍾銘も、狂った秀頼によって「いじられた」ものであり、こうして豊臣家は滅亡への道を突き進み、忠栄や完子の努力も虚しく、大坂の陣へと突入してしまう……。

【URL】
https://kakuyomu.jp/works/16818023214149855787


添付のイメージ画像は、NHKクリエイティブ・ライブラリーの画像です。

よろしくお願いします。

2件のコメント

  • なるほど。
    9月中に完結させないといけないわけですね。
    あと30話。
    豊臣家の謎がどう暴かれるのか楽しみにしています。
  • 楽しみにしてます。
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