• エッセイ・ノンフィクション
  • 現代ドラマ

赤点をもらっても大丈夫

とっくの大昔に追いかけるのは諦めましたけど、皆さんの近況ノートって、毎日更新の日記どころかX(Twitter)みたいですよね……。


カクヨムを辞めてしまった方が、ここ数ヶ月で数名います。
プロフィールにも明記しているのですが、わたしに粘着している自己愛によって行動や思考を制限され、「ああしろこうしろ」とコントロールされているうちに、ご自身の精神が失調してしまった方々です。

洗脳はこちらからは解けないので、申し訳なかったです。
その方々が、自己愛に操られるままに憎悪や罵声を浴びせてくる他の取り巻きのような行動がとれていれば、今もカクヨムを続けられたでしょうに。

そんな自己愛の洗脳工作に対して一ミリも乗らない・引っかからない、「は?」と返せる人たちがいるのですが、もはや洗脳されない人のほうが、人間の神秘に想えるわ。

----------------------
年度末とKACでみんな忙しそうだから、好きなこと書きま~す。
批評企画で酷評をもらったからって作品を消したりしないで欲しいな~。
そんなお話でございます。


カクヨム内で「批評」と銘打っているのはその大半が、『他人の意見・感想を仰げる機会』これに近いです。
生徒役が申し込み、先生役になった方が想うところを述べてくれる。欠点も指摘してくれる。

「批評」には悪いところ・いいところを指摘しますという意味もありますから、これであってる。

大変だろうに、読んでくれるだけでも、PVのない人間にとっては嬉しい限りです。
批評を続けている方のほうは、「批評したい・批評させろ」ジャンキーなので、しんどくもないのでしょうが。
性格的に尖った方が多めなので、あたりが悪いと、びっくりしてアカウントを消す人まで出ちゃいますよね。

不幸なことです。

でもこれは仕方がない面もあるんです。
批評をする方は「相手が芥川賞作家だろうがビギナーだろうが、忖度なく云いたいことをいう」この姿勢を売りにしていますから。
もし本当に「批評」が出来る人がいたらカクヨムにはいないでしょう。

心構え的には「このおじさんの意見がきけるのね」このくらいのスタンスがちょうどいいです。
酷評されてもキニシナイ。
彼らは歯に衣着せぬを信条としている通りすがりのおっさんです。
おじさんありがとう! でいいんです。

たまに長篇書いてる人で、「あり得ないことですが途中でヒロインの名前を間違えてました💦 すみません一度下げます!」とかあるけど、あれ全然オッケーですよ。
世に残っている大作なんかでも、夢中になって書くあまりに登場人物の容姿や名前が途中で変わっていること、あるあるです。
弟のはずが兄になってたり、クララがアリアになってたり。

「明らかな間違いはこちらで直しました」って後ろの方で訳者さんが慎み深くそっと断っているの、見たことがありますよね。

ミスがあるか・ないかは作品の魅力には関係なくて、それは小説の価値を決めることじゃないです。


カクヨムでも誤字脱字が多めの方がいて、誤字脱字をなくす作業にその方の意識がまったく向いてない。物語の続きを書く方に意識が全振りしてる。

わたし的には全然これでいいです。
優先すべきことを優先してるだけだから。
わたしを含めた大勢のファンにとっては、その方の作品の誤字脱字なんてどうでもよかった。

誤字脱字をピアノのコンクールに置き換えるなら、ミスは一つあっても致命傷です。
でも小説なら、つっかえつっかえ、間違え間違えしながらも、ああ確かに子犬のワルツだわ~って伝わるのなら、それはその演奏はそこを評価するべきです。
誤字脱字なんてあとで校正さんが幾らでも拾うものであって、物語を書く人がやることの一番上にあるものじゃない。
「出来るだけ減らしたほうがいいね」くらいのものです。


----------------------
芥川が出てきたので、ついでの流れで、校閲。

芥川龍之介をたたき台にして、あじさいさんという方が数年前に校閲したものがカクヨムにあります。
時代が違うので本来は同じ土台には乗せられないのですが、あじさいさんがあえてそれをやっているので、校閲の様子をご覧ください。
そして校閲の心得がある方なら、あじさいさんの回答をご覧になる前に、ぜひ同じ個所を校閲してみて下さい。

たたき台の箇所は、―(ダッシュ)で区切られているところです。


https://kakuyomu.jp/works/16816927859219815030


どうでしょうか。

芥川龍之介であっても、点数ではないんですけど、100点満点のテストを20点で返されるような結果です。
そして校閲が出来る方は、ご自身の校閲とあじさいさんの校閲の結果が、一致していたでしょうか。

「平均点は68点です。芥川先生の校閲の結果が出ました。平均点以下の20点です」
もしこんな数値が出たとします。


芥川龍之介って、平均以下の小説家でしょうか?
真っ赤に指摘されたところを直したら、この作品は、もっと完璧な名作になるのでしょうか?


ここを、混同しちゃだめなんです。


試しに、芥川の文章をあじさいさんのパターンで書き直してみたとします。
時代差があるのでうまく伝わらないかも知れないんですけど、ん~ってなりませんか。
最初の文章こそ芥川。

どんなに現代の校閲からみて下手であっても、訂正したものよりは、芥川の血肉から出た、灰汁や無駄のある文章であることの方がやはり強いんです。



そうはいっても、指摘された箇所は間違いなのだから片っ端から直したほうがいい。

そう想います?


多分、それを素直になにからなにまで全部やる人は、次第に書くもの書くもの、旨味成分を全て抜いた、生まれてきたのを間違えたスルメみたいな文体になります。
要は『模範』に近くなる。
模範ならいいじゃないか!

よくない。


こう書けば赤ペン入らないのねということに縛られるあまりに、ひたすらそっちに意識を傾けて、校閲さんの亡霊が乗り移ったかのような文章になります。
のびのび書けなくなって、だんだん文章が硬直して、独自のスタイルを失い、横並びの誰かと同じような文体になります。
批評家の文章ってなんとなくみんな似てますよね。あんな感じに近くなる。
「校閲にいかに引っかからないか」
ここが、その人が小説を書く際におどおどしながら一番気にするところになる。


それは小説として一番大切なところじゃないし、それだと生きた小説も生まれない。
なんならとんでもない悪文でもいいんです。
びくびくしながら萎縮して書いたものなんて、面白いものにはなりません。
素人とまで云われた芥川ですが、では校閲さんが「羅生門」を超えるものを書けるのか? といえば多分書けないでしょう。
ここを一緒にしたら駄目なんです。


ひと昔の小説には、何度も同じ単語や同じ表現が近くに出てきたりします。
それがリーディングの邪魔になるのか、小説の面白さを損なうのかっていったら全然ならない。
無理やり類語で云い変えてみても、かえって息苦しいことがある。
だから、今の、近くに同じ表現がないほうがいいなんていうのは、こんなのはただの校閲の流行?

困るのは、あじさいさんの校閲なんかを見て、「ほらほら近くに同じ単語がある」と校閲のスキルを得た気になって他人の作品を裁く輩です。
読んでてちょっと邪魔だなと想えば「同じ単語ばかりで少しうるさい気がしました」とそこを云えばいいし、今の流行として同じ表現は極力近くにおかない方がいいならそうしたほうが無難ですが、小説の本質はそこじゃないです。

校閲が出来る人が、「ここはこうです」というのは、現代のテンプレではそうですと言っているだけです。


だがしかし。

AIが下読みするようになったら、模範解答により近い文体の方が高得点が出るかもしれません。
すきっとした英語の構文のような文章が最上とされて、のびやかな日本語特有の魅力、時としてくどかったり重かったり流麗だったり、装飾過剰だったり素っ気なかったり、人それぞれの文体の面白さなんて、審査を絶対に通らなくなるかもしれませんね。

鈍牛のように垢ぬけない、その人にしか書けない迷路のような文体でしか表現できないもの。
パチパチと跳ねているような元気のよさ。
そんな小説がゴミ箱に捨てられる時代はもうすぐそこまで、来ているのかも知れません。
AIはそんなにバカじゃないかな……?


とにかく、「カクヨムのおじさんに酷評されたからもう駄目だ」とか、「校閲に云われたことはその通りに全部変えなければ」と鵜呑みにするのは絶対にやめて欲しいです。

校閲さんは「これが読みやすく・美しく・間違いのない、おすすめの模範解答でーす」と物凄く調べた上で云ってくれるんですが、この模範解答に何の考えもなしにみんなが揃えてしまうと、味わいも何もなくなるおそれがあります。

あの芥川さんですら校閲されると素人の文章だと云われるのです。
萎縮せず、まずはのびのびと書いて欲しいです。

14件のコメント

  • なんだか元気をもらいました(*´ω`*)
    特に何かがあったわけではないけれど(笑)

    臓物と骨を晒け出すようなホラーを、異臭を放ちながら書いていきたいと、なんだかしみじみ思いましたね。
  • なろうより後に出来たカクヨムに、なろうの方にはある『誤字報告機能』が無いのは、作ろうと思えば簡単に出来たはずなのに敢えて無しにしてるんだと思ってます。
    カクヨムを作った人達には誤字より他に大切にして欲しい事があるという信条があったのだろうと思うんです。
  • わぁぁ~~~Σ(゚ロ゚;)

    最近のことですが
    自分が書いた文章をAIに直してもらったのを比べて見せて『ほら?良くなってますよね』みたいなのをどこかで読んだんですが…
    それがカクヨム作品だったのか、Webサイトだったのか…まったく思い出せません

    そしてご紹介の羅生門の校閲作品も少しだけ確認してきました(*´ 艸`)

    確かに校閲した文章の方が正しく、標準語的なのかもしれません

    でも
    ①『羅生門は朱雀大路にあり』校閲
    ②『羅生門が、朱雀大路にある以上』原文

    たぶん作者の熱量ですよね

    ①の校閲文はまったくもってその通りの事実を伝えてる、それ以上でも以下でもない

    ②には、なにかこう羅生門が朱雀大路にあることが必然だったというか、うまく言えないのですが強い意志のようなものがぐいぐい来るんですよね


    話が最初に戻りますがAIに添削してもらってよくなりましたよね?
    という方の文章も同じでした!

    私は絶対その方の元の文章の方が小説として読むなら好きだし
    自分もそう書きたいなと思いました(^_^;)

    なんでAIはそこが分からなんだよ!って…(⑉・̆н・̆⑉)ってなりました

    誤字脱字…(予測変換ミス含め)あまりにも多いので気をつけようと思うのですが
    ドラマや漫画のように頭の中でバァって流れていくのを高速で拾う感じで書いてるので書いてる時は間違いが分からないし
    読み直すのも半年くらいしたらやっと気づくみたいなことが多くて
    それは恥ずかしい🙈です
  • 拝読していて、フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」を思い出しました。ミスタッチが多く、弾き方もかなり独創的なのですが、独特の魅力があり、熱狂的なファンも多いですよね(反面、アンチも多いですが)。

    プロの世界では素晴らしい編集者や校閲者の手により素晴らしい作品になる事が多いですが、それでも残念ながらそうはならない場合もありますよね。
    カクヨムではする方もされる方も真に受けすぎず、楽しんでほしいと思います。

    私は自分の専門分野の他に言語学も受講しそれ関係の資格も持っていますが、確かに全く読み手を考えない文章はだめかと思いますが、それに囚われ過ぎても生き生きした文章は書けないと思います。才能ある方は「あえて」ではなく、知識なんかなくても感覚でそれができちゃいますしね(羨)。
    結局は才能なのだなと思っちゃいますが、自分の書きたい事をどう表せば1番表現できるのかを自分なりに模索する事に意味があるのかもしれませんね。
  • 物語を書きたいという情熱、その情熱というリソースを【日本語として間違いのないキレイな文章】に大きく割き過ぎるとロクなものが書けない……、なるほど、その通りだと思います。

    情熱をリソースと言うのは暴論ですが、情熱だって無限に湧いてくるものじゃないですしね。むしろ、【キレイな文章】に囚われたら目減りしてしまうのが情熱って気もしますね。

    AIが日本語の味わいを読み取って、小説を評価するようになったら怖いですね。もしもそうなったら、AIに感情と自我があるようにしか見えなくなるでしょうし。
  • 深川我無さん

    元気が出て、臓物と骨を曝け出すような異臭を放つホラーを書いていきたいと想ってくれてありがとうございます(笑) 

    批評する人のきつい言葉で、云われた方が作品を下げたり、消えちゃったりするのは見ている方が胸が痛いですよね。

    わたしも言われたことがありますが、平然とそのまま、作品おいてます(笑)
    その作品を通して熱心な固定読者になってくれた人もいるんだから消すことないやって。
  • 海猫ほたるさん

    確かにそんな機能がない方が自分で見直すので、そこで推敲も出来るかも~。

    脳の構造的に誤字脱字を拾い出すのが苦手な人もいますし、誤字脱字が一つでもあってはいけないキリキリキリッ~なんて胃を痛めてやってたら、何をやっているのか分からなくなって、本末転倒です。

    わたしの場合はとにかく1つでも何かあると、眼を皿のようにして何か叩けることがないか! 指摘して偉そうに出来ることはないか! と貼り付いている自己愛が騒いで「基礎が出来てない」と大声で言い触らすので、
    「どうせ何を書いても基礎が出来てないと下げてきて叩く」
    と開き直りが出来ちゃいました(笑)

    マニアックに、一定期間をおいて見直して、また見直して、半永久的に完璧を目指して、いつまでも同じ原稿に手を入れて……という人もいるでしょうけど、それはもう本人のこだわりの世界です。

    カクヨムコン中に読んでいたある作品は、誤字脱字すごかったですよ。
    ほとんどプロの方でしたけど、生まれてはじめてキーボード打つのかっていうくらい多かったです。
    でも読専さんも大勢ついていて、ラストまで脱落する人はいませんでした。

    誤字脱字、全然OKです。
    誤字があっても、「面白かった~!」って新しいファンが大勢つく方がずっといいです。

    やたらと外の形が重視されていて、校正校閲やAIを通して、きれいに出来上がった作品が多いんですけど、初心者さんほどまずは、整える前に熱量で走って欲しいなと。
  • @rnariboseさん

    ですよね。
    校閲は他人のものを見てもキャーッてなりますよね。
    怖ろしいことにこれが普通です……。

    絶対に修正不要な状態にして原稿を渡しても、「何か直さないといけないと想ってるのか、意地でも赤入れてくる」っていわれてるくらいです(笑)
    真っ赤にしないと死ぬ病気にかかってると想ったほうがいいです。

    文章に自信があって校正校閲不要で、何冊も本を出してる人が新聞に寄稿したら、こっちが誰か分かっててもそれでも赤入れてきやがるって怒ってましたけど(笑)

    彼らはそれが仕事だし、記事に出したあじさいさんもなんですけど、「美しい文章」に命かけてますよね。
    でもその美しさは、構造としてのそれです。

    だから作家さんが書く、ムーブメントゆえの文章とは少し違ってきちゃう。

    校閲さんにみてもらうと、どんな文章であっても、✨スッキリ✨しますよね(笑)
    ほ~ら、あなたの文章をきれいに整頓して整理しましたよ~ってやかましいわ(笑)

    日本語の特徴は主語がわからないままであっても、いつの間にか内容が他のことに移動していても、そのまま読めて意味が通じることなのですが、それをことごとく、枝葉も刈り込んで、英語の構文みたいにしてあげたよ~って(笑)


    もちろん校閲する方は、そんな違いは理解した上で、それでも赤入れるんです。
    最初から分野が別と想ってます。
    校正校閲さんは、校正校閲の仕事をするだけです。
    第一章では『上る』で、第五章では『上がる』になってたりするのを、指摘してくれる、そんなのチェックしてくれるのは校正校閲さんくらいですよね。

    でも、書き始めたばかりの人が、下手にAIとか、ネットで校正校閲をしてもらってたりすると、正解の文章はこれなんだって染み付いちゃうと想うのです。

    「誰にも文句を云わせないためには、AIに通して100点が出るようにすればいい」
    「校閲さんの修正した文章が正解なのだから、これでなければいけない」

    みたいな。

    芥川さんの文章だって、校閲さんは、✨スッキリ✨させてしまうのですが、それをいいと想うか、え~……って想うかですよね。
    書いた本人はその時の情動みたいなやつで書いてますから、重複してようが何だろうが、それでないと伝わらないものがあったんですけど、校閲さんは他人ですから、✨美しい文章✨に整える方に注意を向けます。

    とにかく刈り込まれてくるのですが、美しい文章っていったって、造園された人工的な庭ばかりになったら詰まらないじゃないですか。
    全員が志賀直哉になれとでもいうのかと。

    一文一文をきれいに刈り込まれたものと、走った感じが残ってたほうがいい箇所と、その丁度いいところを探すのは、結局はその作品を書いた本人ですよね。
  • 葵 春香さん

    スーザン・ボイルとか、フジコさんは、所詮はどこまでいっても、色もの扱いなんでしょうね~。
    じゃあ子どもの頃からみっちり積み上げてきた有名音大出の音楽家の演奏がスーザンやフジコさんほどの感動を人を与えるかといったら、全員そうはならない。
    経歴の異色さも手伝って、後者の方が話題性があってビビットなんですよね。
    そこが、芸人扱いになるところでもあるんでしょうけれど。

    数年前に、外国なんですが、ホームレスの女性が道端で唄っているのが素人離れしていて巧いってバズって、彼女をプロにして路上生活から救ってあげよう! そんな動きが出てたんですけど、プロの声楽家に聴かせたらけっこう厳しい意見でした(笑)
    「ああ、うん、まあね~」程度の。
    発声方法から何からきちんとメソッドがあって、それを踏まえていないから、見る人がみたら、よく通るいい声で歌ってるだけ。

    その人は親切だったので、可能性はなくもないみたいな終わり方してましたが。

    でも路上で人の足が停まるほどの歌を唄え、それで大勢の人を落涙させて感動させたことは嘘ではないし、体系的な、学校で教わるメソッドなんて、誰かが考えた公式でしかないですからね。

    芸術とは何なのかと突き詰めた時の答えは、人の心を揺り動かすものだと想うし、何とかアカデミー所属という経歴ではないですよね。


    >カクヨムではする方もされる方も真に受けすぎず、楽しんでほしいと思います。
    そうなんですよ。
    でも批評しますっていう人はけっこうマジな気合はいってますから(怖いです)、やる気まで潰さないで……って想う時があります(笑)

    ああそうなんです、AIで判定するようになったら、フジコさんみたいに色ものだけど熱烈なファンがつくとか、他の誰にも真似できない奇天烈な文章で書かれた実験的な小説などは、はねられるんだろうって。
    勝手に心配しています。
  • ハヤシダノリカズさん

    コメントありがとうございます~。
    AIがさらに進化すると、過去の名作や売れる作品にあるものを解析して、あっと驚く伏線や、人がどんなところに感動するかも入れて、勝手に読み応えのある素敵な小説の骨子を自動的に次から次へと作ってくれるようになるんでしょうね。
    作者がやることは登場人物の名前を決めるだけだったり。

    そんなものは……と云いたくなるんですけど、かつてワープロが出た頃に「あんなもので小説は書けない」と云っていた人が圧倒的で、さらに「こういうのがパソコンを使って書いたつまらない文章」と、PC作家が目の仇にされていたのが、今では原稿用紙に書いている人もワープロを使っている人もいませんから。
    時代の流れで変わっていくのでしょう。

    全てに整合性がとれる、なんの矛盾もないきれいな文章。
    これと、小説の中の文章は別もの。

    校閲さんはそんなこと承知の上でやってますから、それはいいんですけど、これを初心者さんが頭から信じてしまうと、お行儀がいい文章しか書けなくなるんじゃないかなぁ。

    それぞれの作家の文体の違いの面白さなんてのは、昔の話で、これからは全てクリーンに説明出来るような、いかに『正解の構文』から外れてないか、いかに見本と同じで、いかにスッキリしているかが、優れた小説の条件の一番上に来るのかもしれませんね~。
  • カクヨムコン中間選考突破、おめでとうございます! 💐
  • 結音(Yuine)さん

    ありがとうございます! あちこちでお祝いのコメントが長いツリーになっているのを見かけて、へええこんな風になるんだ~と今さらのように、へー! って愕いています(笑)
  • 朝吹さん、こんにちは。そして、中間選考突破、おめでとうございます!

    豆ははこのところにも、誠にありがとうございます。
    エッセイ。シリーズはおかげさまで全て短編部門を突破いたしました。朝吹さんにお言葉を頂けて、「いける……?」と自信がつきました作品です。他ジャンルも、というありがたい驚きもありました。

    朝吹さん、本当にありがとうございました。
    改めまして、またどうぞよろしくお願い申し上げます。
  • 豆ははこさん

    多くの方へのお返事まわりでお忙しいでしょうにありがとうございます!
    豆ははこさんのエッセイは独走態勢になってましたもんね(笑)
    一番最初に見かけた時には☆100を超えたくらいだったような……。
    カクヨムコンを飛び出して、歴代順位の方が気になるほどの見事なご成績でした(*´ω`)
    わたしも祭りに乗っかって、豆ははこさんのエッセイを眺めながら☆がいくつまでいくか、わいわい騒げて楽しかったです🌸

    最終選考に残られたら(あのエッセイなら多分こちらも大丈夫です)、ばんざーいとまたお祝いしましょうね~。
    次の発表は五月ですね!(多分)
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する