カクヨムコン終了しましたお疲れさまでした。
来年は十周年なのでさらに盛大でしょう。
期間中、レビューやコメント、まことにありがとうございました✨
人酔いするようにして早々に疲れちゃったのでゆるく参加する勢でしたが、感想としては。
交流ありき。
ですね。
読専さんが少ないジャンルほど。
知れ渡っていることですが。
フットワーク軽く、あちこちに顔を出して名を憶えてもらい感想コメントを落とし、大勢と繋がっている人が最強です。
この方々がいて下さるお陰でお祭りもとても盛り上がって活性化します。
性格的にも、明朗で開放的で、さらっとしていて気さく。作品の手も抜いていない。
そういう方はやはり上位にいらっしゃいます。
毎日厖大な数の新作が登録されますから、ただ投稿しただけでは誰の眼にも触れません。
思いっきり飛び込んで楽しむのか、通常運転プラスくらいで過ごすのかの違いはあれど、後者を選択していたわたしも、とても楽しかったですよ~。
それとは別に、「本当のスコップ賞」を開催して欲しいですね。
ほとんどレビューのない階層に、どれほどの宝が眠っているか。ランキングに入らない場外にどれだけの力作があるか。
読んでないのにお返し目当てで☆だけつけて去る人でも、ちゃっかり上位に座るのがカクヨムコンの裏面ですからなおさら。
目立たない作品を掘り起こして、シンデレラ・スターにするほうが、「スコップ」をやる甲斐があります。
サポーターズパスポートに入っていないのですが、その理由は簡単です。
『読専ではないから』
です。
読専なら一番高いコースに入って気兼ねなく、あまり読まれていない人を優先にじゃんじゃんサポートしますが、金銭の発生するしがらみが増えると自分がしんどい。
それだけです。
「底辺作家にアドバイスをしたら違反行為にされるのはおかしい」
「アドバイスは無視しましょう」
本日はこのお題です。
※底辺作家と他者を呼びつけている時点で、それの何が悪いのか分からないような人のアドバイスなど無視してもよいです。
「アドバイスは無視しましょう」
そんな小題のついた小気味のよい創作論があって「そうだそうだ」と頷いていたら、その記事とはまったくの別件でその方のアカウントが飛ばされてしまい内容を出だししか読めませんでしたが、アドバイスはきいてもいい。きかなくてもいい。
批評もそう。
その理由。
↓
他人さまの作品を読んで、「ここを変えたら良くなるのに」そう想うことがありますか?
わたしはほとんどないです。
「これはこういう作品なのね」とそのまま受け取ります。
文章や構成についての巧い・下手の感想は漠然とありますが、そこに着目して読むこともありません。
内容について「こうしたらいいのに」とは考えません。
ましてや、「あたしの方がもっといいものを改変して書けるのよ!」は論外です。
アドバイスが欲しいと云われたら、「ここをこうした方がいいと想いますが、わたしの意見なので参考までに」と伝えます。
「わたしならこうするのに!」
「わたしの創作方法をこいつを踏み台にして自慢したい!」
ではなく、その人の作風や方向性にとって最適なことを考えて差し出すのがアドバイスです。
純文学の人に、「設定資料集をつくって流行の異世界要素を入れたらもっと良くなりますよ」、コメディが得意な人に、「人生の深みは悲劇にあるのでそれを書かないのは人間が分かっていない証拠です。もっと人間を理解して奥行を出しましょう」なんて、これはアドバイスでも何でもありませんよね。
自分のやり方自慢か、マウンティングか、頓珍漢な難癖です。
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「わたしならこうするのに」
だったらゼロからご自分の力で心ゆくまで満足するものを書けばいいのです。
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文章力については回答が一線上に揃うかもしれません。
でも、内容についてのアドバイスは批評と同じで、人によって云う事にかなりのばらつきが出るはずです。
ためしに一斉に意見を集めてみたらわかります。
どうしても先行者の意見に引きずられるので一斉でないと駄目です。
その時に、「主人公の実家の父・母・妹の年齢と血液型と身長の描写がないです、妹の制服の描写がありませんしソックスの長さも分かりません。厚みが足りません、やりなおし」とかは、さすがに馬鹿じゃねって想います。
が、困ったことに、この手の、「自分が正解で、それ以外は不正解」のイメージに承認欲求を傾けている人は、「これで作品が良くなる」とかたくなに想っています。
それはそうでしょう。
その人の脳内に展開しているものが、その人にとっては最上の作品なのだから。
アドバイス通りに改変することは、元々のオリジナルにあったものが消えることでもあります。
それでも、
・せっかく貴重な時間を割いて
・救ってやろうとしている
・忙しい有能者さまがわざわざ
・これはチャンスの山なんだぞ? チャンスを逃すのか?
・アドバイスを受けたら、人前でちゃんと名前を出して感謝して、アドバイザーさまの手柄にしろよ?
と言うのなら。
ともかく、そうしてみたとします。
※なぜそこまでして他人に書かせたいのかは謎です。自分では努力せずにふんぞり返って指示するポジションが好きなのでしょうか。ゴーストライターが欲しいのでしょうか。自分で書くと、他人を否定して威張り散らしているほどの完全無欠の大作は自分では創れないことがバレてしまい、リスクがあるのでしょうか。
「貴重な時間を割いて読んでやっている読者の指示どおりに改変するのが創作者の努力姿勢でしょ?」とそこまで言うので、その通りに変えたとします。
その後、別の読者が現れて、
「何で変えてしまったのですか。前のほうがあなたの作品らしくてとても好きでした。以前の作風を大切にしたほうがいいですよ」
と【アドバイス】を受けたら、元に戻してもいいですよね。
ということなんです。
他人をコントロールすることに自己存在証明を賭けている人は、
「貴重な時間を使って下さってありがとうございましたと言え!」
そこまで強要します。
決して、
貴重なあなたの時間を使って望みもしないアドバイスをきいて下さってありがとうございました。とは、この手の人は考えません。
別に考えなくてもいいです。
他人を尊重できる人間同士のやりとりではこんな高圧的なクソバイスや恩着せがましいことは発生しません。
アドバイスが欲しい時。
その時には、「この人ならば」と想える信頼できる人を選ぶか、または、複数名からもらった方がいいです。
誰かが、否定的に指摘する箇所が、他の人にとってはまったく気にならない、または「いちばんの魅力がここにある」と捉えるかもしれないからです。
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的確なアドバイスが出来る人を選ぶと、『元よりもいいもの』になることも、もちろんたくさんあります。
それはアドバイザーのこだわりを反映させたものではなく、その書き手の作風にとってよりよいものであるべきです。
作者が納得していたら、そのアドバイスが正解です。
書き手のやる気を引き出してくれるアドバイザーは、創作者の応援者。
応援してくれるアドバイザーに恵まれた人は幸運です。