新年の祝賀も憚られるような出来事がたて続けに起こった年明けでしたが、大丈夫だったでしょうか。
空港でのJAL機炎上はあと数分ぐずぐずしていたらもっと悲惨な結果になっていたでしょう。
地上にいたANA職員の人たちも、会社の垣根を超えて乗客を誘導してくれたそうです。
貨物扱いとなっていたペットの死については、一体どうしたらよかったのか、今後の課題でしょうね。
なんとなくですが燃料の少ない着陸便ですし、乗員もあそこまで機体が完全炎上するとは想ってはいなかったのかもしれません。
正月早々、東日本大震災の時のようにテレビの報道がそれ一色になるのを眺めながら、備蓄品のチェックなどをしておりました。
箱根駅伝もちゃんと観ましたよ~。
(1/6現在)カクヨムコンにエントリーしているもの。
・「弓の島」
・「焼けた空から降り来たる」(お蔭さまで、海底から一時は150位あたりまで昇っていました)
・「菊」(ホラー。クロノヒョウさんと柴田恭太朗さんの企画にダブルエントリ)
・「映画館の怪人」(恋愛。同上)
追加で、
・「届かなかった背中」(ミステリー。同上)
・「病院のふりかけ」(エッセイ)
以上です。
「届かなかった背中」、年末年始を挟んだとはいえ最もわたしらしい作品ほどあまり伸びないジンクスを粛々と更新中ですが、ジャンルごたまぜの闇鍋の中で、どの作品もよく奮闘してくれました。
『現代ドラマ・文芸・ホラー』
『エンタメ総合(SF・歴史・ミステリー)』
ですから、さすがに大雑把すぎますよね。
公式からお題を出されて短篇を書くフェアが来週から始まりますので、今度こそ、何を書いても軽々と上位にランクインする方々に押し出されていくでしょう。
知名度の違いは明らかなのです。
☆の数には見向きもされない作品にも、永久保存したくなる素晴らしい作品は沢山あるのに、それを拾うシステムが現在のカクヨムには足りません。
今年の抱負。
登録直後から乗り込んできた自己愛性人格障害者が「あの女よりもあたしがヒロインよ!」と大暴れしている状態で、今年もどこまで創作が出来るか分かりませんが、「カクヨムでの創作も、もう無理かな」と想うたびに、『読み専の神さま』で感謝をこめて書かせてもらったHさんのような方がふらっと立ち寄って下さるのが、まるで神様のはからいのような昨年でした。
ありがたい限りです。
何故ならその方々は沢山の作品の中から「この人の書く作品、好きかも」そんな真っ直ぐな感覚で読んでくれた人たちだからです。
それはわたし自身が本屋でベストセラーの陰にひっそりと置いてある無名に近い作家を、「この作品好きかも!」と選び抜いて買って来て、どんなに本を処分しても最後まで本棚に遺している感覚と変わらないと想うのです。
一説には10作中、3作、いい作品が書けると良いそうです。
もちろん他の7作も手を抜かずしっかり書くことが前提です。
その中で3割。
10作書くうちの3作、自分の中で何らかの成長を実感したり、手応えのあるものが書けるのが、執筆活動を長く続ける上でのバランスが良いそうです。
それは作者にしか分からないことで、手応えを得た作品が人気が出るとも限らないのですが(逆のことも多い)、意識的にはそんな感じでやるのがいいそうです。
(以下は拙作『人格障碍者にタゲられた!』風の読み物です。興味のある方だけ読んで下さい)
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「わたしも被害者です」という方からコメントを頂きました。その方も創作の場から追い出された経験があるそうです。
そして自己愛は、「誰が追い出したの? わたしは応援して支援しようとしていただけですよ。またターゲットが被害妄想をおこしたの?」と云うでしょう。
自己愛性人格障害者は精神科医も「自己愛からは逃げるしかありません」というほどの破壊力を持っています。
一方で、全く自己愛の手練手管に乗らない人もごくごく僅かですが被害の中で見てきました。
どんな人が自己愛に呑まれないのか、といえば、【善悪の判断】がつく方です。
善悪の判断という点ならば、「正義と正論しか唱えない自己愛さまこそこの世の最高峰であり、絶対に嘘はつかないと自慢する自己愛さまこそが絶対的な神じゃないか」と想うのが自己愛に洗脳されて取り巻き化する人たちの思考で、この人たちは新興宗教にはまっているようなものですから、幾らマインド・コントロールについて説いたとしても脱会は無理でしょう。
後々大問題になるような犯罪を犯す悪徳宗教団体でも、信じる人にとっては、教祖は全てにおいて信者の上に位置しており、人々を幸福に導く正しい存在だからです。
自己愛に洗脳された人は顕著な特徴をみせるので、とっても分かりやすいです。
(男性)
自己愛に耳打ちされるままターゲットに対して憎悪を燃やし、ターゲットへの対抗馬・競走馬として自己愛にお尻を叩かれて走り、自己愛と癒着。自己愛のことを「健気で愛しく、俺を正しい方向に導いてくれる偉大なパートナーだ」と賛美一色になり結婚する。
(男性・女性ともに)
ニタニタ・ヘラヘラして近寄ってくる。
「ターゲットさんって劣っていて、偉大な自己愛さまと比べて書く資格のないほどの性格の悪い無能で、底辺作家の嫌われ者なんでしょ?」
自己愛の吹き込んだことをそのまま口に出すので、洗脳完了したことが一番分かりやすいです。
なかでも宗教と相性の良い人は、なぜか一律、「幸せ~幸せ~」と唱え始めます。
自己愛という絶対神を手にした彼女たちは、「気づきを得た」という天啓を受けた感覚に陥り、神である自己愛と一体化し、万人の上に立ったような錯覚の中で幸福感に満たされるからです。
本当の意味での善悪の区別がつく人たちは、
「あまりにも無能で性格が悪いから、見るに見かねて注意したらいじけて心を閉ざして引き篭った」
「あの女は自分だけが幸せになればそれで良いと想うような許しがたい女だ」
と被害者のふりをして悪評を刷り込んで回る自己愛のことを、「感じの悪い単語を使ってターゲットさんを落としたくて落としたくて仕方がない人」と正確に判断しているということです。
また、自他の境界を正しく引いている人も自己愛の手管では踊りません。
「出来が悪いターゲットを、あなたから注意してやってくれない?」
「ターゲットは迷惑をかける問題児だから、私たちで監視して見張っています」
「あの人には気をつけてね……」
袖を引いてくる自己愛に対して、「なにこの人?ぷっ」「なんでわたしがそんなことをやらないといけないの?」とごく普通に疑問に想うことが出来る人です。
死に物狂いでターゲットの粗さがしをしては、「またまたターゲットが劣っているところを全てにおいて上である自己愛さまが見つけてしまいました!」と嬉々として大公開する自己愛のことを、
「恥ずかしい人」
「こんな人間と一緒にいたくない」
とまっとうな感想を抱ける人は取り巻きにはなりません。
自分の頭で考える能力がある大人は、自己愛に呑み込まれてマインド・コントロールされることはないのです。
一度呑み込まれた人も、「なんか暑苦しくて重たい人だな」「いちいち指示されるのが不愉快だ」と判断すると、さっと自己愛から離れることもあります。
それにしても、他人のことを「すぐいじける」「意固地」「云う事をきかない」だの悪印象をつけて宣伝して歩くような人のことを、
「この人こそ誰もが崇めるべき最高峰の人格者だ……」
「話をきくべき」
と見做す人が意外と多いことには、毎回ビックリです。