批評について書いてると、おっそろしい分量になってしまったので、今回は軽く、さわりだけ。
わたしは批評はしませんよ~。
批評系の本って数百冊くらいしか読んだことがないんです。平均。
寸評くらいならぎりぎり何とかやるけど、基本的に他人さまの作品を読む時は、激甘甘なので。
『少女パレアナ』かよっていうくらい、良い点を探すことばかりします。
原則、物書きってものすごくネガティブでしょう。
だからこそ小説の世界に深く深く潜っていけるわけで。
それに追い打ちをかけるような真似は、素人さん相手には、やったらダメだよね。
カクヨムに職業批評家なんていないし(多分)、ふわっとした形であっても、誰かに読んでもらって他人の意見をもらうのはとってもいいこと。
『少しでも上達するために、率直な他人の意見が欲しい』
それ自体はいいんです。
いいんだけど、何か言われたら、すぐに変えます! ってみんな書き換えるのよね。
それが「向上だ」と想って。
一か所二か所とかならいいんだけど、ためしに、いろんな人の意見を仰いでみて欲しいなぁ。
一人にしか見せないっていうのは、電車の中でたまたま隣りの席に座った人に見せているのとほぼ変わらない。
職業批評家の中にだってとんでもない人がゴロゴロいるのに、カクヨムの素人批評を真に受けてごっそり書き換える。
あれを見ていると、
「作品が可哀そうだな」と想ってしまう。
良くも悪くも、人に言われる度に変更を加えるタイプの作者さんにとって、その作品とは、他人の意見を取り入れて修正を繰り返して手数をかけた分だけ、「良くなった」と想っていることでしょう。
批評のお陰で、確実に前よりも良い作品になったという手応えが自分にあるのなら全然いい。それが大正解です。
でも。
またべつの人の意見を仰いだら、違うことを云われていたかもしれませんよ。
変更した箇所、それは本当に消して良かったの? 書き加えて良かったの? その判断は「云われたからそうした」なの?
AさんがAと云ったら、Aに変え、
BさんがBと云ったら、Bに変え、
人から云われるたびに、そのようにしていった。
この時、この作者の頭の中にあるのは、
「云われたとおりに変えたのだから、これでAさんやBさんが、気に入ってくれるだろう」なのでしょうか。
CさんDさんは、気に入らないかもね。
さらに、これは駄目……と思ってるのは、
素人批評さんの中には、【ものさしを一つしか持っていない】人がいるということです。
ご本人が知っている小説が、ごくごく限られたものなの。
好きなタイプの小説しか読んでない。
洋酒は大好きだけど日本酒は全然分からんわ~、焼酎は好きだけどその他はまずいわ~、そんな感じ。
また、批評してもらうたびに、限度を超えた改稿モードに入る人もいます。
あれもわたしは反対です。論文じゃないんだから。
プロでも延々と改稿する人がいて、重版が出るたびに、新作なのか? と想うほど書き換える人がいますが、大幅全面改稿はせめて一回で終わろうよ。
もはや改稿の迷路に入っていて、著者もただ文章の表面だけを際限なくいじってる。そして出来上がるたびに、もっと誰からも文句を云われないように完璧にしなければ~って、ホラー??
小説は完璧を目指すものじゃないんです。
改稿するたびに生命を失っていく文字の墓場。
あれなら、小学生が書く、「かぶとむしが空をババンと飛びました。」の一文の方がよほどいい。
カクヨムの中にも、素晴らしい視点を持っている人は沢山いますから、第三者の意見がきけて勉強になったと思うことは、積極的に取り入れたらいいと想う。
でも、誰かに何か言われる度に、「指摘されたから変えなくちゃ!」とすぐに変えるような作品、目指すところ、行き着くところは、どこなんでしょう。
あ、『商品』を目指すのならばまた話は別です。
その時は、ハイハイと、人から指示されるままに自作を書き変えることに対して何の抵抗もない人の方が、晴れてプロになった後も、心療内科送りになったり廃人にならずに済みます。売れるかどうかは知りませんが。
または、実力で自由を勝ち取るか。
漫画家の高橋留美子さんがデビュー時に、先輩の男性漫画家から、「これから沢山嫌なことがあるとおもうけど……」って忠告されたそうなんです。
編集者にあれこれ言われて、今までのようには大好きな漫画を描けなくなる、それが辛くて苦しくて、好きな作品を描けないのなら漫画を描く意味がないと、漫画を描くことを辞めてしまう人が大勢いる。
すると、高橋留美子さんはこう答えたんです。
大丈夫です。わたしは売れるつもりですから。
痺れますよね。
これぞプロ中のプロ。
デビュー前から既にかなりの自信はあったんでしょうけれど、自分の才能を信じて疑ってなかったんだろうなぁ。
倖せなプロ生活を送ろうと想うなら、デビュー後なるべく早いうちに、出版社から「この人は任せておいても売れるから大丈夫」と口出し不要のフリーパスをもぎ取るのが一番いい。
とにかくカクヨムの中で誰か一人の批評を受けて、それに従わなくてはならないなんてことは全くない。その通りだと想えば変えたらいいけど。
その時こそ、想い出して欲しいです。
それ、電車でたまたま隣りに居た人の意見だよね?
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▶「君よ知るや」
完結しました~。
なんというロマンチックな物語だったことか。甘すぎて途中で砂糖をざーざー吐くかと思いました。
後半はもう字数との闘い。
1文字2文字にキリキリ胃を痛めて、字数制限と闘ってた。
必要な部分は残したつもりですけど。
こういう創元推理文庫系の作品が好きなのです。
またしても長篇一人旅もしくは、海猫ほたるさんとの二人旅になるのかなぁ、と海猫さんに申し訳なく思っていたら、もう一名リアタイで最終回まで追いかけてくれました。ありがとうございます!
▶「萩ヅカ」
自主企画、『因習村座敷牢人外青年祭』に寄せたもの。
因習村
座敷牢
人外
青年祭
どんだけパワーワード入れてるのかという企画名。因習村だけでもかなり想像力がはばたくところを、座敷牢だの、人外だの。
わりと条件を絞っておられるので、「この材料で親子丼を作って」と指定された上で、それぞれのテイストを味わおうという感じでしょうか。
いろんな村に、いろんな理由で人外の青年がいて、何らかの理由で座敷牢にいる。
そんな話を集めて、みんなで愛でましょうという会。
そういえばBLに挑戦する予定だったことを想い出し、青年祭りだからここに絡めてしまえと、一気に書き上げました。
レズを書いた「オ・ソロイ」の時もそうでしたが、知ったこっちゃないんですけどね、BLも。
自分にないものは書けない(自分の経験が全てだ!)という人と、知ったこっちゃねえけど小説として書けるタイプ(それが小説だしな!)と、分かれるんでしょうね。
批評とは、要するに【粗さがし】をすればいいんだろう?
そう思われがちですけれど、本当は、ものすごく難しいことなんです。
小説に対する深い理解と愛情がないと有益ないい批評はできないし、間違えた誰かがナタをふるったら首が落ちて消えるよ。