三連休いかがお過ごしでしょうか。
旅行で泊まったホテルが殺人事件の現場だと知っても何の霊感も作動しないつまらない人間ですこんにちは。
階が違うと、霊も根性を出さないのかもしれません。
世界を変える運命の恋コンテストが今月はじまりますね~。
「わくわく」と「きゅん」を両方味わえるファンタジー作品とのこと。
「きゅん」があるということは、恋愛要素を多めにトッピングして下さいってことです。
わたしは恋愛小説をメインにしている書き手ではありませんが、恋愛ってどんなジャンルにでも入ってくるものなので、「得意」だと、とってもお得。
フィクションとして夢のある「きゅん」を書けるって素晴らしい。
公式さんのイラストも女の子向けだし、あんな感じの絵で少女漫画化できそうな作品だと、いい線に乗るのでしょう。
修行と想って挑戦してみたのですが、、駄目ですね、無理やり「きゅん」を書こうとしても。
一万字近く書いていましたが、ボツです。
潔く全て一括削除しました。
なんだろうね、この、文字列だけを見たら問題なく整っているのに、書いている本人だけが分かってる、「浮いてる」感じって(笑)
他の人が読んでも何にも想わないのでしょうが、本人には「あ、これは駄目だ」って分かってるの。
ありふれた題材であることはボツにする理由にはならないです。
「わたしなりの視点で書けている」、その感触があるかないか。
漫画家さんに同じシナリオを渡して、これを漫画にして下さいと云った時にも、全員同じってことはなくて、コマのわり方、表現の仕方に、その人の特徴が出てくるはずです。
そしてその人の視点が落とし込まれていれば、平凡なシナリオでも物語がしっかり紙に定着して生きてるはずです。
あんな感じです。
推敲は大切だけど、「推敲を目的とした文章」が、大っ嫌いなんですが、あれにも通じるのかなと。
何度も何度も手を入れすぎて、必要なゆらぎやムーブメントまで消え失せちゃって、全てが一本調子になってぺったんこになってるようなやつ。
推敲のつもりで、話を殺しちゃってるやつ。
いい絵だって、濃いとこ薄いとこ、じょうずに「抜け」を作ってたりするのに、ぎちぎちに隅々までみっちりと描き切ってると、そういう表現方法を意図しているのでない限り、かえって伝えたいものがぼやけますよね。
皮肉なことに、文章が「巧い」人に多いんですよねこれ。
文章世界が弾んでいない感じがしたら、ボツにします。
書いている自分だけにしか分からない感覚なのかもしれませんが。
というわけで、無理やり「きゅん」を書こうとしても、弾まなくて失敗したよという話でした。
八月についに最終巻が出ていた漫画、松田奈緒子さんの『重版出来!』(読み方:じゅうはんしゅったい)、ドラマが大好きでした。
あのドラマ、今から想えばなんという、ベストなキャスティング。
オダギリジョーや永山絢斗、漫画から抜け出てきたかのようでした。
『重版出来!』は小説じゃなくて漫画のはなしなんですが、こうやって漫画は世に出てるんだってことが分かるから、漫画化志望の方は全員、読んだらいいんじゃないでしょうか。
こんなにも大勢の人たちの手を経て書店に並ぶんだな、そしてその全員に賃金が発生しているんだなってことが、新人の目をとおして、押しつけがましくなく分かるようになってます。
わたしがもし編集者だったらどんな人を担当したいか。
といったら、
やっぱり、ごくごく普通の人と組みたいです。
自身が完全なるサラリーマン・タイプなので。
一般常識があって、締め切りを守って、自分でスケジュール管理も出来る人。
ビジネスライクでいいから礼儀をまもり、相手を尊重できる人。
しかしながら、こんな普通のことでも難しい人が大勢いるのが作家さん漫画家さん。
発達さんはなんだかんだで悪気なく、凹凸の特性を出してこられますからね。
締め切りだけは死守してくれたとしても、打ち合わせの待ち合わせ場所にも普通には来ないとか。ドタキャンも連発するとか。
「二日酔いで起きれません」
起きて来いや!!
そういう気持ちをおさえて、理解を示し、「明日は頑張れそうですか~? 迎えに行きましょうか~?」とか云うわけですよ、普通のことが普通に出来る人たちは。
編集者さんの気苦労がしのばれます。
◎編集者さんの仕事は、「売り物をつくること」
◎作家のやりたいことは、「自分の書きたいものを書くこと」
ここの擦り合わせで摩擦が起こるんでしょうね。
あと一見ふつうの人っぽくみせてるけど、蓋を開けたら、「譲れないこだわりの! 何トカ!」に頑張る人も多そう。←これは全員
全員が赤だと云っていても、「朱色だ」と云うような人が創作者になるので、そこはもうね。
漫画家さんも癖の強い人が多いけれど、それと同じくらい編集さんにも人格に欠陥のあるとんでもない人がいることが、さらに創作現場をややこしくしてる。
ただのマウンティングや自慢をしに来たの?
みたいな人はいる。
こういう人だと、何を云ってるのかわけわからんし、もういいやこの人、となってしまう。
「それだけお分かりなら、ご自分で描いたほうが早いですね♡」
なんて拒否したらしたで、
「意固地で云う事をきかない」
「あいつは感謝をしない」
と四方八方に悪評をばら撒いて、創り手さんの敵を増やして徹底的に交流関係や未来を踏み潰していく。
害悪にしかならない。
創作を愛する心のない人。
新人さんが若い女の子だと、打ち合わせと称して、担当のおっさんがセクハラ・パワハラすることもあるらしい。
素晴らしい人も大勢いる反面、担当ガチャがひどい。
時間があれば大好きな漫画を描いたりアニメを観たりしたい若い女の子が、なにが哀しくて、そんなおっさんの全然面白くもない自慢話や見当はずれのアドバイスをきかされて、酒の相手をせにゃならんのかと。
どこの出版社でも一人くらいは、『重版出来!』に出て来るような、「人格者にして物事がよく分かっており、第一線に居続ける漫画の神様みたいな人」や、「創作愛にあふれ、気難しい人からも原稿をとってくる伝説的な編集者さん」っているものですけど、新人相手に「設定に細かい突っ込みを入れる俺さまを見せたいだけ」そんな編集者さんや、ちょっと売れっ子になったからというので、「どれほど売り上げに貢献したか分かってんの?」と傍若無人に振舞う漫画家さんもいるんだろうなー。
作品は、作者にとって「我が子」です。
でも編集者さん側にとっては所詮「他人の子」です。そして「自社で面倒をみている子」であり「担当の子」です。
他人の子を、売り物として売れる子にするのがお仕事。
その指示が、前回の設定魔みたいに本人のエゴをぶつけるだけの滅茶苦茶なものだったりすると、ただの作品乗っ取り破壊魔であって、話にもならない。
小説 ⇔ 扉絵イラストレーター
ここも、間に立つ編集者さんの腕の見せどころではないかと。
「このキャラは何歳で身長は何センチで、髪と肌と眸の色は何色ですか~? それが分からないと何にも描けません~」
タイプなのか、
物語の雰囲気を汲み取り、まさに夢のようにベストなイメージ画を出してきてくれるイラストレーターさんなのか。
両者の希望をききつつ、うまく引き合わせないといけない。
「この人なら信用ができる。うちの子を安心してお任せできる」
創作者からそう想ってもらえるような編集者さんだと、嬉しいですよね。