ウィンブルドン男子シングルス決勝戦、最高に面白かったです~!
眠い目をこすりながら最後まで観ました。
新しい王者の誕生。アルカラスさん貫禄がありますね。
芝の上で足もとがずりっと滑ってしまうのが、毎回ハラハラします。
▶「魔女とりんごの花」
全六章。完結しました。
公約どおり七月中に完結できてほっとしました。
五月に最初の読み切りを書いてから、突貫でした。こればっかりひたすら書き続けていました。
文字通り、この作品だけを書いて書いて書き続ける。そんな日々。今月に入ってからはとくに完結を目指してひた走りました。
第三章の終わりあたりで、「想ったよりも長くなる」と青くなっていましたが、お話の命に任せて、そのまま書き通しました。
長篇は、お別れする時がすごく寂しいのです。
でも、愛情をこめて彼らの物語をきちんと終えることが出来て良かったです。
連載をやっていると他のことがまったく出来ないかわりに、何も考えずに続きを書けばいいだけなので、毎日が飛ぶように過ぎていきますね。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」でも二回寝落ちした、そんなファンタジー音痴が書いた魔法使いの物語ですが、面白かったと云ってもらえる素敵なお話になってくれました。
ファンタジーの聖典「指輪物語」
その映画化の「ロード・オブ・ザ・リング」
寝たんか。
と叱られそうですが、場面場面は好きなんです。
ショットだけなら、すごく好きなところが沢山あります。
映像や音楽なんかは、いまどき、どれをとっても遜色なく素晴らしいです。
好みどストライクじゃないというだけです。
「ゲーム・オブ・スローンズ」もゾンビの大軍が出てくると、う~んってなってました。
これは完全に好みの問題で、ゾンビが大好きな方々には嬉しいのでしょう。
ゾンビとかオークとかドラゴンとか。
ファンタジー映画にありがちですが、あまりにも特撮の完成度を高めると、かえって全体がぼやけるみたいな?
と想いながら今LORをちらりと観てみたら、当時は最高峰だったはずなのに、それなりに年月の経過を感じます。
20年以上前の作品なんですね。
どんな話でしたっけ?
持ち主に絶大な力を与える指輪があって、そのうちの一つが偶然、ぼんやり暮らしている無欲な小人さんの手に渡り、その指輪を欲しがる悪い連中から小人さんが逃げまわる羽目になる。
そんなお話でしたっけ?
小人さん大迷惑。
ドラマ版「ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪」については、むりやり白人以外をキャスティングして非難轟々だったのも記憶に新しいです。
わたしは大反対派でした。
白人だらけだ、けしからんって云っても、そこは原作通りでよくないですか?
無理やりカラードを入れることないのでは?
「差別だ」っていっても、カラードの人たちだってそんな指輪物語を観たいと望んでいるんだろうか。
同じノリでSWのローズもつらかった。
女性の整備士まではいいですよ。
お顔がブ〇なのもいいですよ。
ストーリーにまったく絡む必要がないのにじゃんじゃん出てきて、今そんなことやってる場合? という危機的場面で巨大アップでラブシーンまで入れてきて、どれだけゴリ押ししてくるのかという。
これが新しい多様性と平等の世界ですよ! ということなのでしょうか。
美男美女だけが主役じゃないんですよと。
嫌悪感を抱くのはそこじゃないです。
物語自体をぶち壊しているほうが大問題じゃないでしょうか。
普通にローズが整備士としていい仕事してくれたら、誰も何も云わなかったはずです。
無理やり画面に割り込んで出てくるわりに、ストーリーには特に意味のないキャラで、アップが苦痛、邪魔なだけと云われるだけのことはありました。
あの惨状から、監督を変えて、よく立て直して終わりましたよSW。
LORの音楽は好きなので、「魔女とりんごの花」を書いているあいだも流して聴いていました。
創りこんだ世界観の代名詞みたいな「指輪物語」、学者さんがとことん突き詰めたマニアックさが素晴らしいです。
わたしは設定に凝りませんが、だからといって、徹底的に凝る人に対して何にも想いません。
世界観の創りこみの原点が「指輪物語」なのか、ここ数十年のゲームやアニメから創作に入ったので資料集を作るのが当然だと想っているのかも、どうでもいいことです。
「設定資料集を事前に創ってからでないと一切の物語は書いてはいけない」
そう主張する人がいたので、それは違うだろうと想ったくらいです。
▶「オ・ソロイ」
柴田恭太朗さんの三題噺企画参加作品です。今回のお題は「マシュマロ、通販、天使」でした。
ついでに他にも何かと引っかけられないかなと探したところ、百合作品を募集していたのでそちらにも合わせました。
百合。
百合とはレズ。
未知の世界でしたが、私なりに何とか書き上げました。
求められているものは、たぶん可愛い子ちゃんたちの、爽やかな愛情でしょうね。
まったく違うものが出来上がりました。
薔薇の方もいずれは挑戦したいのですが、わたしがBLを書いたらどえらい耽美なことになるような予感がものすごくします。
「ベニスに死す」的な、何かになっちゃいそうな気がする。
一応練習っぽく「わたしのキモオタくんⅡ」で少しかすったんですが、本腰入れてBL書いたら、お耽美路線一直線になるでしょう。
自分が経験したことしか書けない、自分の中にあるものしか書けないと、よく云われますが、どういう意味なんだろう。
どんなものでも自分を通すために、自分の知らないものは書くことは出来ないという意味ならば、そりゃそうだろう言わずもがなすぎると想いますが。
究極、人を殺したことがなく、人を殺したいと想ったことすらなくとも、殺人鬼を書く必要があるならばそのように書けるのが物書きの力だと想っているのですが。
書くにあたり、現実の事件や映画などを参考にすることはあるでしょうが、「人を殺そうと想ったことのある人でないと小説に人殺しを書けない」っていうのは、ぜんぜん違うかなぁと。
それとは別に、「書くのが苦手、書けないジャンル」というのはちゃんとあります。
百合と薔薇は、積極的にノリノリで書くことはないけれど、自分なりの作品でいいのなら、というあたりでしょうか。
女性の書き手なら百合も薔薇も書こうと想えば書けるけれど、男性の書き手は、BLは、「無理」な人が多そうですね~。