ぽいぽいとエントリしている自主企画。自主企画の趣旨によっては企画主さんによってそれはそれは懇切丁寧な批評(講評)なんかを頂けることがあるのですが、本気で批評してくる方々のエネルギーがタジタジになるほどものすごくて、小説愛に素直に感動しちゃいました。
書いた本人なんかよりも、百倍くらい真剣に読んでくれる。
その姿勢はやはり伝わりますよね。
もう尊敬。
そして自主企画を通してわたしの作品を批評して下さる批評勢の皆さんに共通しているのが、
「ここが気になる」
という指摘なんです。
批評なので、ちょっとここだけとか、とかではないんです。
「ここだけが、こうなっていたら……!」
面白いな~とおもって拝読させてもらっています。なんだろう全員に共通している、「ここが……!」みたいな。
ここだけがこうなっていたら……惜しいっ!
みたいな笑
「ここだけが」
前のめりにそう云いたくなるものがよほど強くあるみたいです。
それで当然ながら、一つの疑問を抱くわけですよ。
ご指摘下さった方々はそれぞれ別の作品に対してそう述べて下さったのですが、もし同じ作品を批評してもらったらどんなことになるのだろうかと。
けっこうそれ肝心なことですよね。
「ここが……!」
その上でそれでも「ここだけが惜しい」という着目点が一致していたら、相当な説得力です。
一方でですよ、もし意見がばらけていたら。
或る方が熱心に指摘することを、他の人はべつに何ら問題視していない。むしろそこがあるからいいと云う。
だったら、そうしたら急にそれまでの、『ここだけが惜しい!』っていうのが、「それってあなたの感想ですよね?」ひろゆき口調で処理されることになってしまいます。
さらには、明らかな瑕疵でない限り、
「ここが気になる! ここだけがこうなっていたら!」
これが全員一致することも、多分あんまりないのではないでしょうか。
ほとんど完璧な映画といわれた、クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」。
まとまった映画で、脚本もよく出来ているし、無駄な場面もたるい流れもないし、メッセージ性もちゃんとある。
お手本のような優等生の映画なのですが、この「硫黄島からの手紙」とワンセットになっていた「父親たちの星条旗」。
後味の悪さも含めてもやっとしたものが残るのは「父親たちの星条旗」の方です。
「硫黄島からの手紙」はほぼ文句のつけようもない完璧な映画といわれて、「父親たちの星条旗」は硫黄島に比べるともやもやした後味が残る。
もちろん、
金返せバッキャロー。
というもやもやではないです。
視聴者に考えさせるものを残す感じのもや。
モヤるものが残るのは、欠点じゃないとわたしは受け止めています。
わたし自身、誰もが完璧だと太鼓判を押すような完璧な作品を書こう……なんて微塵も想わないので。
だって、完璧になることを目指す作品ってなに(^^;)
「物語とは、蟻の這い出る隙もないほどの完璧な作品でないといけない」なんていうのは、その効果を狙うのでない限り、小説とは違う気がします。
ああわたしがもし批評を担当する側になったとしたら、激甘です。
もう普段から、何かアドバイスして欲しいと頼まれた時だって、「わたしならこっちを選ぶけど、あなたが『これでいい』と想うのなら、それは絶対に変えないで下さい」みたいなスタンスですもん。
なんだかやる気が出てきた!
自分の強みはこれだったんだ!
次の作品を書きたくなった!
そう想ってくれるのがわたしのやることかなと想って、より前向きになってもらえるように、徹底的に良いところを見つけてモチベーション上げをしますよ~。
アゲ育に徹します。
新作
▶「わたしのキモオタ君Ⅱ」
ノリで書いた「わたしのキモオタ君」をさらに悪ノリさせた副産物的な、かわいそうなお話
自分では結構気に入ってます。
こんな人何処かにいそうだなぁって。
アイドルグループの握手会の模様をテレビで観ていていたら、なんぼなんでも会場に入れたら駄目だろうというような気色悪いファンの相手をしている女の子たちが心から可哀そうでした。
同性の男性だって電車の隣りの席に来たら席を立つか殴りたくなるだろう、そんな変なのがニタニタしながら押し寄せてくるんですから。『奇行種(※元ネタ進撃の巨人)』って云われてて爆笑してしまいました。