あちこちから何故この繁忙期にカクヨムコンっていう悲鳴が聴こえてきそう。
ためこんでいたレビュー(本のあとがきのノリのもの)をまとめて一気に書いたら腱鞘炎になったんですが(治った)、カクヨムコンで佳境のみなさま、こんにちは。
過度の推敲はしないで下さいね~。
推敲は何十回でもして下さい、でも推敲をやりすぎた文章にはしないで下さいね~。
あれだけはやめて頼むわ……。
上手な文章=いい
上手であることを目的とした文章=だめ
「文章力は3割でいい」
もともと文章を書くのが得意な人しか小説を書こうなんて想わないんですから、カクヨム人口の半数はクリアしているのではないかと。
ヘタ……を超えてる方もいますが。
あれって意図的に不思議な文章を書いているわけでもなく、ご本人は大真面目みたいで余計に怖い。
「目的は創作意欲をあげてることにより私の生き甲斐でそのうち敬意を人に対して持つこともあるのです」
「文章が下手な人は言葉で伝える前と俯瞰する力が足りないようで振り向いているともいえないでしょうか」
こんな感じ。
???
ってなるんだけど、大量の星とPVと賞賛レビューまでついてるのが怖い。
カクヨムのみんなはあれを理解できるんだろうか。
そんな人が「小説に大切なのは客観性です」とか書いてある。
ゆるやかに何かの病が進行中の方なのかもしれない。
そんなごく一部をのぞけば、文章力はある人の方が多いですよね。
だから、見るのはそこじゃないからね? って云われてるのが「文章力は3割」なのかなと。
極論をいえば、小4くらいの文章力でも優れた作品が書けるのが物書きかなー。
少年少女むけの古典とか、平易な文章だけどわくわくして読むじゃないですか。
「お話が書ける」能力に文章力の高さってそこまで……いる?
もちろん文章力は高い方がいいに決まってます。
優れた文章を書く人でなければ、小4の文章力で良作を書けることもありません。
どんな文章でも、一字一句、一行一行、吟味しながら書くことには違いはありません。
でも小説は名文を羅列するゲームじゃない(作風としてはあり)
「お上手」な文章の集合体を読むものじゃない。
森茉莉が父である鴎外の小説を「面白くない」とバッサリ切ってるのはまったくもって正しいのです。
現代の感覚でつまらないと云っているのではなく、漢文にも親しんでいた同時代の人の眼でそう云っているのです。
とはいえそんな森茉莉自身が異次元の文章力の持ち主ではありましたが。
テンプレでもいい、難解でもいいんです。
肝心なのは書きたいものを書く心。
「俺は!
これが!
書きたいの!」
それ。
その気持ちがある人がわたしは好きです。
3割の文章力の中身とはなんでしょうね。
語彙力?
リズム感?★
すっきりスリム化?★
重厚さや華美?
誰にでも理解できる読みやすさ?★
一部のマニア受け?
★がついているものがwebでは望ましいですが、その他の要素もぜんぜんいい。
神林長平「戦闘妖精・雪風」なんて大多数の人にとっては読んでも意味不明です。
でも飛び抜けています。
「俺は!
これが!
書きたいの!」
タイトルからして我が道に走って尖ってる。ほとんど理解できないままラストにまで連れて行かれて、
「ジャムだ」
って口にしたくなる、あの難解にして独りよがりな世界。
刺さる人だけに刺さる小説。
「これが書きたいの!」
そんな気持ちで書いてあるものは、「小手先の文章力」「読みやすさは正義」「テンプレ」を超えるほど強いんです。
「文章力は三割あればいい」っていうのはそういうことではないでしょうか。
尖ってる尖ってるって書いてますが、一面で、小説を書く人は「ごくごく普通の人の、普通すぎるほどの一般的な感覚」もないと駄目かなー。
ふしぎなことですが。
作中に一般人を書かないといけないから一般人の感覚が必要⇒(違
誰にでもウケのいい分かりやすい小説でないと駄目⇒(違
尖る反面、平凡な感性も持っていないと「小説」は書けない⇒(正
凡例)ドラマが書ける紫式部(小説家)⇔ 非凡な感性の清少納言(エッセイスト)
巧い小説が書ける人は巧いエッセイも書けますが、言語感覚やアイロニカルな視線が研ぎ澄まされている人は小説を書くのは苦手かもね。
だから前回こう書いたんです。
きちがい要素多めだが、きちがいでない人が小説を書くのに向いているって。
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ハート星などなどありがとうございます✨
「読み専の神さま」今でもぽつぽつ読んでくれる人がいて嬉しいです。
こうして今も支えてくれて、追い風を呼び込んでくれる神さま。
Hさんは創作者側の人ではなかったのですが、誰よりも創作者の心が分かり、気持ちに寄り添って下さる方でした。
どんな書き手さんに対しても愛情と敬意をもっていて、ご本人もオンライン小説を心から楽しんでおられました。