• 詩・童話・その他
  • 歴史・時代・伝奇

原発と天狗党討伐

どうにも脈絡のないタイトルで、申し訳ありません(^_^;)

ただ、下書きそのものは既に十月の「那珂湊の戦い」にフェーズが移っておりまして、そのために日々Googleマップを駆使しているわけです。
何せ茨城県外の住人にとっては、「日立市」「ひたちなか市」「大洗」「那珂湊」の区別が、つきにくいわけですよ。茨城県は、昭和及び平成の大合併で消えた地名も、かなり多いですしね(^_^;)

で、ふと気がついたんです。

鳴海は十月二日に「村松」へ陣営を移動しています。この理由についてははっきり書かれていないのですが、北の助川城攻略が完了していることと、湊方面の大発勢&筑波勢との決戦に備えてなんだろうなあ……ということは、何となく思いました。

そして、水戸市史などに出てくる地図と現代の地図を比較して思ったのが……。

何気に、現在「国営ひたちなか海浜公園(今の時期はコキアの紅葉で有名)」として整備されている辺りや、その北側の地域は、天狗党騒乱における主戦場となったわけです。
これって、そのまま「史跡」としても重要なんじゃない?とやや興奮したのですが……。

見ると、「J-PARC」や「JERA」などの見慣れぬ横文字の施設が、ずらずら並びます。

気になって調べたところ、J-PARCは「日本原子力研究開発機構」でした。JERAは東京電力フュエル&パワーと中部電力との合弁株式会社。
早い話が、原発関連の施設が集中しているんですよね、この辺り。
東海村にJCOの施設があるのは、1999年の臨界事故を記憶している世代ということもあり、気になっていたのですけれど。

***

何か160年経っても、「国防政策」と切っても切り離せない地域なのだなあ……と、思った次第です。

そんなわけで、この辺りで「天狗党騒乱」の痕跡を探そうとしても、その多くが原発関連の施設の敷地内。
色々と、考えさせられますね。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する