• 詩・童話・その他
  • 歴史・時代・伝奇

鬼鳴海、炸裂

次話「対峙」を書き上げで、改めて「鬼と天狗」を最初から振り返ってみました。


一通り読み終えて、改めて鳴海は変わったなあ……と。
最初からチートキャラにするのが嫌で、「鬼鳴海」の通称にも関わらず、第二章の竹ノ内擬戦では志摩に負けたりしていますけれど(^_^;)
元々人付き合いが苦手なのに、役目柄広く付き合わなければならなかったりとか。

第三章に入った辺りから、「藩の要人」としてリーダーシップを発揮しつつありますが、「対峙」では水戸藩の山野辺主水正と対等に渡り合い、自ら手槍を振るいつつ、5番組を鼓舞するという🙄
そういえば、第二章まではあまり人を誉めることもしていなかったな……と。
→これもリーダーの役目。

構成を練っていた頃から「リーダーとして成長させる」という点は意識していたのですが、その分非情な決断も迫られることになり、書く方も色々と考えさせられました。

ちなみに
天狗党討伐に絡んで、二本松は何であんなに熱心だったのか?

1.尊攘派の過激思想によって、藩論が割れるのを回避したかった
2.尊攘派の主張する横浜鎖港により、自藩の生糸輸出がダメージを受けるのを避けたかった
(当時、二本松の生糸生産量は国内でもトップシェア)
3.天狗党が荒らし回った地域のうち、結城藩は藩主が二本松藩丹羽家出身。
「うちの若君に何してくれんじゃ😠」的な。

というのが、私の出した結論です。

1に関しては、某藩士の末裔の方から「やはり尊王派は二本松では煙たがられていたらしい」との情報を頂きました。
3に関しては、後で二本松に褒賞を届けにきた幕府の代理人が水野日向守だったことからも、感情としては案外あり得るかなあ……と思っています。

2に関しては、言わずもがな。

まあ、一言で表すならば「民の撫育」に集約されるんですけれどね。
→by日野源太左衛門
御家老の言葉については私の創作ではなく、「水戸甲子事変と二本松藩の義戦」に出ていたものです。

そんなわけで、創作ものとはいえ、割と郷土史の視点からも興味深い作品になったのではないでしょうか。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する