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那珂川渡河戦

「鬼と天狗」を一休みしている間に、現在次話「掃討」を執筆しております。
この話は、二本松軍の水戸到着~常陸太田入りまでの話なのですが、歴史書でもあまり取り上げられないフェーズです。
神勢館の戦い自体は、そこそこ有名なんですけれどね(´・ω・`)

我が二本松軍も、水戸到着早々に8/27日の弘道館の軍議に参加、そして翌日には神勢館の戦いに参加しております。
そして、もう一隊。御家老(源太左衛門)も同時に助川海防城の攻防戦に同時に出立しているんであります。
二本松側の記録には出てこないこの「御家老、助川へご出陣」なのですが、常陸太田市史などで確認できるものです。
恐らくこれは誤記ではなくて、28日前後に助川城近くで発生した「金沢合戦」(山野辺義芸VS諸生党)の援軍として、御家老自ら出向いた可能性が高そうです。
(しかも、助川海防城攻撃の正面軍を引き受けている^^;)

***

というわけで、9/1に二本松軍が全軍太田入りしたのは間違いないのでしょうが、恐らく鳴海&与兵衛隊と、御家老の手勢は別行動で、太田で合流……というのが、正解かと思われます。

さて、現在頭を悩ませているのが、神勢館の戦いに参戦している鳴海&与兵衛の「那珂川渡河」。
基本的に、国防の兼ね合いから大河には橋が掛けられていないことが多いのですが、当然現代の地図とはズレが生じます。
ということで、結構この場面も悩みました^^;

神勢館の戦いは、この絵の「青柳の渡し」付近で起こっていますから、二本松軍が太田に向かうには、別の場所から渡らなければなりません。
水戸から北方に向かうには……

1.陸前浜街道(現在のR6)
2.棚倉街道(現在のR349)
3.南郷街道(現在のR118)

の3パターンが考えられます。
そのため、御家老は1を通るとして(助川は、陸前浜街道沿いの宿場町)、鳴海&与兵衛の本隊の上陸地点は、諸生党との連携も考慮した考察が必要です。


そんなわけで、「冬の訪い」が終わる頃までには、何とか「鬼と天狗」の「掃討」を書き上げたいと思います。
再び、本業の案件も入ってきていますしね。

しばし、お待ちくださいませ。

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