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三益講

小難しい?経済のにほひが強かった「針道の商人」ですが、書いている当人も、「宗形善蔵、癖が強すぎ^^;」と思った話でした。


ところで、作中に出てきた「|三益講《さんえきこう》」ですが、これは東和町史に収録されていた三春藩の話をベースにしています。名称は、東和町史の解釈によると「三益=三春」の暗喩だそうですが、私は「借りている人」「胴元」「他の人々」三方に益がある、との意味も含んでいる……と解釈しています。もちろん、「三春藩」の意味も含んでいるでしょう。

よく、この頃のお侍様は「借金だらけ」と非難されるのですが、システムとしては今の銀行などにおける「積立ローン」のような感じだったのでは?と私は解釈しています。
銀行の各種ローンは、割と広く利用されていますよね。教育ローンや車のローンにしても、一気にキャッシュで払う人は少ないのではないでしょうか?
なので、後世の人々に「借金だらけ」と非難される先祖らが、少し気の毒な気もします。
丁度幕末の頃は、度々不作に悩まされ、税収である「米」も日照り(文久2年)やら、洪水(元治元年)やらで、思うように徴収できない→多分扶持米の遅配もあったという頃ですし……。

一応三春藩のために弁護しておくと、須賀川市史にも「講」の話が出てきます。須賀川の市原家や太田家も大商人で、彼らが「貸付」を行っていたのは、守山藩や白河藩。
須賀川の中心部は「白河藩領」だったのですが、全国的に見てもレアな「自治都市」の体があるので、何とも評価しがたい部分も……。
ですが須賀川の歴史でも出てくる位ですから、「講」がご禁制だったにも関わらず、それが有名無実化していたのは、何も二本松藩が特殊だったわけではないようです。


……が、「宗形善蔵、半端ない🤣」と思ったのが、「利息」の高さ!
私も正確には計算できていませんが、返済利息が「トイチ」どころではないのでは?
ぱっと見、利息が3割超えと思われるので、今の消費者金融の利息すら超えています^^;
(余談ですが、消費者金融の利息は利息制限法や出資法で上限が規制されています)

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さて、次話「西の変事」。
再び政局に戻って、下関事件(多分まだ触れていなかったはず)や八月十八日の政変に触れていこうと思っていますが、しばしお待ちを🙏
→例によって、本業の締切が重なっています。

水戸市史のリサーチもまだ中途半端なので、うまくいくかわかりませんが、この後、「藩公上洛(仮題)」を経て、いよいよ鳴海も藩政の表舞台に登場となります。
詰番自体、十分目立つ職掌という気もしますけれどね(笑)。

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