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かぐやSF3 最終候補作の感想

かぐやSF3 最終候補作の感想
「第3回かぐやSFコンテスト」(https://virtualgorillaplus.com/kaguya-sf-contest/3rd-kaguya-sf-contest/)の最終候補、全10作の感想を書いた。

◼️ 理由
1. 投票のために全作読んだら全部面白く読めたから
2. 初回・二回目と違ってどこがどう良いのか言語化できそうだったから
3. 体力・気力といまの仕事の案件に余裕があるから(最重要)

◼️ 留意点
1. 言及の順番=読んだ順
2. 感想の長短=評価の良し悪しではない
3. 半分自分用のメモ書きなので「受信物」(読んで頭に浮かんだこと)と「スポーツ」の欄は作者の意図と大きくズレている可能性がある
4. 全ての最終候補作者に敬意を払って書いた(つもり)。拙いところは「未熟な読み手だなフハハ」と笑い飛ばして下さい後生です
5. これを読んで「この作品をこう読むヤツならこういうのも好きだろう」というのがあったら自薦・他薦問わないので教えて下さい。自薦の場合は感想書きます

ではレッツゴー。


▼「勝ち負けのあるところ」
https://virtualgorillaplus.com/stories/katimakenoarutokoro/
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受信物:勝ち敗けをつけることと、世界にある色々な規定の関係について
スポーツ:プロレス
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初見時に「舞台は(たぶん)アメリカに占領された日本のようだが、この設定が上手く飲み込めてない」とメモしていた。だが、そもそもプロレスってスポーツか?と調べた結果、出てきた紀要論文[*1]の「プロレスはスポーツに特有の汚点(筆者注:審判員の存在による恣意性があること)を公然と見せつけるがゆえにスポーツから排除されるのである.そして, プロレスはこの過剰なまでのスポーツ的性格ゆえに,芸能とも見なされないのである」という要約部分で、飲み込めなかった設定含め、色々なモチーフが合体して、最後までの筋に納得感があった。ただ、私の印象ではやはりプロレスは芸能よりかはスポーツに思えるので(いくら今日のスポーツに「客観的な」審判方法が増えていても)語りがもっと身体的だとよかったかも、とは。

*1 柏原全孝 1996.プロレスはなぜスポーツではないのか:プロレスから見たスポーツのルール.スポーツ社会学研究4:51-62


▼「叫び」
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受信物:苦痛を感じる動物スポーツに組み込むことはただしいことなのか
スポーツ:競馬
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馬側の視点を断片的に挟むことで、競馬を出発点に馬と人間の関係を問うラインの統制に成功している、と思う。馬を家畜化できていないとホモ・サピエンス史はかなり変わる、というのを説明しすぎず叙情的に物語を締めているのは好み。私はわりあい動物の権利擁護サイドにいると自認しているので、冒頭で競馬への問題意識が絡んだ設定から話がどう転がるかワクワクした。しかし同時に、人間-非人間関係について一家言あるので、競馬を出発点に家畜化の歴史がひっくり返されてしまった……と読後、懊悩した。そういう人間としては「未来のスポーツ」というテーマに沿って、人間のエゴと競馬について語るなら、作中にもあるが戦争にフォーカスした方がスマートな気がしてしまう。


▼「あの星が見えているか」
https://virtualgorillaplus.com/stories/anohosigamieteiruka/
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受信物:恒星が放った光を眼球は受け取る
スポーツ:競視
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競視という存在しない競技を発明したアイデア力と、それをふまえたうえでひとつ筋のある世界観を作る力に拍手を送りたい。人間の手で変えられるものだらけの世界で「自然物」である生身の眼球や星がただ存在し、そして存在し続けることの揺るぎなさが描かれていて胸を打たれた。後半に出てきた先生との話がもっと手前から出てきていたほうが、そういう面により輝きを持たせるような気がする。あと、競技誕生の契機や身体矯正率と貧困率の話など再読すると引っかかりを覚える点がいくつかあったので、設定詰めはもう少し細かくしたほうがベターかと個人的には思う。


▼「城南小学校運動会午後の部『マルチバース借り物競走』」
https://virtualgorillaplus.com/stories/jounansyougakkouundoukaigogonobumarutibaasukarimonokyousou/
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受信物:笑い
スポーツ:マルチバース借り物競走
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好き。小ネタのチョイスがいいので笑い転げてしまい「なんでそんなやべえ競技が小学校の運動会でやられているんだ」とツッコミ損ねたなーと思ったタイミングで星新一的オチによってそのツッコミが回収されて唸った。オーソドックスSFショートとして完成されていると思ったので、もう他に特に言うことがない。


▼「歴史的な日」
https://virtualgorillaplus.com/stories/rekisitekinahi/
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受信物:スポーツはみんなのものだから魔力がある
スポーツ:スポーツそのもの
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文章が上手いので、語り手の感情の動きに素直に寄り添えた。それゆえにラストのセリフにゾッとしてしまう。ドーナツ型のテント、トラックを走る競技者、心根が素直な応援者、そしてそれを報じるメディア。さまざまなモチーフ全てが、日本でオリンピックが開催されるまでのこと、そして開催期間中の世間的な盛り上がりについて記憶が残っている読み手(私含めて)に抜群の効果を発揮すると思う。ただ翻訳のことを考えると、その徹底さがここまで上手く働くのかが微妙な気がする。英語圏・普通話圏で日本の情報がどう流れているかわからないので何とも言えぬが。後述の『月面ジャンプ』はオリンピックで読書を刺す小説で、こちらにもその要素はあるがどちらかと言うとオリンピック(という催しを持つ人間社会)をチクリと刺す小説、と読んだ。


▼「プシュケーの海」
https://virtualgorillaplus.com/stories/pusyukeenoumi/
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受信物:競技者の「スポーツ」への欲求(を非競技者は理解できるか?)
スポーツ:競泳
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タイトルのプシュケーからギリシャ神話の蝶の翅を持つ人物を思い浮かべてしまっていたのだがたぶんこれではない。ギリシャ語でプシュケーは呼吸、あるいはそこから発展して心や魂を表すらしいのでこちらでは、と判断。イルカの名前がメイビス、語り手が出会う脊髄損傷した少女がツグミで生き物が渋滞……と思ったが吉本ばなな『TSUGUMI』が下敷きかもしれない(手元にないので確認できない)。呼吸、心、生きることと泳ぐことが接続しているものと、そうではない人間の間の断絶がもの悲しい響きを伴って閉じているのがよいと思う。


▼「ベントラ、ボール、ベントラ」
https://virtualgorillaplus.com/stories/bentoraboorubentora/
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受信物:スポーツは報酬なしにルールに沿って本気でやるから楽しい
スポーツ:ドッジボール
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私の投票先。固有名詞としてドッジボールは出てくるが、それは別のものになっている。投票理由は「『スポーツ』というものの発生から時間変化=未来を捉えていて、なおかつ漂う不穏さと日常感のバランスがいい」と感じたから。……というのはいま考えたことで、初読時に一番「なんじゃこりゃ」と「スポーツというものの芯を食っている」(余談だがこれはゴルフ用語らしい)と直感したから。ホイジンガによるとスポーツは遊びらしいが、普通に生活をしているとそんな風に考えるのは難しい。ただ、ヒトの進化とともにスポーツはあり、これからもある。そんなことを思った。


▼「マジック・ボール」
https://virtualgorillaplus.com/stories/majikkubouru/
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受信物:スポーツはわたしたちを自由にしてきた(そしてこれから先は?)
スポーツ:ベースボール
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寄宿学校で同室の相手の名前がエリザベスと知るなり、自分をダーシーと呼べ、という少女の造形がとてもよい。読み返すとダーシーの細かな描写はないのに、それでも私という読者の中で彼女の容姿が確立させるその筆力に脱帽。そして、物語から読者が読み取れるものが多義的な造りになっている。たとえば2023年をアラサーの女性として生きている私は、中盤のシーンから、ダーシーにとってベースボールは男と対等になるための道具であり、同時に楽しみを得るための遊びであったのだと解釈し、一方で最後の印象的な一段落から、これからスポーツを含むこの世界の行く先が希望と失望の間を縫って進んでいることの示唆を含んでいると捉えた。ぜひ自分とは立場や興味関心のあるものが違う人の感想を聞いてみたい。


▼「月面ジャンプ」
https://virtualgorillaplus.com/stories/getumenjanpu/
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受信物:選ばれた者がやる/皆でやるの間にある垣根、スポーツとは一時的に離れる(集まる)だけのこと
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スポーツ:オリンピック
『叫び』の感想から漏れ出ているように、私は文系のくせに小説の中での生物の取り扱いに小うるさいタイプの読者である。初読時のメモには「パンスペルミア説を使って話のどんでん返しと、スポーツの競争面をまとめて扱っているのはすごいし読後感もいいのだが、クマムシが人間様に進化するルートが見えない」とある。が、「スポーツ 文化史」でググって出てきた紀要論文にsportsの語源はラテン語で「一時的に離れる」を意味する”deportare”だと出てきてた[*2]ので私の中でモチーフの繋がりが強化されてクマムシ進化の件は気にならなくなり、そして全体の評価が上がった。それをふまえて読み返すと前半でのクマムシ描写の工夫があることがわかったので、私の初見感想の筋が悪い。反省。

*2 大野哲也 2023. スポーツの文化史. 桃山学院大学社会学論集56(2):103-119

▼「月はさまよう銀の小石」
https://virtualgorillaplus.com/stories/tukihasamayouginnokoisi/
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受信物:投げ手と受け手の間をボールは行き交う・自分の身体を自分で選ぶことはできない
スポーツ:野球
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「ボールを運ぶスポーツは多々あれど、小説で扱われるのは野球が多いのはなぜだろう」とどこか個人のブログで読んだ覚えがあるのだが、その答えのひとつとして「投げる側と受ける側の両方が必要で、両者はそれぞれ立つ範囲が(ある程度)限られており、また役割が入れ替わるから」とまとめられるのではないかと『マジック・ボール』と本作を読んで考えた。こちらの方がその色を強く感じる。ヒトもまた生物なので、本作にも口を挟みたいポイントはあるのだが、書き手の技量によるものか(というかぶっちゃけ文体が好みなので)あまり気にならなかった。生身の身体とスポーツについては「あの星は見えているか」からも読み取れるが、利益も不利益も誇りも卑下も身体がある限りついて回り、その葛藤が言うなれば人/ヒトらしさなのかもしれないと読後に思った。


◼️ 総括
力尽きたので箇条書きで。

・投票前にこれくらい精読しておくべきでは?(今回の場合、投票先は変わらないとは思うが)
・いっぱい読もうと思ってた本があることを思い出した。『女子マネのエスノグラフィー』とかケニアでマラソンランナーに始終張り付いて(!)書かれた人類学の本だとか
・スポーツを手段と見るから目的と見るかで大きな違いが出る
・「未来の」と枕がつくと、現在のこの世界からみた未来についてしか考えられないタイプの人間なので、どの作品にも感服するばかりである
・泡沫書き手のくせにツッコミが多くなってしまったが、それらは全てブーメランとさて自分の身に返ってきた。何なら折り返した後ブーメランのサイズが大きくなってるかも。ともかく勉強になりました。

以上。

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