「もう頼むから、彰兄ちゃんもさ、これ以上親父を会社に縛りつけようとしないでくれよ。元々、親父もさ長男だからって会社押し付けられて、ずっと頑張ってたんだぞ。ようやく、親父は自由の身になるんだぞ。もういいだろ。親父はもう、頑張ったよ。俺、これ以上親父に苦労してほしくねえんだよ」
伊吹の顔色が、悪い。
「粉飾も、してたって、おじさんが……」
「そうだよ。それぐらい追い詰められてたんだよ、親父」
父が、自分にその事を打ち明けてくれたのは、自分に子供が生まれて、しばらく経った頃だった。
父の部屋に呼び出された時、父は珍しく酒に酔っていた。酔えない体に無理してアルコールを流し込んで、顔を真っ赤にして、ようやく、自分に、ずっと粉飾をしていたのだと打ち明けてくれた。
その時の自分の気持ちが、こいつに分かるだろうか。
自分がもっと早く自立していれば、父はもっと早く自分に打ち明けてくれたのだ。それだけ、父が苦しむ時間が短くて済んだのだ。会社のことも大変だったのに、昔の自分の悪さの後始末までしてくれて。本当に、自分は打ち明けてくれた父に、申し訳ない思いでいっぱいだった。
父は、「こんな父親ですまない」なんて言っていたが、父は十分立派だった。自分は、長くそんな立派な父に見合う息子ではなかっただけだ。
「俺が言ったんだよ。もう辞めてもいいって。頼むから、自由になってくれ親父って」
父が、自分を愛してくれた分、今度は自分が父を助けるから。
もう、背負わなくてもいい。せめて、これからの人生、自由に生きてくれ、と。
だから、父と自分は、手を組んだ。
どうすれば、会社を誰にも邪魔せず畳めるか。色々と調べて、父の部下達にも協力してもらって、色々考えて、ようやく、今なのだ。クソ親族達に事実を突きつけて、会社から逃げるように仕向けて、取引先にも迷惑をかけないように、事業の継承先を見つけて。
「本当の、本当にお前と彰兄ちゃんには迷惑をかけねえよ。こっちだって散々準備したんだよ。本業の引き取り先は決まってる。他の事業も、なんとか売却先を見つけて、残った負債なら、うちの財産を売れば完済できる。邪魔しないでくれよ、本当に」
「……」
伊吹は、こちらの本気が伝わったのか、真顔で、自分の顔を見つめていた。
「親父の奥さんは、逃げたって……」
「いいんだよ、あの人は。親父の事、親族と一緒になってずっと寄生し続けてたんだから。あの人が逃げるのも織り込み済みだよ」
「そ、それでいいのかよ」
「……親父は複雑そうにしてたけど、引き留めなかった。それが答えだろ」
「違う。お前は、和樹は、母親の事、どう……」
「どうとも思ってねえよ。俺は、親父がもう苦労しないのならそれでいい。俺、あの人に母親らしい事一つもしてもらった事ないから、あの人が今更どうなろうが、もうどうでもいいよ」
伊吹は、唖然としていた。
「俺、俺さ、お前がずっと羨ましかったよ」
いつのまにか、自分の視界が滲んでいた。
「母親はいないけど、その代わり優しい婆ちゃんがいてさ、親父にもお前なら大丈夫って認められててさ、彰兄ちゃんもお前の事、可愛がってて。ずっと、出来のいいお前が羨ましかったよ」
俺は、と、一呼吸してから、初めて義弟に自分の妬み嫉みを告白をする。
「母親はいたけど、あの人は俺のこと無視してたし、親父以外、頼りになる大人はいなかった。本家じゃちょくちょく親父に金の無心の親族が出入りしていて、気が休まらなくて……」
「……親父、俺の事、認めてたのか……?」
「はあ? そりゃそうだろ。認めてなくちゃ自分の母校に受験させたりしないだろ。それに、お前なら大丈夫だと思ってたから、何も言わず、そっとしてたんだろ」
「母校?」
「お前、中学受験しただろ。そこ、親父の母校。知らなかったのか?」
伊吹は、呆然としたように頷いた。知らなかった、と、うわ言のように呟いている。
「お前は、それだけ親父に認められてたのに、社会人になってからずっと親父の事、無視してただろ。なのに、今更なんだよ」
「だ、だって……」
伊吹は、もう30歳に近い。
なのに、今目の前で顔を真っ青にしている義弟は、子供のように見えた。
「お、おれ、就職の時、親父の命令を、逆らって……」
「……お前、彰兄ちゃんから何も聞いてねえの」
「な、なに」
「お前、就職先、大手の設計職って聞いてさ、自分の娘と結婚させようとした親族がいたんだよ。まだ20そこそこのお前に、寄生しようとしてた親族がいたんだよ」
あの時の事を思い出す。
父は、その話を聞いた時、顔を真っ青にしていた。どうして私のみならず伊吹まで! と大声で苛立っていた。
「だから、親父はお前に無茶言ったんだよ。お前が思いっきり反抗するの見越して、お前にうちの会社入るように命令したんだよ」
「……」
「お前の事、守ろうとしてたんだよ。やり方は不器用だったかもしれないけど、いつか、分かってくれるだろうからって」
彰兄ちゃん、知ってたと思うけど、と言えば、伊吹は、首を振った。「聞いてない」と呟くように言っていた。